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第8話

迎えに来てくれた菱と連れ立って大学を後にし、駅前繁華街へと繰り出す。居酒屋は夜の営業を始めたばかりの頃合いで、ゴールデンタイムには満席になる格安居酒屋にも難なく入ることが出来た。 「ご注文お決まりになりましたら、ベルでお知らせください」  バイトの女の子がポニーテールを揺らして会釈する。こちらも会釈を返し、メニューに視線を移した。 「梓、お酒は飲める?」 「強くはないけど、カクテルとかサワーとかなら」 「良かった、俺もそんな感じ」  安堵したような声に視線をあげると、照れくさそうな笑顔を向けられる。内心ときめきながら、梓は隠すようにぎこちなく微笑んでもう一度メニューに視線を戻した。 「お、おれ、レモンサワーにする」 「いいね。じゃあ俺も」  ついでにつまみも何品か選んでしまおうということになり、そのまま食事のメニューにも目を通す。学生人気の高い格安居酒屋なので、安くて量のある野菜や揚げ物のつまみから、がっつり系のご飯ものまで、かなり豊富である。適当にそれぞれ2品ほど選んで、先ほど席へ案内してくれた女の子にオーダーを伝えた。他愛のない話をしていると、程なくしてドリンクが運ばれてきた。 「乾杯でもする?」  せっかくなので、と切り出してみる。 「そうだね。じゃあ……俺たちの給料日に」 「はは、乾杯」  差し出されたジョッキグラスに自分のものをがつん、とぶつける。楽しそうに笑った菱がぐっとジョッキを仰ぐと嚥下して上下に動く喉仏が見えた。いやいや、待て。そんなにじっくり見るな、おれ。 「あー、美味しいね」 「う、うん!」  純粋な笑顔で攻撃されると、少し後ろめたくなってしまう。軽く咳払いして邪念を払っていると、先ほど注文した料理が運ばれてきた。 「お腹空いたね、食べよ」 「うん。美味しそうだな」  いただきます、と端を揃えて手を合わせる。菱はこういう些細な挨拶もしっかり欠かさない。行儀が良くて親切、やることなすこと丁寧。もちろんリストランテのアルバイトでも。 「どうしたの、食べない?」 「いや、食べる食べる」  またじっと見惚れてしまった。数回かぶりを振って梓も箸を手にした。 「うっわ、梓の注文したカマンベールチーズフライ、めっちゃ美味しい」 「これ美味いよな、おれ好きなんだ」 「へえ、チーズ好きなの?」 「そ、無類」  菱を真似て梓も頬張ると、サクッとした衣からとろりと溶けたチーズが溢れて糸を引く。零れないようにと皿を近づけて格闘していると、菱がふふ、と笑った。 「ん?」 「いや、こうして飲みに来るの実は初めてだったから。梓が無類のチーズ好きだなんて知らなかった」  目を細めてこちらを見る視線が、言外に知れて嬉しいという気持ちを伝えてくる。首のあたりがそわそわとくすぐったくて、梓はフライを無理やり口に詰め込みながら必死に照れを隠した。 「た、誕生日プレゼント、チーズでもいいよ」 「はは、そんなに好きなのか」  笑った菱がぐっとレモンサワーを呷る。酒はそれ程強くはないとの自己申告だが、飲み方から察するに弱くはないのだろう。  菱の隣にいると、好きな顔だからだけじゃない何かで胸がいっぱいになって、ドキドキするのとは別に不思議な安心感がある。それはきっと、こうやって他人の好きなものや、行動、思考を尊重しながら、他人の歩幅に合わせることが出来るからなのだなと思う。 (なんだろう、おれ。もしかして、もうとっくに) 「梓?」  その先を考えようとした瞬間、菱が梓を呼んだ。途端にぼんやり浮かびかけていた大切なことは霧散して、捕まえることは出来なかった。 「ご、ごめん。チーズに夢中だった」  その場しのぎにも程がある言い訳をすると、菱が仕方なさそうに眉を下げて笑った。ふと、思春期真っ最中だという双子の妹にも、こうやって許すようにちょっとだけ自分の考えを押しとどめるように、切なく笑うことがあるのかな、という考えが過る。それなら、少し嬉しい。 「梓の誕生日っていつ?」 「10月10日。銭湯の日」 「え、銭湯?」  きょとん、と目を丸くして菱が尋ねる。梓はかしこまるようにわざとらしく咳払いし、背筋を伸ばして続ける。 「そ、銭湯。10月10日ってイチゼロ、イチゼロだろ?一千と十だから、銭湯」 「なるほど。はは、語呂合わせか」  合点がいった、と笑う。数か月一緒にいて、やはり菱の笑った顔が一番好きだと改めて思う。接客中に作った笑顔より、こうやって自然に笑った笑顔の方が、菱の場合は綺麗に見える。 「菱は誕生日、いつ?」  少し緊張しながら、尋ねてみる。 「ああ、3月21日」  さらりとした回答だったが、梓の脳裏にはしっかり刻まれた。絶対一緒に祝いたい。これから10か月弱。隣にいることが出来るだろうか。 (いや、気が早い)  心の中で自分につっこみを入れていると、菱が思い出したようにスマートフォンを取り上げる。 「そういえば、今度うちの双子が誕生日でさ」 「へえ、いつ?」 「2週間後」  言いながら、菱が画面で何かを確認している。カレンダーか何かだろうか。 「誕生日プレゼントとか、あげるの?」 「うん、それがさ」  言いだして、菱のスマートフォンの画面が目前にくる。見ると画面はカレンダーなどではなく、今はやりのSNSだった。トーク画面の上部にいくつか名前が表示されている。どうやら家族間とりわけ兄妹のトークルームのようだ。  メッセージを読んでいくと、話の流れは誕生日プレゼントの詳細を話し合うものだと分かった。画面の一番下に表示されているメッセージを読み上げる。 「オシャレで可愛いものがいいな……?」 「そう」  軽いため息とともにスマートフォンが菱の手元に戻っていく。  これは初めて見る。かなりの難解な問題にぶちあたった表情に見える。そして、それだけではなく。  助けを求められているのではなかろうか。 「オシャレで可愛いものってなんだろう」  視線が遠い。困っているのは分かっているが、不謹慎にもちょっと可愛い。 「去年は何あげたんだ?」 「去年は友達の間で流行ってるって話してた漫画を買ってあげたんだ。だから、今年もそうしようかと思ったら、今年は違うものがいいって」  確かめるようにもう一度スマートフォンの画面を見る。何度も自分の心の中で問答したのだろう。そして、答えは見つからなかったのだろう。その顔は途方に暮れているようにも見える。 「具体的に何がいいって聞いても、お兄ちゃんのセンスでって言われるし」  お兄ちゃん。その響き、ちょっとぐっとくる。  ひとつ、梓の頭に提案が浮かぶ。でも例のごとく、梓の心の中では批判殺到の嵐だ。  迷惑かもしれない。断られたら傷つく。大きなお節介。  否定する言葉がいくつも浮かんでくる。しかし、ほんのりと回ってきたアルコールが、いつもなら口を固く結ぶ梓の自制心を、ほんの少し和らげた。 「おれも一緒に選びに行こうか……?」  少し客の増えてきた居酒屋の中、他の会話に紛れてもおかしくないくらい小さな声だった。  それでも、とても優しくて妹想いの、笑顔の綺麗な男は聞き逃さなかった。 「いいの?」  ほんの数秒前まで寄っていた眉間の皺が、すっと無くなっている。真っすぐ見つめ返してくる視線にいたたまれなくなって、梓は咄嗟に目を逸らした。 「おれがいても、何も変わらないかもだけど」  レモンサワーのジョッキで口元を隠して視線をうろうろと彷徨わせながら呟く。  こういうところが可愛くない。分かってる。 「そんなことないよ。心強い、ありがとう」  楽しみだ、と。菱が心底喜ぶように笑うので、梓はひたすらに赤面するしかなかった。

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