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2016年2月13日(土)お題「バレンタイン」
今日もキミはぼんやりと空を見上げていた。いつだったか、空はどこまで続いているのかと尋ねられて困った事がある。
ボクもいつものように隣に腰掛けて、俯き地面を見つめた。
ボクらの間に会話はあまりない。お互いにポツリと零れた言葉へポツリと応じる程度だ。
隣り合って座っていても、その距離が縮まる事もない。キミは定位置から動けないし、ボクも動かない。たまたま居心地の良い場所が同じだっただけで、ほぼ毎日こうして一日のうちの限られた時間を過ごしているだけだ。
「ねぇ」
「なに?」
「もうすぐバレンタインだよ」
「そうだね」
「楽しみじゃないんだ?」
「ボクはあまり興味がないから」
「ふぅん」
キミの声には抑揚が少なくて、耳心地が良い。ボクもあまり喜怒哀楽を表に出すのが得意じゃないから、静かで穏やかなこの時間が好きだ。
「恋人はいないの?」
「いないよ」
「へぇ…」
ボクにいろいろな事を尋ねてくるのはいつもと変わらないけれど、ボク自身の事を知りたがるのは初めてかもしれない。それはキミの中で何かが動き始めた証拠だった。
寂しさで胸がいっぱいになってもボクは変わり続けるキミを喜ばなければならない。
「オレは一人だけいたよ」
「……うん」
「もう、いなくなっちゃったけど」
「うん」
「オレも一緒にいけたら良かったのにってずっと思ってた」
カツンと音がして俯き続けていた顔をあげると、厚手の上着を着ていても細く頼りない体つきをしている事がわかる。空を見上げていた顔は白くて儚げだ。それが今、ボクを見下ろしている。ゆっくり音を立てながら一歩ずつ進んでボクの目の前に立った。確かにこちらを向いているけれど、視線は絡まない。
「ねぇ、オレ先生のこと知ってるよ」
「え?」
「先生も、オレが変わったこと、知ってるんでしょ」
いつになく饒舌なキミにボクは戸惑っていた。ここで過ごした日々の中で得たものが他の人間には見えないものを感じ取れるようになった事は知っていたけれど、キミが真実しか言葉にしない事も知っていたから。
ボクがここを、キミを、逃げ場にしていたといつ気付かれてしまったのだろう。
キミの手がボクの顔に触れる。
確かめるように指先が顔を撫でる。
「見えなくても、わかるよ」
出会ってから初めて笑顔を見た日からしばらくして、いつものベンチはボク一人だけのものになった。毎日一粒ずつ口にした甘いキミからのプレゼントは今日でなくなってしまったけれど、寂しくはない。
「明日何の日か知ってる?」
「知ってる」
キミが空を見上げずにボクを見つめるために会いに来てくれるから、今度はボクがキミへ甘いプレゼントを贈るんだ。
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