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第3話 東京での休日(前編)

 温かくて、適度に固いものが、冬馬(とうま)の腕の中にある。愛犬のルーシーみたいで気持ち良い。彼は夢見心地のまま、腕の中の温かい(かたまり)をキュッと抱き締めた。頰を(こす)り付けると、それは触り慣れた愛犬の()(もう)ではなく、人間の皮膚だった。 「!!!!!!」  彼は驚いて、瞬時に飛び起きた。周りを見回したが、全く知らない部屋だ。それに、自分の物ではないパジャマを着ている。ただ、一緒にベッドに寝ている上半身裸の男の顔には、何となく見覚えがある気がした。 「……っつ……」  冬馬は両手で、左右のこめかみを押さえた。頭が猛烈にガンガンする。同じベッドに寝ていた男が、冬馬の呻き声に反応して目を覚ました。寝起きで怠そうだったが、男は、冬馬を気遣うように見つめている。 「大丈夫? 君、昨日、日比谷公園で気絶したんだよ。あのまんま放っておけなくて、俺の家に連れて来たんだ」  その声と心配げな表情で、目の前の男が昨夜助けてくれた恩人だと気付いた冬馬は、大声をあげた。 「あぁっ! 昨夜の……。ご迷惑をお掛けして、すみませんでしたっ! ……うっ……」 「あー、二日酔いじゃない? とりあえず、急に動いたりしないほうが良いよ」  男はベッドを抜け出て、冷蔵庫に向かった。上半身は裸、下半身はハーフパンツ一枚の彼の後ろ姿に、冬馬は見とれた。肩幅が広く、腰回りに掛けてきゅっと引き締まった背中には肩甲骨が浮き出ていて、程良く筋肉が付いている。浅黒い肌は滑らかで、傷一つない。 (こういう体型を、確か日本では『細マッチョ』って言うんだよな。カッコ良いなぁ)  男はペットボトルを持って戻り、冬馬に手渡した。彼の男性的魅力にどぎまぎした冬馬は、彼の身体から目を逸らしながら水を受け取った。 「昨日は、偉い人のお供で、銀座のスナックにでも連れて行かれた? 君みたいな若い子がホステスに囲まれて飲んでも楽しくないよな? 大変だったね」  男はペットボトルの封を切って、ごくごくと一気に半分ほど飲み干すと、冬馬に微笑みかけた。  東京に来てから、ずっと異星人のような気分で寂しかった冬馬は、自分の気持ちを見抜かれ、急に気が緩んだ。ぽろぽろと涙をこぼす冬馬を、男は無言のまま、同情するような眼差しで見守っていた。 「……すみません。僕、日本人ですけど、生まれも育ちも外国で、初めて東京に来たんです。自分の国のはずなのに、三日経っても馴染(なじ)めなくて……。昨夜も心細かったんです。助けてくださって、ありがとうございました」  素直に打ち明けた冬馬は、涙を拭うと、目の前の男に微笑み返した。 「君、今日、何か予定あるの? 日本は今日から三連休だから、ビジネスミーティングのアポはないんじゃない?」 「ええと……。はい、アポはないです。今日から三日間は自由時間なので、観光しようと思ってたんですけど……」  おずおずと答えた冬馬に、男は悪戯(いたずら)っぽく言った。 「俺が案内しようか? 外国人観光客向けのガイドブックに載ってない東京を」 「そ、それは、あまりに厚かましいですし、申し訳ないです」  慌てて顔を左右に振り遠慮する冬馬に、男は眉を下げた。 「俺とじゃイヤ?」 「いえ、そうじゃなくて……! 見ず知らずの方に、そこまでしていただくわけにはいきません。あなたにもご予定があるでしょう?」  男は憂鬱(ゆううつ)そうな表情で俯き、溜め息をついた。 「……実は、先月、恋人にフラれたばっかりで、連休の予定も全部無くなっちゃったんだ。一人でいても、別れた相手のことばっかり考えちゃうからさ。君に付き合ってもらえたら、俺も気晴らしになるし。人助けだと思って、頼むよ! ねっ?」  目の前の男は上目遣いで、すがるように冬馬を見つめている。 (こんなにお世話になった人から、助けてなんて言われたら断れないよ……)  冬馬は想定外の展開に戸惑い、唇を噛んだ。 「そうですね……。もし、本当にあなたのご迷惑でなければ」  遠慮がちに冬馬が答えると、男は嬉しそうに目を細め、歯を見せて笑った。 「じゃ、決まりね! せっかく遊びに行くんだから、カジュアルな服のほうが良いよな。後で洋服屋に連れて行くけど、それまでは俺の服貸すよ」  男は冬馬の返事も聞かず、にこにことTシャツやパーカー、細身のデニムを手渡し、自分も着替え始めた。男の方が数センチ背が高かったので、(そで)(すそ)は少し長かったが、手持ちの服の中でも細身のサイズを選んでくれたのか、だぶだぶにはならなかった。  部屋には、しっかりした机と本棚があった。本棚に入りきらない本は机に積み上がっている。相当な勉強家だ。しかも並んでいるのは、エネルギープラントや大規模プロジェクトの資金調達に関する本だ。 (この人もしかして、商社かエンジニアリング会社で働いてるのかな?)  尋ねようとした瞬間、室内のどこかでスマホの振動音がした。男はハンガーに掛けてある冬馬のジャケットからスマホを取り出し、冬馬に手渡した。父からの着信履歴が朝から何度も残っている。 「うわ……。やばい……」  ホテルに戻っていなかった冬馬を心配しているに違いない。酔って行き倒れ、知らない人に助けられたなんて、とても父には言えない。冬馬は瞬時に言い訳を考え、発信ボタンをタップした。 『もしもし、冬馬か。今どこだ?』  ワンコールで、少し苛立った声の父が出た。 「友達の家に泊めてもらってるんだ。ケニア合宿に来てた陸上選手の一人だよ。SNSで僕が日本に来たって連絡したら、遊びに来いって誘ってくれたんだ。思ってたより酔いが早くて、父さんに連絡する前に寝ちゃった……。心配かけて、ごめんなさい」  申し訳ない気持ちを声に乗せた。 『友達と一緒なら良いが、行き先や誰と一緒かは、あらかじめ言いなさい。心配するだろう。ご挨拶したいから、その人に電話に出てもらってくれ』  冬馬はギョッとしたが、チラリと男を見ると、二人の会話は完全に聞こえていたらしい。 『俺、電話出るよ』  声を出さずに口の形だけで彼は言った。冬馬は男にスマホを手渡した。 「お電話代わりました、河合(かわい) (ゆう)()と申します。冬馬さんが東京にいるって聞いて、お誘いしました。昨夜は僕が少し飲ませすぎてしまい、申し訳ありませんでした。 それと、今日から三日間は、お仕事の予定がないそうなので、僕が冬馬さんを案内しようと思っていますが、よろしいですか?」  丁寧な物腰に、父は彼を信用し恐縮したらしい。息子をよろしくと電話は切れた。 「お父さん、俺と一緒にいて良いってさ。 とりあえず朝飯食おう。豊洲(とよす)市場に行こうぜ。寿司とか生魚は食べれる?」 「……はいっ! 大好きです!」  目を輝かせ、ぶんぶんと首を縦に振る冬馬を見た男は、また目を細めた。

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