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第17話 愛ある別れ

 二人が最初で最後の夜を過ごした翌日は、離れがたい気持ちを映したような涙雨(なみだあめ)だった。  シャワーを浴びて、下着姿で窓から外の景色を眺めていた冬馬(とうま)を、雄吾(ゆうご)が後ろから抱き竦めた。 「今日は雨だし出掛けないで、時間と体力の限界まで愛し合おうぜ」  振り向いた冬馬の目は、うっすらと涙の膜に(おお)われて光っていた。彼は、返事の代わりに、雄吾の首に手を回して、濃厚に口付けた。 「冬馬、キス上手くなったね」  雄吾は悪戯(いたずら)っぽく囁いた。 眼差しだけで、雄吾に何をして欲しいかを伝えるのも。雄吾に貫かれ揺さぶられて、風に揺れる柳の木のような風情で男心を鷲掴(わしづか)みにするのも。 「もう俺は冬馬のとりこだよ」  昨夜、雄吾が耳元で囁いた。  抱き合えば抱き合うほど、愛しさが募り、別れがたい気持ちになる。こんなに相手を求めているのは、自分だけじゃないはずだ。一晩愛し合っただけで、これほど肌が馴染んだ二人が、この先も一緒にいられたら、一体どこまで行けるんだろう。  雄吾が、最後に冬馬の最奥(さいおう)に精を放った時、彼は(かす)れた声で冬馬の名を呼んでいた。  荒い呼吸が落ち着くまで、しばらく二人は無言のまま抱き合った。沈黙を破ったのは冬馬だった。 「……僕、そろそろ帰らなきゃ。明日は、日本で一番大事なアポがあるんだ。今は父のオマケでしかないけど、エネルギー会社と取引のある会社に、僕の名前と顔を覚えてもらうのは大事なことだから」  涙を浮かべつつも、きっぱりと語る冬馬は、覚悟を決めた表情を浮かべていた。  彼の目に、強い意志と高潔(こうけつ)な使命感を見て取った雄吾は、一瞬言葉に詰まった後、優しく微笑んだ。 「……せめて、最後まで送らせてくれよ」  冬馬は無言で頷いた。そして、自分のスーツに袖を通した。雄吾は冬馬の姿を眺め、感嘆の溜め息をついた。 「こうやって見ると、冬馬って王子様みたいだなぁ。心も姿もきれいで、品が良くて」  冬馬は照れたように苦笑した。  二人は地下鉄に乗り、(とら)ノ門(のもん)駅で降りた。江戸(えど)見坂(みざか)の交差点で冬馬は立ち止まった。 「雄吾、ありがとう。ここで良いよ」  冬馬はポツリと言った。そして強い眼差しで雄吾を見つめた。 「僕は何も雄吾に約束できない。だから、電話もメールもしない」  雄吾は無言で頷いた。二人は男友達同士のように肩をぶつけ合い、友情のハグをした。 「頑張れ。君なら絶対に成功する。もう会えなくても、世界のどこかのプラント建設現場から、君が夢を叶えるのを応援してる」 雄吾は優しく囁くと、小さなキスを冬馬の頬に落とした。  一時間ほど前まで、熱く抱き合っていたとは思えないほど、別れ際の二人はあっさりした態度で振舞っていた。しかし、互いに背中を向けて歩み出した二人は、それぞれ寂しさをこらえ、目には涙を浮かべていた。晴れた夜空に浮かぶ月だけが、そんな二人を見ていた。 ■  宿泊先のホテルに戻った冬馬は、父の部屋を訪ね、今戻ったことを報告した。 「明日のアポは、予定通りで良いんだな?」  父は休暇中の行動について細かく尋ねたりせず、淡々と今後の予定を確認した。根掘り葉掘り聞かれる覚悟をしていた冬馬は拍子抜けしたが、父の次の言葉に身が引き締まった。 「お前はもう大人だ。自分の行動の責任は、自分で取れるだろうし、取らなきゃいけない。……それに、悪いことをしてたわけじゃないんだろう?」  静かに冬馬の心を見通すような父の眼差しに、これまでなら、おどおど目を伏せていたかもしれない。しかし冬馬は、正面から父の目を見つめ返した。 「もちろんだよ。自分自身に対して恥じるようなことは、一切してない」  曇りのない瞳できっぱりと言い切った冬馬に、父は軽く驚いた様子だったが、それ以上何も言わなかった。

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