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第5話 誘惑と困惑

 六本木でカフェに立ち寄った時、冬馬(とうま)は、景色が見たいからテラス席に座っても良いかと雄吾(ゆうご)に尋ねた。 「もちろん。好きなところに座りなよ。冬馬君は何飲む? 普通のアメリカンで良い?」  雄吾の問い掛けに、冬馬は笑顔で頷いた。テラス席を見渡すと、小型犬を連れた外国人カップルが目に留まった。つぶらな瞳に、故郷で留守番中の愛犬を思い出した。冬馬は彼らの隣のテーブルに腰掛けた。ニコニコと犬を見ていたら、自然と世間話になった。犬が好きなのか。国はどこか。  彼らと話していると、強い視線を感じた。振り返ると、眼鏡をかけた北欧系と思しき金髪の男性が冬馬を見つめていた。反射的にヨーロッパ式に微笑を返したが、男はなおも冬馬に熱い視線を送ってくる。目線を外すタイミングを失った冬馬は困惑し、軽く頬を赤らめた。  小型犬連れのカップルは、予定があると席を立ち、冬馬に軽く挨拶してカフェを立ち去った。雄吾はまだ戻ってこない。 (どうしよう)  眼鏡の男性とレジの間で目を泳がせていると、男は表情を和らげて歩み寄り、冬馬の隣に座った。愛嬌ある笑顔を浮かべて彼は言った。 “Can you give me some time?” (少し話しても良い?)  いくら恋愛に疎い冬馬でも、このシンプルなフレーズは、いわゆるナンパの定型句だと知っている。 “Well……, I'm with my friend. He's in the queue.” (僕には連れがいます。彼、コーヒーを買うのに並んでくれてますが) “Oh, your English has a perfect British accent. Where are you from? Are you living in Tokyo or travelling? ” (君の英語、完璧なイギリス風発音だね。どこから来たの? 東京に住んでるの? それとも旅行?)  シャイな冬馬は遠回しに断ったつもりだった。しかし、少しおずおずと遠慮がちな様子が、男の目に思わせぶりに映っているとは考えも及ばなかった。男は冬馬に身体を密着させてきた。 『その気はない』 どう言えば伝わるだろう。考えあぐねていると、雄吾が不機嫌そうな表情を浮かべ、コーヒーを手に戻ってきた。 “Hey, Thoma, what's wrong?” (冬馬、どうした?)  彼は眼鏡の男を軽く(にら)み、圧を掛けた。 “Is there any business with my sweetheart?” (私の恋人に何か用ですか?)  眼鏡の男は、俄かに慌てた。 “Oh, I'm sorry I didn't know you were his boyfriend.” (ごめんなさい、恋人がいるなんて知らなかったんです)  その男は冬馬からパッと身体を離した。雄吾に丁寧に謝り、冬馬に向かって気まずそうに微笑んで肩を竦めた。男がカフェから立ち去ったのを見届け、雄吾は大きく溜め息をついてドスッと椅子に腰かけた。 (ああ、助かった)  雄吾はまだ不機嫌な顔のままだ。誤解を解かなければ。 「……あの、ごめんなさい。さっきまで隣に座ってたカップルと犬の話をしてたら、あの男の人が割り込んで来たんです。君、英語流暢(りゅうちょう)だねって」  おずおずと言い訳する冬馬に、雄吾は僅かに苛立った表情を見せた。 「俺に謝る必要はないよ。だけどさ、あれ、どう見てもナンパじゃないか。イヤならハッキリ断らないと。……あ、俺、もしかして余計なことした? 冬馬君、ああいうのがタイプだった?」  雄吾は皮肉っぽい笑みを浮かべ、悠々とコーヒーを啜っている。横目で冬馬の反応を窺い、からかおうとしているかのようだ。  冬馬は血の気が引くのを感じた。鋭く細いもので心の柔い部分を突かれたようだ。 「……僕、男の人を誘ったりしてません。僕はゲイじゃありません」 少し低めた声で、冬馬は自身がゲイであることをきっぱり否定した。わなわなと指先が震えていた。冬馬の心を支配していたのは、恐怖と憤り、そして恥の意識だった。  実は冬馬自身も、自分の恋愛対象は同性かもしれないと、思春期の頃から薄々気付いていた。  しかし、彼の生まれ育った環境は、同性愛者に対して極めて過酷だった。ケニアを含むアフリカの多くの国では、同性間の性行為は犯罪だ。しかも、それ以上に、社会的な偏見と差別が激しい。愛する故郷で働く夢を叶えるため、冬馬は自分の性的指向を隠し抜くと決めていたのだ。

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