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隣の堂嶋班
真中デザインの朝、出勤時間は決まっているが、朝から現場に直行ということも珍しくはないので、チーム全員が揃っていることは珍しかった。堂嶋は全部で5人の班を纏めるリーダーであり、朝出勤してくるとまず全員の今日の予定を確認することを日課にしていた。今日も何人か直行しており、机は空いている。堂嶋より早く出勤していることの多い徳井は、すでに椅子に座って背筋を伸ばしてパソコンを開いて眺めている。それにちらりと目をやってから、堂嶋はホワイトボードの昨日の予定の欄を全て消した。
「堂嶋さーん」
呼びかけられて振り返ると、同じチームの佐竹が立っていた。出勤してきたところなのだろう、肩に鞄がかかったままだ。佐竹は重たいそれを机の上に下ろすと、ひょこひょここちらに近づいて来た。隣に立つと、佐竹の方が背が高くて堂嶋は必然的に彼を見上げることになる。
「おはよう、佐竹くん、どうしたの」
「氷川さんのアレ!ウチの班と柴さんでやることになったってホントすか!」
「あぁ・・・うん」
そういえば昨日、佐竹は事務所にいなかったから、それを知らなかったことを、堂嶋は今自分で消してしまったホワイトボードを見上げながら思い返した。氷川が関わる仕事は大体真中が率先してやっていて、それがこの事務所の裏ルールみたいになっていて久しい。それが昨日のミーティングで急に仕事を振ってきて、慌てた記憶が新しく堂嶋の脳裏に残っている。それには所員も皆吃驚していたみたいで、昨日は柴田の机にもひっきりなしに所員が真実を尋ねて行っていた様子だった。それに柴田が酷く苛々していたのを、堂嶋は冷や冷やしながら遠目から眺めていたのでよく覚えている。
「マジですか。なんで俺、それから外されてるんですか!」
「知らないよ、君は今やってることに集中しろってことじゃないか?」
「っとに・・・!あー柴さんと一緒に仕事したかったー!一緒に会議にかこつけてお茶とか!現場とか行くにかこつけてドライブとかしたかったー!」
「・・・佐竹くん、ちょっと落ち着いてくれないか・・・」
佐竹が頭を抱えて言うのを、堂嶋は青くなって聞いていた。椅子に座っている徳井が、それが聞こえたみたいに、はははと乾いた笑いを上げているが、笑い事では決してない。堂嶋が首を回して徳井を睨むと、徳井がそれに気付いて首を竦める。
「堂嶋さん!次仕事回って来たら俺やりたいんで絶対メンバーに入れてください!」
「うん、絶対メンバーに入れないように真中さんに言っとくね・・・」
項垂れる佐竹の肩をぽんぽんと叩く。堂嶋は歳が近いせいか、柴田とは個人的にもよく話す間柄だった。基本的に顔色が悪くて、目の下がクマで真っ黒で、近視のせいで目を細めて物を見る癖があるので、時々睨んでいるみたいな目をしていることがあって概ね人相は悪い。偏食のせいで薄っぺらい体をしていて、それを気にしてはいるみたいだけれど、偏食の方は悪くなるばっかりで本人に直そうとする意思がない。仕事になると容赦がなく、真中のことも平気で叱る。大体の分からないことは柴田に聞けば分かることを、所員は皆知っているので、困ると真中でなく柴田に聞きに行くことも多い。項垂れる佐竹が一体どうしてそんなに柴田のことを気に入っているのか憧れているのか分からないが、堂嶋の知っている柴田はそういう人であった。
「堂嶋さんはいいっすよね、リーダーって立場を利用して時々ご飯一緒に食べに行ってるじゃないですか」
「・・・君が何を言いたいのか俺にはよく分からないけど、うーん、誘えばご飯食べに行ってくれるよ。多分。でも柴さんとご飯に行ってもあんまり楽しくないけど」
「俺は堂嶋さんの神経の方が分からないです」
「なにそれ、どういうこと」
ふっと頭を上げて佐竹はふらふらと自分のデスクに戻った。堂嶋もそれを追いかけるみたいに、自分のデスクに座る。リーダーの堂嶋の座っている位置から、全てのチームのメンバーの様子が分かるようになっている。机の配置は全ての班がほとんど同じようになるように決められていた。
「分かんないんですか、柴さんって、いつもじゃないんですけど時々ほら、すっごい色っぽい時がありません?」
「なにそれ!何言ってるんだ君は!」
「あー・・・俺、それ分かる」
「徳井くん!?」
「だろ!分かるだろ!?」
「君たちコラ!変なところで結託するの止めなさい!」
今まで傍観者だった徳井が突然口を割って佐竹の味方をしたせいで、堂嶋はひとりにされて妙に焦った。佐竹はきらきらした目で徳井とハイタッチをして、勝ち誇ったように堂嶋のほうを見やった。さっきまで肩を落としていたくせにと言いたい口を結ぶ。
「堂嶋さんは鈍いんすよ、なんで分かんないのかな、俺見てて勃つかと思う日とかありますよフツーに」
「・・・君は・・・そんな目で・・・柴さんを・・・」
「俺はフツーに柴さんおかずに抜いたことあります」
「と、徳井くん!?」
「お前勇者だな、徳井。俺もちょっと試してみよ」
「止めなさい!君たち!もう俺はどうしたら・・・!」
「おはようございまーす」
誰かの挨拶する声がして、はっとして堂嶋は入口に目をやった。柴田が出勤してきたところだった。先程までしていた話が一瞬で頭の上を掠めて、耳の裏が熱くなる。所員に頭を下げられている柴田は、今日も顔色が余りよくない。目の下も黒くて、それを隠すみたいなシルバーの眼鏡も最近ではあまり役には立っていないみたいだった。柴田は挨拶にいちいち足を止めながら、堂嶋のチームに近づいてくる。堂嶋は焦ったままちらりと佐竹と徳井の様子を見やった。ふたりはそこで黙って柴田のことを見ている。
「堂嶋さん」
「え、あ、なに・・・?」
「運いいすね、今日その日ですよ」
「その日だな、今日もフェロモン出てるなー」
「ほーんと、目の毒だな、あのひと」
「え・・・ぜんぜんわかんない・・・」
「わかんないんすか!堂嶋さんほんとアンタ鈍いな!」
「えー!もううるさいよ!君たちは!」
どんと机を拳で叩くと、佐竹が何か言いたそうに口角を上げた。するとその後ろを丁度柴田が通って、堂嶋は息を飲んだ。堂嶋の目にはどう見たっていつもの柴田に見える。柴田の足がそこで急に止まって、ふっとこちらを見やったのと目が合う。
「堂嶋」
「あ、はい!」
「昨日頼んでたスケジュールできてる?」
「あ、はい。朝イチでメールしときます」
「悪い、急かして。頼むわ」
近くにいた徳井が、話が終わって去っていく柴田の背中におはようございますと言って頭を下げる。それに習うみたいに佐竹もおはようございますと今まで話していたことを忘れるみたいな爽やかさで、頭を下げる。堂嶋はそれを見ながら頭がくらくらしてきた。
「おはよう」
柴田は短くそう言って、薄っぺらい半身を返して自分のデスクまで歩いて行った。その背中を黙って見送る。やはり堂嶋にはよく分からない。
「あの色っぽさが分からないなんて、堂嶋さんってガキですね」
「君は上司を捕まえてガキとはいい度胸じゃないか、佐竹くん・・・!」
「あー!今日なんで俺午後から出張なんだろー!今日はずっと柴さん見てたかったなー」
「残念だけど、柴さんは午後から俺と氷川さんと打ち合わせだから結局事務所にはいないよ」
「リーダーばっか柴さん独り占めしてずるい!俺らにも分け前を!分け前をください!」
「うるさい!変なこと言わないでくれるかな!朝から」
「あ、今度うちの飲み会に柴さん呼びません?堂嶋さんそうしましょーよー!柴さんならぐちぐち言わずに気持ち良く奢ってくれそうだし!」
「あ、いいねぇ、それ。俺、柴さんとゆっくり話したことないからしてみたい」
「もううるさいよ!君たちは!何でウチのチームこんなんばっかりなんだー!」
天井を仰ぐようにして堂嶋は頭を抱えた。
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