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第2話

田崎菱(たさきりょう)。濁らない方のタサキ、らしい。高校を出てストレートで入学したそうで、年齢は梓と同じ19歳。静岡出身。この春上京してきて、まだ都内の喧騒には慣れていない。やや方向音痴の気がある―と本人は言っていたが気があるどころの騒ぎではないと思う―ので、大学構内で迷ってしまい、30分程授業に遅れてしまったらしい。 ちなみに今日の昼食は学食の塩だれチキンステーキ定食、デザートの杏仁豆腐付き。 「なんで急にお昼ご飯のメニュー?」 「お昼も一緒に食べたから」  月曜日の昼下がり。とうに4限目が始まっている時間だが、大学近くのこじんまりとしたカフェで、梓はホットココアをちびちび飲みながら、事のいきさつを話していた。  梓の向かい、いわゆる萌え袖な両手でカフェラテの入ったカップを包み、こちらも同じくちびちびと飲み進めていた松永梨音(まつながりおん)が首を傾げる。大きな瞳にぷっくりとした唇。いつ見ても女子と間違えそうになるが、目の前に座っているこの生物はまごうことなき男子大学生である。  高校の同級生で同じ大学に進学したこの男は、可愛らしい容姿をしていながら実は相当頭が切れる。首席でこそなかったそうだが、入試は法学部トップクラスの成績だったと聞いている。 「ふうん。で、午後は?」 「月曜で被ってる講義は1,2限だけ。そもそも俺、月曜3限で終わりだし。でもお互いの時間割確認したら、毎日何かしら同じの取ってて」 「へえ、それって気が合うのかもね。ていうか、梓がここまでしっかり好みの顔だって言うの、初めて聞いたよ。顔だけじゃ性欲は満たされないけど」  思わず口に含んだココアを吹き出すところだった。どうにか口から一滴も出さずに嚥下して二、三度咳き込む。  高校時代から恋愛対象は異性ではなかった。絶対的なマイノリティなのは知っていたから、必然と孤立を感じる他なかった。そんな梓が腐らずに学生生活を過ごすことが出来たのは、偏に同じ境遇でどんな時もそばで叱咤激励しつつ、たまに甘えさせてくれていたこの親友のおかげである。 「でも、いいじゃん。毎日がご褒美」 「……梨音は、ご褒美ないの」  咳払いをしてわざとらしく話題を変える。これ以上、梨音のペースで話を続けていたらいたたまれなさと恥ずかしさで身動きが取れなくなりそうだ。  カフェラテのカップを置いて仕方なさそうに微笑む。また梨音の優しさに甘えてしまった。これはこれで大人げないことをしている自覚もあるが、今日はこれ以上の羞恥に精神力が耐えられる気がしないので大目に見てほしい。 「新しい彼氏出来た?」 「まさか」  確か、高校時代付き合っていた年上の彼氏とは卒業と同時に別れたと言っていた。別れた直後はあまり元気がないような気がしたが、そろそろ1ヶ月ほど経過するからだろうか、ここ数週間は笑顔も増えてきている気がする。 「いい人いないの?」 「んー、今は大学に慣れる方が優先って感じかなあ。恋愛は暫くいいかも」 「ふーん……前の人はもういいんだ?」 「割とお互いドライだったしね」  相手が社会人とはいえ、高校生でドライってなんだ。 心の中でツッコミを入れながら曖昧な相槌を打ってココアを飲み干す。聡明な彼だから、きっとお互いが納得するように結末をつけたのだろうが、悲しみや寂しさという感情は事実や結論のように綺麗に片付くものではない。 (言わないだけで、やっぱり傷ついたよな)  詳しいことは梨音が言わないので聞かない。でも何も分からないからと、土足で踏み入ることもしない。 「やっぱりやめた」 「え?」 「僕の話は面白くないよ。あ、すみませーん」  上手な会話のキャッチボールが出来ていない気がする。急に店員を呼び出した梨音は、梓が呆気に取られている間にカフェオレとホットココアのおかわりを頼むと天使みたいな笑顔で悪魔の発言をした。 「さ、もうちょっと梓の惚気、聞こうかな」  まだ惚気じゃない。いや、まだって、それもどうなんだ。  にこにこと朗らかな梨音の笑顔の前では、白旗を上げる他ない梓なのである。

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