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2016年2月6日(土)お題「童話」
目が覚めると視界に広がる見慣れたシーツ。微かに痛みを覚える頭と、この体の気怠さはアルコールのせいだけではないだろう。起き上がろうと試みるが、シャワーの音が聞こえて再びシーツの波に沈む。
昨夜は行きたくもない同僚たちとの飲み会に連れて行かれて、二次会まで付き合わされた。アルコールに満たされた体は意志に反して行ってはならない場所へと向かってしまったのだ。
幸か不幸か、アルコールで記憶が飛ぶような事がないために鮮明に覚えている。何もかも忘れてしまえたらいいと何度願ったのかは覚えていないくせに、俺を包むあいつの匂いも忘れられないままでいる。
そのうちシャワーの音が消え、扉の開閉音。それから近付いてくる足音。すべての音さえも愛おしい。
「おい、そろそろ起きろ。もう昼前だぞ」
とっくに目など覚めている。繰り返しこれが最後だから、と言い訳をして俺はもぞもぞとさらにシーツに顔を埋めた。
「腹減ったんだけど、お前はどうする?」
起きろと声をかけておきながら、次の言葉は飯の話。俺が寝ているのではなくベッドから起き上がらないだけだと知っているからだ。言葉を発する事なくふるふるとシーツに顔を擦り付けるように頭を左右に揺らして必要ない事を伝えると、足音は遠ざかる。
『お前は本当にズルイよな』
そう言って苦笑しながら部屋へ入れてくれるお前はズルくないのかと言ってやりたいけれど、一度も言えた事はない。間違いなくズルイのは俺だとわかっているから言えるはずもなかった。
出会った頃からずっと変わらない。
俺のワガママを『ズルイ』と言って受け入れてくれる。初めて触れた時もそうだった。どうして応じてくれたのか、今でも変わらないのは何故なのか、臆病な俺には何一つあいつに尋ねる事が出来ず、こうしてただあいつの匂いに包まれていられる時間を一秒でも多く過ごすだけだ。
きちんと閉じられなかった扉の先から届く美味そうな香りも、俺には不快でしかない。あいつの匂いが薄れていってしまうのは俺をひどく不安にさせる。
だから、飯なんて食いたくない。
シャワーも浴びたくない。
このままでいたい。
のそりと動いて昨夜脱ぎ捨てたままの下着とTシャツだけ身につけて、あいつの元へ向かうと小さめのテーブルには二人分の炒飯が並べられていた。
「いただきます」
礼儀正しく合わせられた左手の薬指がキラリと光る。変わらない俺たちの唯一変わってしまったモノ。ここにはもういないのに、決してそれが外される事はなかった。存在している限り、これから先も変わらない変わってしまったそれに俺はずっと思い続けるのだろう。
「……本当にズルイ男だよ、お前は」
零れ落ちた涙の理由も、優しく拭ってくれる理由も何もかもがわからない。知りたくもない。
だって。
俺はオトナになんてなりたくない。
10年前からずっと、そう願い続けているのだから。
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