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第4話 東京での休日(後編)

 豊洲(とよす)市場に着いた冬馬(とうま)は、目を大きく見張り、口をポカンと丸く開け、驚きと感動で言葉を失った。  まるで日本食のワンダーランドだ!  様々な種類の海産物が所狭しと並ぶ店や、色々なサイズの包丁、調理器具が並ぶ店。 見るもの全てが珍しく、キョロキョロと左右を見渡す冬馬の腕をさりげなく取り、彼はにっこり微笑みかけた。 「さ、こっち。人気の寿司屋は混むから、さっさと行っちゃおう。腹ごしらえしたら、この辺もゆっくり見て回ろうよ」  彼は一直線に目当ての店へ案内してくれた。寿司屋に入ると、慣れた調子で二人分のお寿司を注文してくれる。冬馬はカウンターの上のガラスケースを興味深く見つめた。冬馬の目線に気付いた彼は、魚の種類について教えてくれた。 「ここの店は白身魚が多いので有名なんだ。一番左から、鯛、スズキ、ヒラメ、その隣は、イサキかな?」 「……オレンジ色っぽい、小さい舌みたいなの、あれは何ですか?」 「ウニだよ。黒くてイガグリみたいな生き物の卵巣なんだ。甘くて美味(うま)いよ。食べたことある?」 「いえ。名前だけは聞いたことありますけど。僕が普段暮らしてる国では、手に入らないと思います」  冬馬が、恐々(こわごわ)ウニを眺めていたら、彼が声をあげた。 「大将! おまかせに、ウニ入ってます?」  白い半袖開襟シャツを着た寿司職人は苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。 「河合(かわい)さんには(かな)わないなぁ。ええ、『河合スペシャル』には入れときましょう」 「そう言えば、河合さんっておっしゃるんですね。助けてくださった方のお名前もきちんと伺わず、失礼しました」  彼は、チラリと冬馬に流し目を送ってきた。その(おく)二重(ぶたえ)の切れ長の目や思わせぶりに軽く尖らせた唇がセクシーに見え、冬馬はドキッとした。ケニアで冬馬の周りにいるのは、殆どがアフリカンだ。大学ではブリティッシュの比率が増えるが、いずれにせよ東アジア人はごく少数だった。  見慣れない東アジア男性の美しさ、彼の色香に、思わず冬馬は軽く頬を染め、慌てて目を逸らした。 「うん。俺、河合 雄吾(ゆうご)って言うんだ。君は冬馬君って言うんだね。ケニアから来たの?」  彼は優しく尋ねた。 「はい。僕は、大澤(おおさわ) 冬馬と言います。アフリカのケニアから来ました」 ■  生まれて初めて日本の寿司屋のカウンターで食べたお寿司は、どれも美味しかった。念願をかなえた冬馬は満面の笑みを浮かべ、次々にお寿司を頬張った。そんな冬馬の姿を、大将と雄吾は嬉しそうに見ていた。 「僕、こんなに美味しいお寿司、生まれて初めて食べました! 大将、ご馳走様(ちそうさま)でした」  丁寧に頭を下げた冬馬に、大将は目尻を下げた。 「そんなに美味しそうに食べてもらえたら、握り甲斐(がい)があるなぁ。また、河合さんと一緒にいつでもおいで」 (僕だって、また来たい。でも、二十歳で初めて日本に来たんだ。次に来れるのは、いつになるんだろう……)  一抹の寂しさを感じたが、せっかくこうして優しく歓迎してくれた大将を、この場でがっかりさせるのは申し訳ない。冬馬は、すぐに笑顔に戻った。 「はい。そうします。どうもご馳走様でした」  冬馬が挨拶している間に、雄吾は勘定(かんじょう)を済ませた。慌てて財布を出そうとした冬馬を、雄吾はやんわりと止めた。 「初めて日本に来てくれた若い子にお金払わせるわけにはいかないよ。俺が誘ったんだし」 「……でも……」  なおも遠慮する冬馬の肩を軽く叩き、雄吾は言った。 「じゃ、豊洲市場を見た後、原宿行かない? 日本のKawaii(カワイイ)文化は、海外でも有名だろ? そこで、パンケーキかクレープ(おご)ってよ。俺、実は甘党なんだよね」  日本土産のお菓子は、味の美味しさと繊細さ、見た目の優雅さで、いつも冬馬を魅了した。生菓子はケニアに届くことがないので、映像や写真で見るだけの垂涎(すいぜん)の的だ。 「僕も、クレープ食べたいと思ってました!」 冬馬が更に目を輝かせると、雄吾は満足気に笑った。  ゆりかもめでは、窓ガラスに額を張り付けんばかりにして周りの景色を見渡す。原宿では、個性的なファッションに身を包んだ若者に感嘆(かんたん)の声をあげ、クレープの具を選ぶのにたっぷり三分は悩んだ。できあがったクレープを冬馬が口いっぱいに頬張(ほおば)ると、雄吾は楽しそうに笑った。 「冬馬君、頬袋に餌を貯めてるハムスターみたいだ。そんなに美味しい?」  喋れない代わりに冬馬はコクコク頷いた。 (こんな美味しいおやつ、初めて!) 雄吾はスマホで冬馬の表情を撮影した。 「豊洲でも思ったけど、美味しそうに食べてる時の冬馬君て、可愛いね」  目を細めた彼の優しい笑顔に、冬馬はドキッとした。クレープの最後のひと口が、喉をゴクリと下りていく。その長い指を伸ばし、彼は冬馬の口元に優しく触れた。冬馬は再びドキッとした。 「クリーム、付いてるよ」  指で拭い取った生クリームをぺろりと雄吾が舐める姿は、官能的ですらある。 (な、なんて色っぽいことするんだ、この人は……。僕とは昨日初めて会ったばかりなのに! 恋人同士みたいじゃないか……)  冬馬の胸の高鳴りをよそに、雄吾はスマホで撮った写真を確認しながら独り言のように呟いた。 「やっぱり現役アスリートはよく食うなぁ」  冬馬は訝し気な声をあげた。 「えっ? 僕、スポーツやってるなんて、雄吾さんに言いましたっけ?」  さも当然のように雄吾は答えた。 「だって、陸上やってるだろ? 見れば分かるよ。お父さんへの電話でも、日本人選手と一緒に練習したって言ってたし」  驚いて雄吾を見つめると、彼はサラッと言葉を重ねた。 「冬馬君は中距離だろ? 俺も、昔やってたんだ。怪我で辞めたけどね」 雄吾は少し切なげに笑った。怪我での引退は不本意だったのかもしれない。冬馬は反応に迷い、口をつぐんだ。 なおも彼は感心したように冬馬の身体を上から下まで眺めている。 「冬馬君は中距離ランナーとして理想的だよ。良い身体してるもんなぁ。上半身は薄く筋肉が付いてて、脂肪は少ない。脚はしっかり筋肉付いてるけど、太くはない」  まるで冬馬の服の下まで見てきたようだ。そう言えば今朝、自分は彼のパジャマを着ていた。自分で着替えた記憶はない。 (雄吾さん、僕の服を脱がせたの?)  感謝より羞恥心が先に立った。雄吾が男性的で美しい身体の持ち主であることも、恥ずかしさに拍車をかけた。彼と比べたら、自分の細い身体はまるで子どもだ。それを見られて触られたと思ったら、居たたまれない。思わず両腕を交差させて自分の身体を隠し、冬馬は頬を赤らめて小さく叫んだ。 「やっ、やだぁ! 雄吾さん、僕の身体を見たり触ったりしないで!」  雄吾はキョトンと不思議そうな表情を浮かべている。 「チームメイトの男同士なら、更衣室とかシャワーで一緒に裸にならない? ケニアでは違うの?」 「…………」  雄吾の言う通りだ。ケニアでも、ロッカールームやシャワーでは誰もが裸だ。冬馬だって、チームメイトの男子学生に身体を見られて恥ずかしいと思ったことはない。なぜ雄吾だと恥ずかしいのだろうか。冬馬は自分でもよく分からなかった。少なくとも、初対面だけが理由ではない。

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