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(05) 気持ちを伝える事
俺がこの仕事に向いてない。
壮太さんは、ハッキリとそう言った。
なぜ、どうして!
たしかに、経験が浅いのは認める。
クレーム対応にマニュアルはないし、臨機応変が求められる。
でも、それも慣れの問題だ。
なにも、『向いてない』なんてわざわざ口に出して言う事はないではないか。
確かに、壮太さんは尊敬に値する人だ。
しかし、だとしても俺は納得できない。
ある日のバイト帰り。
俺は待ち伏せして、壮太さんが店から出てくるのを待った。
きっと口論になる。
だから、店に迷惑が掛からないように外で話そうとしたのだ。
監視を始めて早々、裏口から壮太さんが出てきた。
俺は追尾を開始した。
駅を降りてからは、近づき過ぎないように細心の注意を払う。
商店街を抜け、特に寄り道も無く自宅と思しきマンションへ。
ここまで来ればいいだろう。
俺は、小走りで壮太さんに近づいた。
「壮太さん! 話があります!」
「ん? 伊吹か? ったく、迷惑なやつだな。こんな所までつけてきたのか?」
呆れ顔で俺を見つめる壮太さん。
俺は真剣な眼差しで見つめ返す。
グッと唇を一文字に閉め決意の程を表した。
「ほら、入れよ」
壮太さんは、ため息をついた。
そして、セキュリティドアを開くと、俺に入れと促した。
壮太さんの部屋。
俺は物珍しそうにキョロキョロする。
一人暮らしにしては広い。
物は少なく、ドカンと大きなベッド。
大きめのテレビに本革のソファ、そしてスタイリッシュなテーブル。
きっと、お店の給料以外にも収入があるのだろう。
ふと浮かんだのは、店長の存在。
お金を貰って……。
俺はかぶりを振り、俺は何を考えているんだと、自戒した。
「で、なんだ? 話って?」
壮太さんはソファに深々ともたれて言った。
もちろん、壮太さんは俺が話したい内容は知っているはず。
その上での質問。いわば挑発。
俺は、それには乗るかと冷静になって話し始めた。
「壮太さん。俺、確かに、壮太さんみたいにお客さん受けもよくないし、才能も無い平凡な男です。でも、ただ1回のミスで、この仕事に向いていないなんて納得できません!」
俺は壮太さんに訴えかける。
「訳を教えてください!」
壮太さんは、面倒くさそうな顔をした。
おそらく想像通りの内容だったのだろう。
でも、俺は答えを聞くまで諦め無い。
壮太さんは、俺のそんな熱意に負けたかのように言った。
「まぁ、いいだろう。教えてやろう」
「はい! お願いします!」
壮太さんは、腕組みをした。
「そうだな。お前、お客様をちゃんと見てないだろ?」
「へ? お客様をちゃんと……見ていない?」
俺は壮太さんが何が言いたいのか分からずそのまま復唱した。
「やっぱりな……何も分かっちゃいない。いいか」
壮太さんは、脚を組み直して丁寧に説明を始めた。
「接客というのは、相手が何を望んでいるか、それを察して先にサービスを提供する。つまり、お客様がオーダーを口に出す前から始まっているんだよ」
「お客様のオーダーを聞く前からって……そ、そんな事、出来る訳……」
俺の反論に壮太さんはすぐに答えた。
「できる。相手の表情、仕草、服装、話し方。なんだって、ヒントになっている」
壮太さんは続ける。
「これができなきゃ、この仕事は勤まらない。お客様を喜ばす事なんてできやしない。だから、お前には向いていない。分かったか?」
俺は衝撃を受けた。
あの時のミスの事だと思っていたのに、違った。
俺の働き方全てに対するダメ出し。
ずっと、俺の仕事っぷりを見られていたって事なのだ。
俺は、ガックリと肩を落とした。
「……そんな事、できっこないです……」
「満足したか? さぁ、帰りなさい」
壮太さんの言葉は胸に突き刺さった。
俺なりに頑張って来たものは、意図も簡単に否定された。
悔しくて悔しくて仕方ない。
のはずなのに….…。
胸の中で何故か温かくて優しい物が燦々と輝く。
何故?
俺は考える。
そして、小さい頃の事をふと思い出した。
あれは俺が父親にこっ酷く叱られ家を飛び出した時の事。
公園でブランコを一人漕いでいた所、母親が迎えに来てくれた。
「さぁ、イブキ。おうちに帰ってお父さんに謝りましょう」
嫌だ嫌だと喚き立てる俺に母親は言った。
「いい、イブキ。お父さんがイブキを叱るのは、イブキの事が大好きだからなの」
「大好き?」
「そう! イブキが成長して立派な大人になるのを期待しているの。だから、イブキも期待に応えなきゃね!」
そう、あの時、母親が教えてくれた事。
俺は、すっかり忘れていた。
叱るって事は、成長を期待しているって事。
どうでもいいやつをわざわざ叱ったりしない。
壮太さんは、俺を叱ってくれた。
そうだ。
この胸の温かさは紛れもない、壮太さんがくれたもの。
壮太さんの期待、そのものなのだ。
俺は、この瞬間、壮太さんの事が分かり始めて来た。
霧が晴れて行くように。
そして、さらに重要な事。
どうして、壮太さんは、俺にだけキツイ言葉を投げかけるのか。
そして、俺が何故それを不快に感じないか。
俺は、今、それをようやく理解した。
壮太さんは、黙りこくる俺の肩に手を置いた。
「送ろう。さぁ、立ちなさい」
俺はその手をギュッと握り締めた。
そして、壮太さんを見上げる。
「壮太さん、一つ教えてください」
「何だ?」
「壮太さんは、どうして、俺にこんなにも優しくしてくれるのですか?」
壮太さんは、驚きの表情で俺を見た。
「は? お前は何を言っている。オレはお前になんか優しくした覚えはないぞ」
「いいえ! 俺にだけ特別に優しいです!」
俺は、拳を固めて言った。
「こんなアドバイスをくれたじゃ無いですか!」
「アドバイス……のつもりでは無かったが」
「それに、俺にだけ本音をぶつけてくれます」
「本音?」
壮太さんは、黙った。
俺は、壮太さんを観察した。
一体何を言うつもりだ。そんな不安そうな顔をしている。
やっぱり、壮太さんは自覚がないんだ。
それが俺にとって何より嬉しい。
「壮太さんは、確かにお客様に対してはすごく優しいです。俺以外のバイトの仲間達に対してもです。でも、それは意図した優しさ。違いますか?」
壮太さんは、俺の言葉を待っている。
俺は続ける。
「俺に対しては一見冷たく見えますが、それは素の壮太さんですよね? 一人でいる時と同じの」
壮太さんは、驚きで言葉が出ない様子。
俺はそんな壮太さんの手を取った。
大きい手のひら、長くほっそりした指。
ピアニストのような綺麗な手。
俺は、その手を自分の頬にピトッと押し付けた。
壮太さんの温もり。
やっぱり、あたたかい。
「壮太さんは、俺に対してはいつも本音で、ありのままの姿をさらしてくれる。俺は嬉しいんです。壮太さんが心を許してくれているのを……」
俺の嬉しい気持ち。
壮太さんにも伝わりますように……。
俺は、壮太さんの温もりを感じながら目を閉じた。
壮太さんは、突然笑い出した。
「ふっ、ふふふ。あははは。面白い」
額を手で抑え、そのまま前髪をかき上げた。
「確かにな……そうか、確かにそうだな。オレも気が付かなかったよ。お前には素で話しかけていたんだな」
壮太さんは、そう言うと、笑い顔から一転して真顔になった。
そして、俺を睨らんで言う。
「お前が何か特別なのは認めよう……だとしてもオレにとっても、お前にとっても何かが変わる訳じゃない。さぁ、帰れ。そして別の仕事を見つけろ!」
壮太さんは、立ち上がると俺の手首を乱暴に引っ張った。
このままでは、玄関に放り出される。
そして、二度とチャンスは訪れない。
ずっとモヤモヤしていた気持ちはハッキリしていた。
俺は、壮太さんを愛している。
この気持ちを伝えなくては。
俺は引きづられる手を必死に引っ張り、叫んだ。
「待ってください! 壮太さん。壮太さんは、お客様を喜ばす為にすべてを尽くすって言いましたよね? それが接客だって」
「ああ、言ったな」
壮太さんの手を引く力は緩まない。
「俺にとってのお客様は、壮太さんなんです! 壮太さんを笑顔にさせたい。喜ばせたい、どこの誰よりも俺自身で。それが俺の接客です!」
俺の心からの告白。
壮太さんの心に届きますように……。
俺は目を閉じて祈る。
壮太さんの動きが止まった。
やがて、壮太さんの声。
嘲り笑う声が耳に入った。
「な……プッ、はははは。なんだそれ?」
くっ……届かない。
涙が溢れる。泣いてしまいそうだ。
いや、まだだ!
俺は歯を食いしばり自分を鼓舞する。
「おかしいですか? 俺は壮太さんと同じ事を言っているだけです!」
「お前のは屁理屈だろう?」
「屁理屈じゃありません! 壮太さんは俺の事を特別かもしれないって、言ったじゃないですか! きっと、俺にしかできない、壮太さんを満足させられるものがある。違いますか!」
はぁ、はぁ。
息が切れる。
壮太さんと目が合った。
ダメだ。
もう抑えきれない。
込み上げて来て蒸せる。
目から溢れた涙が頬を伝い、大粒の涙が手の甲に落ちた。
ごめんなさい、壮太さん。
俺、もうこれ以上どうしようもできないです……。
俺は、壮太さんの胸に飛び込んだ。
そして、声を上げて泣き叫んだ。
「うっ……ううわぁあん……わあん……」
壮太さんは、俺が泣き止むまでずっと介抱してくれた。
背中をポンポンと叩き、俺は母親に抱かれていた時の事を思い出していた。
しゃっくりが治ったところで、壮太さんは声を掛けてきた。
「気が済んだか?」
俺は、顔を上げて無言のままコクリとうなづいた。
壮太さんは、そうか、と俺のまつ毛の下をソッと触った。
優しい仕草。
壮太さんは、俺の目をジッと見て言った。
「……なぁ、伊吹。オレにも一つ教えてくれ」
「なんでしょうか?」
「どうして、オレにこだわるんだ?」
俺は即答した。
「わかりません!」
「は? なんだそれ?」
呆れた顔をする壮太さん。
そんな顔をされたってしょうがない。
俺は壮太さんの目を見て答える。
「わかりません。だって、俺は壮太さんと出会った時から、壮太さんの本当の笑顔を見たくて見たくて、しょうがなかったのですから!」
俺と壮太さんはしばらくの間見つめ合っていた。
ふと、壮太さんは目を閉じた。
そして、口を開いた。
「そうか、お前の気持ちはなんとなくわかったよ……」
俺は、不安気に壮太さんを見つめる。
「本当の笑顔か……確かにお前の言う通り、心から笑った事なんて最近までなかったな。お前をからかって遊ぶまでは……」
壮太さんはそう言うと柔らかい笑顔で俺の頭をポンポン撫でた。
俺はくすぐったくて照れ笑いをした。
「オレは、お客様をもてなすことばかりに気を取られ、オレ自身の心を置き去りにした。笑う事さえ忘れていたなんて……」
壮太さんは、俺の顎を持ち上げて目を見つめる。
「伊吹。オレは、お前といると素直になれる。オレの心を満たしてくれるのはお前だけかもしれない」
俺は、すぐに言った。
「そうです! 壮太さんを癒せるのは俺だけです! 俺が壮太さんを癒します! 絶対に! 絶対に!」
壮太さんは、クスッと笑った。
そして、小さく「ありがとう」と言った。
俺と壮太さんはゆっくりと顔を近づけ唇を合わせた。
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