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第14話

何日か経った後、本当にふたりで一度ご飯を食べに行った。思えば、後にも先にも外食をしたのはあの一回だけだった。何故か、逢坂が料理を作ってしまうのでそういう話にはならない。そもそも逢坂とは仲良く並んで外食をするような関係では、最早ないのかもしれない。その時もやっぱり逢坂はいつものようににこにこ笑っていて、柴田はそれを眼鏡越しに見ながら少しだけ、なけなしの良心が痛んだ。思えば逢坂のことを、柴田は何も知らなかった。大学生だろうということは予想がついたが、他のことはまるで分からなかった。だからその時話した沢山のことが、今でも柴田が知っている逢坂のほとんど全てのことだった。 「にじゅういち」 「・・・わか・・・」 「へへ、もうちょっと上に見える?」 「う、うーん・・・でも言われてみればそんくらいかも」 「柴田さんは?幾つなの」 「俺はもう三十過ぎてるよ」 「へーそうなんだ、柴田さんは若く見えるね」 柴田は飲めないビールを、逢坂は実に気持ちよく飲んだ。それを見ながら多分この男は二十歳を待たずに飲酒していたクチなのだろうと柴田は思った。 「函谷関大ってウチの近所なの?」 「んー・・・近所ではないかな、俺の家の通り道にあるから。だからあそこでバイトしてるの」 「・・・ふーん」 一緒に食べたのは焼き肉だった。何が食べたいかと柴田が逢坂に聞いたら、二つ返事で焼き肉!と彼は元気に答えて、またその若さを目の当たりにして柴田は目が眩んだ。正直、柴田は焼き肉など若い時に食べて以来食べた記憶が全然なかった。今ではまず好んでは食べなかったが、その時は焼き肉が食べたいと言う逢坂に合わせて焼肉屋に入った。逢坂が慣れた様子で注文するのを、柴田はほとんどお任せにしてぼんやりと見ていた。ひとりでいると面倒臭いのと眠いのとで余り夕食をきちんと取らない柴田であったが、その日は逢坂と一緒にいたし、目の前にはどんどん焼かれる肉があり、食べざるを得なかった。久しぶりに食べた焼き肉は、苦手な油に塗れてはいたものの、不思議と美味しいと思える味がした。 「柴田さんは何の仕事をしてるの?」 「俺?俺は建築関係」 「え、ガテン系なの?」 「んーん、デザイン関係?」 「へー、面白そう」 「うん、面白いよ」 アルコールが回って来たのか、目の周りを赤くして、逢坂はふふっと笑った。若さをまるで持て余しているかのような逢坂が、何故自分のことなんか好きになったのか分からない。沢山話しても結局そのことだけは、柴田は分からなかった。今でも本人に尋ねたことがないから分からない。尋ねたらもしかしたら何かしら答えてくれるかもしれないと思いながら、はぐらかされそうな気もする。 「柴田さん」 「ん」 テーブルの上に置いていた手を、俯いたままの逢坂が急に握って、柴田ははっとした。ふたりでこうして向き合って話していると、何でもないただの客と店員にも思えたし、上司と部下のようにも思えたし、歳の離れた友達みたいにも思えた。そうして柴田はそれなりに楽しい時間を過ごしていたつもりだったが、そこで逢坂が自分の手を握ったことで、急にさっと頭の中が晴れた。やっぱり何もなしというわけにもいかないのだろうと、逢坂の良く日に焼けた自分のものより少し大きい手を見やった。焼き肉を毎日でも食べていたら、自分も少しは栄養を取り入れてそんな風になれるだろうか、現実から逃れたい思考がゆっくり飛躍する。 「・・・なに」 警戒して声が掠れる。顔を上げた逢坂はやはり目の周りが少し赤いように見えた。酔っている、きっと酔っているのだろう。酔った勢いをこの後彼は後悔して、自分みたいに苦しい思いをするかもしれない、と柴田は思った。けれど彼の人生はこれからだ、これから何にでもなれるし、誰とでも出会える。きっとこんな恋をしたことも時間が経てばそのうち忘れることができる。自分なんかの何処が彼のそんな感情を揺り動かしたのか分からないが、きっともっとこれから素敵な人に出会うことができる。真中の傍から離れたくても離れられない自分とは違うのだ、そう思うことで柴田は自分の罪悪感から逃れようとしていた。手を引こうと思って力を込めると、逆に引っ張られて逢坂の目の前に左手が引き摺り出される。 「柴田さんの時計」 「・・・時計?」 「綺麗な時計だね」 「・・・―――」 少しだけ期待をして、そしてその期待が裏切られたことにやはり安心していた。柴田は強張った顔を戻して、逢坂にありがとうと言って笑った。そして何となく、逢坂が自分のことを好きなのではないかというのは、自分の思い過ごしなのではないかと、突然思った。そうやっていつも、あと一歩のところで決まって引く逢坂を柴田は何度か見ている。それが正しくて、それが証拠ではないのか。いつ行っても嬉しそうにしているし、柴田の偏った食生活を何かと心配してくれるけれど、コンビニの前で待っていた彼は確かに待っていれば来ると思ってと言って笑っていたけれど、ご飯でもと誘うと嬉しそうについて来たけれど。逢坂が握っていた柴田の手をぱっと放して、またにこっと笑った。柴田はそれを見ながら、逢坂はきっと自分が好きで色々と世話を焼いてくれているのだろうと思っていたが、その好意は自分が真中に向けているものとは種類が違う、と確信した。だとすればこんな風に警戒する必要も、彼の気持ちに応えられないなんて勝手に後ろめたくなる必要もない、そう考えると頭の中が急に冴えたようで、今まで考えていたことが酷く馬鹿らしく思えた。 「はぁー、俺、なんかすごい酔っぱらっちゃったなー」 「そう?もう帰ろうか」 「うん、かえろ」 にこっと逢坂が笑って、柴田はそれにまた酷く安心した。また明日、コンビニに行きさえすれば逢坂はいるし、きっと優しい言葉をかけてくれる。もうそれに罪悪感を持たなくてもいいし、逢坂がいつか自分にそれを告げてくるのではないかと警戒しなくていいのだ、そう思うと酷く心が軽かった。このままではまたきっと真中は簡単に自分の胸の傷を抉るに違いないし、柴田はそれをひとりで抱えて泣くのは嫌だった、もう限界だった。だから何も知らない逢坂の優しい気持ちが、どうしても柴田には必要だったのだ。 「柴田さん」 「んー?」 「柴田さんの家って、こっから近いの?」 「あー・・・うん、まぁまぁ。逢坂くんは、大学の方だと俺と逆か」 「そうなんだ・・・」 急に逢坂が言葉を切って、柴田は反射的に聞き返した。他に意味なんてなかった。 「なんで?」 「ん、なんかちょっと、飲み過ぎたのかな、気持ち悪くなっちゃって」 「え、大丈夫?」 「うん、たぶん・・・でも―――」 「え?」 他意なんてなかった。少なくとも柴田は。

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