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第24話
少しだけ罪悪感を覚えた。柴田はベッドに転がったまま、また天井を見ていた。遠くで水音がしている。ふうと息を吐いて寝返りを打つと、先程まで着ていたTシャツが丸まっている。だるさはまだ体の奥にあったが、ベッドから体を引きはがして、それに腕を通す。はじめて逢坂とセックスをした時、本当は少しだけ罪悪感があった。もしかしたら彼の優しい気持ちを利用しているのではないかと思って、そんな卑怯な自分に震えた。逢坂は柴田の前では恐ろしく軽薄でありながら、一方で時々的を射抜くように心配してきたりして、その実態が掴めない。本当は掴めないように、何も知らないでいるようにしている、自分で意識して、多分そう操作している。逢坂のことは良く知らないほうが良い、彼が自分の目の前以外でどんな風に生きているのかなんて、知ったっていいことなんてひとつもない。ここで嘘みたいな薄っぺらい愛の言葉と欲望の名前を呟く逢坂だけで、十分だった。柴田は分かっていた、少しずつ彼の存在そのものが、はじめに求めた救いから遠ざかっていることに。ベッドに腰掛けたまま、溜め息を吐く。性欲が好意とちゃんと繋がっていれば良かった、けれどそれを恐ろしく軽薄な逢坂にそれを求めるのはふざけたことだし、可哀想だ。だから罪悪感なんて、要らぬ感情が芽生えたりもするのだ。
(・・・片づけよう・・・部屋)
だるい体を引き摺って、柴田は取り敢えず、テーブルの上に放置したプリンのカップやら飲みかけのサワーやらをごみ箱に捨てた。テーブルの側に逢坂の鞄が無造作に投げられている。そこから黒の長財布が飛び出すみたいに出ていて、柴田は何となくそれを取り上げた。そんなものさえ見たことがないような気がしている。逢坂が財布を出すような場面に、柴田は遭遇したことがないからだ。薄っぺらい関係、胸中で呟き自嘲する。何となく好奇心でそれを開く、思ったより綺麗にカード類が並べられて入っている。免許証が入っているのを見つけて、柴田はそれを爪を使って取り出した。写真の逢坂の髪はやはり長かったが、それは抑え目な茶色で今と印象が少し違って見える。酷い無表情の逢坂は、少し怒っているようにも見える。
(逢坂閑、名前は・・・偽名じゃないんだな)
そんなことも知らない、柴田は逢坂のことは、本当に何も知らない。免許証を直すと、隣に学生証が入っているのを見つけて、こんどはそれを爪で抜く。
(函谷関、経済学部・・・へー、経済学部なんだ・・・)
学生証の逢坂は免許証と同じような茶色の髪だったが、こちらは幾分リラックスした表情だった。そういえばレポートがどうとか言っていたはずだった。柴田は今になって逢坂に申し訳なくなってきて、急いで学生証を直すと財布を戻し鞄の中に入れた。いつも逢坂が持っている鞄と今日のそれは違って、本当に家に帰るつもりだったのだろう。それをわざわざ呼びつけるようにしてしまって、更にあんな風にだらしなく求めたりして。はぁと大きく誰に溜め息を吐くわけでもなく吐いて、柴田はテーブルの前に足を折りたたんで小さくなって膝にぎゅっと額を押し付けた。逢坂は何を思ったのか、今日はひとつも柴田の嫌がることはしなかった。大丈夫と何度も最中に聞かれた気がする、茹だった頭でどんな風に返事をしたのか分からないが、結果的にここでこんなふうに罪悪感に打ちのめされているようでは、大丈夫なのだろう。
(何かレポートって、俺、手伝えることないのかな)
教科書の一冊でも入っていないのだろうか、鞄を開けて中を覗くと、教科書らしい書物や思ったより沢山ルーズリーフが出てきて柴田は少し驚いた。逢坂があんな身なりで真剣に学校に行っているわけがないと、半ば決めつけていたからだ。しかしこの分では案外しっかり勉強しているのかもしれない。ルーズリーフに書かれた字は、逢坂の外見には似つかわしくないくらい整っていて美しかった。柴田には分からぬことが延々と綴られ、時々赤字で書かれているところが部分的に重要なのだと分かるくらいだ。これでは役に立たない。はぁと小さく溜め息を吐いて、逢坂が風呂から出てきたら何か手伝えることがあるか聞いてみようと思いながら、柴田はそれを纏めて鞄の中に入れた。するとするりと中からノートが出てきて床に落ちた。
(・・・ん?)
はらりと捲れたページに逢坂のものらしい字で、日付が書いてあるのが見えた。思わず柴田はそれを取り上げて捲る。日付が書いてあるということは日記の類だろうか、逢坂が真面目にこんなものつけているなんて、それこそ想像の範囲外であるが、思いながらページを捲る。
『5月13日、ミネラルウォーター2本、栄養ドリンク2本、グレープフルーツサワー、アロエヨーグルト、クールのボックス』
(・・・なんだこれ、何かの記録・・・?)
『5月15日、ミネラルウォーター1本、カシスグレープ、牛乳プリン』
『5月18日、ミネラルウォーター2本、コーラ、パイナップルサワー、白ブドウとナタデココのヨーグルト。今日はあんまり疲れてなさそうだった。帰りもはやいみたい。最近クマが薄くなってきたからちょっと安心』
『5月20日、ミネラルウォーター1本、コーヒー牛乳、モンブラン、クールのボックス。今日はヨーグルトとかプリンじゃないんですねって話しかけたら、笑ってたまにはいいかなと思って、って言ってくれた。表情がないと綺麗だけど、笑った顔はかわいい』
「・・・―――」
柴田は慌ててノートを閉じた。顔が熱い。誰に確かめなくても分かる、きっと柴田にだけは鮮明に分かってしまう。そこに書いてあるのは柴田の買ったものであり、時々付け足すように描かれているのは、逢坂とコンビニでやりとりした記録であった。
(・・・なんでこんな・・・ほんとに閑が書いたのかこれ・・・何の為に・・・?)
動揺しながら柴田はゆっくりノートに目を戻した。5月以降の数字が飛び飛びで後に続いている。
『5月23日、ミネラルウォーター1本、カルピスサワー、抹茶ババロア。今日レジの途中で電話を取ってた。柴田ですって言ってた。名前が分かった』
『5月25日、今日は柴田さんが来なかった、一日暇だった。と思ったら俺が終わった後に来たらしい。残念』
(ちょっと待て5月?5月っていつだ・・・?)
少なくとも柴田が逢坂をコンビニ店員以上として認識する前である。柴田は混乱しながらページを捲った。5月が終わって6月に突入しても調子は変わらない。
『6月3日、ミネラルウォーター1本、栄養ドリンク2本、グレープフルーツサワー、バニラビーンズ入りプリン、クールのボックス。最近来るのが遅い。仕事で疲れているみたい。心配』
『6月8日、ミネラルウォーター2本、栄養ドリンク2本、グレープフルーツサワー、コーラ、杏仁豆腐。今日最近来るの遅いですね、仕事忙しいんですかって聞いてみた。そしたらそうなんだ、ありがとうって言って笑ってくれた。勇気を出して聞いてみて良かった。俺にできることないかな』
『6月10日、ミネラルウォーター1本、栄養ドリンク2本、白桃サワー、チーズタルト』
『6月13日、ミネラルウォーター2本、白葡萄のサワー、ブルーベリーソースのレアチーズケーキ、クールのボックス。栄養ドリンクを今日は買わなかった。ちょっとは仕事落ち着いたのかな。顔色も良かった、安心』
(・・・なんだこれ・・・)
ページを捲る手が震えている。何が書いてあるのか分かるがゆえに、何故そんなことが逐一書き込まれているのか分からなかった。柴田はそれでも次の項を読まずにはいられなかった。本当に逢坂がこれを書いたのだろうか、一体何故、何の為に、そしていつから。柴田の目の前に立っていたのはいつだって、恐ろしい若さゆえの軽薄さを身にまとった逢坂だった。その逢坂がこんなものを書くはずがない。暗い部屋で背中を丸めてひとり、こんなものを書いて満足しているのが逢坂だなんて、柴田には絶対に信じられない。だって柴田の知っている逢坂は。
(俺は、しずかのことを、何も知らない)
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