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ルナとこの世の文明の利器
きちんと服を着て戻ったルナがちょこんと隣に座る。
「これで良い?」
「あ、うん。なんか飲むか? お茶?」
「あるの? お茶飲みたい! お茶! お茶!」
ずっと水ばかりだったからか、それはもう嬉しそうに繰り返すので、未開封の玉露入りの高そうなヤツを開けた。
俺一人だったらペットボトルので充分なんだけど、ルナにはきちんとした物を飲ませてやりたかった。
ふわん、と漂う渋さと甘さの混ざった緑茶の香をつい深呼吸して胸に溜め込んで楽しんでいると、全く同じ行動をしているルナと目が合って、妙におかしくて吹き出した。
「さっきの質問……」
「ん?」
「確かに山も滝もあるよ。館以外は自然しかなくて。年中花が咲いていて、とても美しいよ……」
ふ、と細くなった目は懐かしんでいるのだろうか。
「帰るのか?」
何を言っているんだ、と一人ツッコミを入れた。
帰るだろう。ルナはこの世界の存在ではないのだから。
おそらくルナは神か神に近い者だ。そんな存在をたかだか人間の俺が引き留める方がおかしい。
「無何有郷 には帰らない。さっき深海 と約束した。深海は一人にするな、裏切るなと俺に言った。俺はそれに応えてこの姿を顕にした。俺は深海と一緒にいたい」
今までの少し甘えた無邪気な口調とは一転して、ずいぶんと大人びたルナの言葉が嬉しいと同時に怖かった。
この世界は嫌だと言ったのはルナだ。
この姿でこの世界にいるのは負担だと言ったのはルナだ。
じゃあ、いつか、この世界に心底嫌気がさしたら……やっぱり帰るんじゃないのか……?
「深海?」
ルナが帰ると言うまで、一緒にいたいと願うのはダメだろうか?
「身体、大丈夫なの? ツラいんじゃないのか?」
んー、と小さく唸ってルナは目を閉じた。
「上手く言えないけど、深海の領域は過ごしやすい。空気が澄んでる」
そう言われて部屋でタバコを吸うのはやめようと決めた。
何となくで吸い出したタバコは、人と話したくない時や心の隙間を埋めるのに役立っていた。
「ルナが望むだけ、ここにいれば良いよ……っていうか、いてください」
俺の我儘。
許されるだけその金眼を見ていたい。
澄んだ声で名を呼ばれたい。
俺の知らない世界の話を聞きたい。
「えと、よろしくお願いします!」
ひょこっと下げられた頭を撫でる。
もう一つ、我儘追加。
絹糸のように滑らかなこの髪に触れたい。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
金眼の中に自分の姿を見た。
ルナも俺の眼の中に自分を見たのだろうか? ふ、と照れ臭そうに微笑むと、すっかり冷めた湯呑みに手を伸ばした。
「お茶、美味しいねぇ」
ふんわりと笑うルナに新しいのを、と言うといつも俺が飲んでいる黒い液体は何だ? と聞かれた。
コーヒーだと答えると
「無何有郷にはないなぁ」
と残念そうな口振りで、コーヒーとは何だと熱心に聞いてきた。
「ちょい待ち……コーヒー、コーヒー……」
スマホでネット検索をして、コーヒーノキの種子を焙煎した後に粉末にして熱湯か水を注いで飲むのだと教えると、ただでさえ丸い目を更に丸くして今度はスマホに食いついた。
「コレは……遠くの人と話したり、メール……手紙をやりとりしたり、さっきみたいに調べ物ができたりする機械だ」
「むぅ……人の世とはすごいな! これは水鏡のような物か……」
とひとしきり唸って薄っぺらいスマホを恭しく両手で抱えて、首を曲げて背面を覗き込んだりしていた。
「ゲームもできるぞ? やるか?」
「げえむ?」
説明するより実際に見せた方が早いだろうと判断して、簡単そうなパズルゲームのアプリをダウンロードした。
「同じ色を三つつなげるんだ。早く動かして消さないと上からどんどん降ってくるからな。消せなくなったり、時間切れしたらお終い。ちゃんとできたら……ほら新しい問題が出てくる」
「わわわっすごい! 何で!? 深海は魔術が使えるの!?」
スマホの画面を滑る俺の指と俺の顔を交互に見やって興奮しているのか金眼がキラキラと輝いている。
それに見惚れて……俺は三ステージ目でゲームオーバーになった。
「あー負けた。次、やってみる?」
「やる!」
ルナはしばらく画面見つめて、緊張に震える指先でタッチした。
「うぉ! 動いた! くるくるしてる!」
すごいすごいとはしゃぐうちにタイムアップ。
画面はどんよりした暗い絵柄で止まっている。
幸い平仮名で“にゅーげーむ”と表示してあるので、そこを触れば何度でも挑戦できると教え、俺は初めてのスマホ、初めてのゲームに夢中のルナを見つめた。
集中しているのか、少しとんがった上唇が可愛い。
失敗して画面が暗くなる度に口の端が歪んでいく。
知らなかったとはいえ、猫じゃらしで遊んでしまった事にほんの少し罪悪感のような物を覚えた。
神様に猫じゃらしなんて、俺なんかバチ当たるんじゃないの?
うーうー唸るルナの頭を撫でて
「食器、洗ってくる」
と伝えてキッチンへと向かう。下げるだけだった食器を洗っておかないと、なんてもっともらしい理由をつけてルナから離れた。
でないとルナがゲームに飽きるまで、俺は飽きもせずルナを眺めていそうだった。
「み、深海〜できないっ」
キッチンから戻るとルナは半泣きで暗い画面のスマホを渡してきた。
スコアを見れば三十戦二勝二十八敗とある。二勝は俺だな。
どれだけがんばった? とツッコミたいのと吹き出したいのをこらえてルナを呼ぶ。
「おいで」
床に座り込んで、足の間にルナを座らせた。
「手、貸して……そう人差指。力抜いてて」
一回り小さいルナの手を包んで、そっと画面の上を滑らせると、触れたカラフルなブロックが回転した。
「これはできたよ!」
肩越しに覗いているのでルナの表情が見えないのが惜しい……けど口調からすると拗ねているような?
「で、次は……コレかなぁ……で、コレ」
「すごい! 深海すごい!」
ばっとものすごい勢いで振り返って俺を見るルナとの距離の近さに、今の体勢を冷静になって頭の中で描く事ができた。
足の間に座らせて。
背中から抱くように右手を重ねて。
二人でスマホを持って。
認識した途端、心臓が音を立て始めて、一気に顔が熱くなった。多分耳まで。
「深海? もう一度!」
「あ、うん」
ステージをクリアする度にルナはすごい! と喜んで振り返る。
俺の心臓、大丈夫かな。
こんなドキドキ、卒業式に告白した時以上だ。
転送してもらった本命彼氏とのキス写真を見た時の心臓もやたらとうるさかったけど、あの時とは……種類が違う。
「あのさ、ルナ」
今なら言えると思う。
言いたい、知っておいて欲しいと思う。
子猫のルナに泣いてすがった俺の弱さを。
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