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第22話

コンビニの冷房は柴田の薄っぺらの体に寒い。冷房がつかなくない季節になってほっとしている。自動扉が開くと頭の上で来店を知らせる音楽がぴろぴろと鳴り、それに合わせて店員は挨拶をする、そこまで自動化されているみたいなルーティン。レジの方を見やると、眼鏡をかけた若い男の隣に、今日もやっぱり逢坂がいて、柴田は心底ほっとしていた。こんな気持ちのまま家に帰ってひとりでいるなんて、そんなことはできなかった。今日は今日こそは逢坂の手が必要だった、考えながら、結局本当に自分はかつて利用してはいけないと思った彼の好意に、甘えているだけなのだと実感する。好意、もし逢坂の性欲が好意という名前と繋がっているならばの話だが。彼が二言目にはそれにすり替えて話すみたいなことが、柴田の罪悪感をどんどん削って削り落として、結局それが双方にとってどういう意味合いなのか分からない。柴田は声をかけようとして躊躇した。その前に逢坂の目に見つかる。 「あれ、侑史くん」 「・・・おう」 「いらっしゃい、今日疲れてるね」 「・・・―――」 近づいて来た嬉しそうな逢坂の目を見ながら、どうしてこの男はそんなことを一発で読み取るのだろうと思ったが、そういえば今日廊下ですれ違っただけの所員にも同じようなことを言われたのだった、自分はそんなに酷い顔をしているのだろうか、見て分かるくらいの。逢坂には曖昧に笑っておく、取り繕う必要がなくて楽だった。気を抜くとここが外なのか部屋の中なのか分からなくなって、逢坂の腕に縋ってしまいそうだった。柴田は意識的に距離を取ったつもりだったが、逢坂の方がいつもみたいに柴田の頬を撫でて、へへっと人にすぐ懐く動物みたいに笑った。多分コンビニ店員と客はそんな風にスキンシップを取らない。大人の男同志でも不思議だ。ちらりとレジを見やると眼鏡の男は俯いて何やら作業をしている。 「しず、今日、来れる?」 「・・・え、いいの。珍しいね、侑史くんが誘ってくれるなんて」 「ん、まぁ別に、いいだろ」 歯切れ悪く答えて、何となく逢坂に見透かされている気分になる。頬の手を払って退けると、逢坂はその顔を年相応にして笑った。そういう顔は好きだった。無条件でかわいいと思えた。それはまるで柴田のことをまださんづけで呼んでいた頃の逢坂に戻ったみたいで。 「でもごめん、今日レポート書きに家に帰らなきゃいけないんだ」 「・・・へー・・・」 「ごめんね」 時々逢坂が大学生であることを忘れる。逢坂に自分の知らない日常や生活があることを忘れる。逢坂と部屋とここでしか会わないから、逢坂という人間が他の何処でどんな風に生きているのか、誰とどんな風に関わり話笑いあって生きているのか、柴田は知らない。知らないことを何とも思わないが、こんなふうに別の現実があることを思い知らされるたびに、ふっとそのことを思い出させられる。その時確かに残念と思ったけれど、思ったより心は痛まなかった。先程までこんな状態でひとり家に帰って過ごすなんて自殺行為だとまで思っていたのに不思議だった。そんなことを考えていたことも半分くらい忘れていた。ごめんねと言って眉尻を下げた逢坂の顔は、やっぱり子どもで動物みたいでかわいかった。柴田は手を伸ばして逢坂の頭をぽんぽんと撫でた。 「いいよ、また今度な」 「折角侑史くんが誘ってくれたのに」 「いいって、学生の本分は勉強だ、しっかり勉強しろ」 いつの間にか逢坂が自分の籠を持っている。ドリンクの冷蔵庫を開けて、水を二本そこに入れる。水のストックはまだあったが、別にあって困るものではないし、柴田の冷蔵庫はそれでなくても物がなくてスカスカだったので、別に構わないと思って黙っていた。 「今日疲れてるからきっとえろえろなのに」 「・・・あー・・・帰ってちゃんと勉強しろ」 「こんな時に、ほんとレポートを恨むよ」 逢坂が小さく舌打ちをする。これはこれで良かったのかもしれないと、柴田はそれを見ながら少しほっとして思った。逢坂がお酒のコーナーのところでしゃがみこむ。 「グレープフルーツ?」 「うん」 いつものそれを逢坂の指が選んで籠の中に入れる。 「食べられそうなもの、何か残ってる?」 「んー・・・ちくわ?」 冷蔵庫の中身を思い出そうと思ったが、昨日開けていないので何が入っていたのか、柴田は思い出せなかった。昨日の夜はコンビニで買ったブルーベリーのヨーグルトとお酒を飲んで眠ってしまった。朝は逢坂がいない日はほとんど食べないのでそのまま出かけ、昼は同僚と一緒に外で何か食べる、というのがいつもの柴田の食事事情で、大体ご飯らしいものは昼しか食べない。そういえば、今日は一体何を昼に食べただろうと思ったが、思い出せなかった。電話を取っている間に昼食の時間が終わったから、流石にまずいと思って何か食べないといけないと考えていたことまでしか覚えていなかった。 「昨日食べてないな、またプリンかヨーグルトにしたでしょ」 「・・・あー・・・」 「もう、侑史くんは」 「あ、しず。これ美味しそう、これ買う」 「こんなのばっかり」 柴田が指を指したホイップのかかったかぼちゃプリンを取り上げると、逢坂は怪訝な顔をしながらそれを籠の中に入れた。 「お昼食べた?」 「食べたよ」 視線は合わせないで、眼鏡のフレームを直すふりをしながら答える。何を食べたか覚えていないのが、少しだけ後ろめたかった。逢坂の眼はこんな時だけ真摯で嫌になる。逢坂の背中を押してレジに押し込む。今日はこれとお酒を飲んで、早く寝よう。明日も仕事だ、こんな風にして柴田は生きていかなければならない。 「あ、煙草」 「侑史くん、今週もまた、多い」 言いながらクールの緑のボックスを取る逢坂の指を、柴田は何となく見ていた。 「仕事大変なの。ほどほどにね」 「分かってる」 「今週で俺、テスト期間終わるから」 「そっか、お前も頑張れよ」 「終わったら呼んでね」 「あー・・・うん、分かった」 おつりを受け取る手をぎゅっと握られて、柴田はそれにぼんやり返事をしながら、その時ばかりはそれを酷く離し難く思った。

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