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『嘔吐』第4話

「セオ、さん。飲み代とタク代、あとこの水代払います」 「要りません」 「や、でもその、迷惑掛けたし。すげーみっともないとこ助けて貰ったし、わりーじゃないですか。恋人でもねーのに、」 別れたのに、と付け加えようとしたけど、またみっともなく泣き出しそうな気がしてしまって言えなかった。金なんか要らないから早く出て行けと背中が言っている気がした。 なのにリビングのソファに腰掛けている落ち着いた後ろ姿が愛しい。 すみませんセオさん、やっぱ俺別れたくねーんですけどもう決まっちまってるんで何も言えません。どーしたら良いんすか、どーしたら縋りそうになるのを我慢出来るんすか。好きででもわかんなくて苦しくて悲しいのを穏便に鎮める方法を教えて下さい。俺今切実に困ってます。 なんて事を元カレに言える訳ねーじゃねーですか。一番に相談してーのに出来ねー相手が今目の前に居て、どうしようもない状況に消えちまいたいです。 「ぜんじろーくん」 「……なんすか」 「ダブルベッドを買おうと思ってます」 「そ、ですか」 はい、だからまだ暫くはシングルです。 そう言い放って不意に立ち上がったセオさんが寝室の方に向かうのをただ目で追うしかなくて、それと同時にリビングに置いてけぼりにされる自分の処理方法がわからなくて。どういう意味だと問い詰める勇気もなかった。 仲直りのサインで俺と寝る為のダブルベッドを買ってくれるっつー事ですか。それとも新しいベッドとやらは新しい人の為のものなんすか。判断しようにも言葉が少なすぎて混乱するだけで奥歯を噛み締める。 「ご自由に」 「……っ」 寝室に姿を消す前に右手を上げて見せて、左手で扉を手前に引いて閉めたセオさんが最後に残した言葉に目を見開く。何だよ、その器用さ。その言葉の意味。見透かされてんの、どうなの。 目を見開いて硬直した所為でワンテンポ遅れて重い体が衝動的に寝室へと急ぐ。たった数メートルの距離なのにごちゃごちゃと色んな感情が心に充満してて、おまけに酔っぱらってて、焦り過ぎてて。足が縺れて遠い、リビングと寝室との距離が遠い。脱ぎそびれてた靴が脱げた。あぁ、忘れてた土足で家ん中、あぁ。 今までと同じだ、セオさんが遠い。同じ家の中に居る筈だってのに、たった一枚の扉隔てた隣同士の部屋に居るってのに。 本当に寝てんのかどうかも分からない、寝息とか心拍数とかも聞こえない。気配すら感じない。 いつもセオさんは遠い。 しがみつく様にドアレバーに手を掛けてばくばく五月蠅い心臓が落ち着くのを待とうとしたけど、もう無理だった。突っ込むみたいに体重を掛けて押し開いたら横から伸びてきた腕に力一杯抱き寄せられる。待ち構えてたのかよ、ずりーよ。 ふわっと香る懐かしいセオさんの匂いに眩暈がした。まだ酔ってるのかそれとも惚れ過ぎてるのか。きっと両方だ。さっきまで遠くて遠くてしんどかった筈なのに、お互いの心臓の音まで聞こえそうな距離っていうか、セオさんの音が聞こえる近さがしんどい。 「ちゅーしていい?」 「……、ずりーです、そういうの」 「知ってる。だから、」 我慢出来なくて顔を上げたのを見計らったかの様に噛み付くみたいなキスが襲ってきて、無抵抗な唇を割って入ってきたセオさんの舌が乱暴に口の中を乱した。息が続かなくってギブサインとして肘辺りを握り締めたら一息だけ空気を吸う猶予を与えられた後、今度はとんでもなく甘くて優しいディープキスに変わって、今度は体勢を維持する為にしがみつく。 「っ、ふ、んン」 「は、……ン、ふぅ、う……せ、おさ、」 もっととせがんだら、ゆっくりと離れて行った唇から目が離せない。ねぇだからずりーってそういうの。何でいつもそうやって肝心なところばっかすり抜けてくんすか、ねぇ。 「……寝ます」 「な、んで」 何回も何回も引っ張られて痣が出来てるかもしれない腕をまた引っ張られてベッドに投げ遣られた。情けない顔で情けない声でなんでと抗議したら、同じ様な顔したセオさんは肩を竦めただけだった。 壁際に体を寄せたらセオさんも寝転んできて、やっぱりシングルベッドに男二人はきついし狭くて、身動ぎしたら互いの睡眠を邪魔するのも当然だと改めて納得する。距離を詰める様に首の下に腕を差し込んだ後で、俺を抱き込んだセオさんの顔が近い。これじゃ元も子もない、このまま寝ちまってもどっちかが動いたらどっちかのこと起こすってば。 「えっちはぜんじろーくんの顔色が戻ってからね」 「ま、って。また、寝れねーって、これじゃ、」 「うん」 「セ、オさ、」 「二人ともお仕置きなんです」 ふ、と熱の籠った互いの吐息に欲情を感じた。今すぐ馬鍬って何も考えられなくして欲しい。でも眉間に皴を寄せて固く目を閉じたセオさんが拒んでいる事はよく理解出来て、お仕置きの意味が身に沁みた。心臓痛い。 何ヶ月も期待させといて、でもそんな俺の期待もあっさり打ち砕いてきて、まだ焦らすなんて鬼畜過ぎる。キスして一緒に寝てるだけなのに、若干勃起してるのを今すぐ扱いて熱を出したい。もぞもぞと身動ぎするのを止める様に改めて抱き込まれて泣きそうになった。 「だめ、だって」 「なんでっ」 「優しく出来ない」 「いいのに、っ」 よくないって苦しげに呻いたセオさんの手が背中を撫でる、たったそれだけの動きにさえぞくぞくするのに。前戯に繋がる事なく子供をあやす母親宜しくぽんぽんとリズムを刻み始めたから、もう何も声を出せなくなった。

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