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『嘔吐』第6話

重い瞼を抉じ開けると既に朝陽が差し込んでいて、隣にあった筈の温もりは既に無くなっていた。壁に掛かった時計を見るといつもの起床予定時刻より十五分遅い時間。寝起きだからかだらだらとしか思考が回らず、嗚呼仕事に行かねーとと思ったところで起き上がる。ぐらりと世界が傾いて酷い痛みが頭を貫いた。……酷い二日酔いだ。 思う様に力が入らない体には未だしつこいアルコールが残っているんだろうか、それとも真夜中の行為の名残なんだろうか。すっきりとは程遠い重苦しい体を引き摺って、寝室から出る。 リビングでは、ゆっくりと珈琲を嗜む朝が日課なのだと以前教えてくれたセオさんがせかせかと動き回っていた。ソファの周囲に脱ぎ捨てっぱなしだったスーツとYシャツを拾い上げて洗面所に向かおうとした時、漸く俺に気付いたらしいセオさんが慌てた様子で駆け寄って来た。 「、ぜんじろーくん、?」 「……なん、すか。おはよーございます。遅刻するんで用意しねー、と」 喉が焼けたのか酷い声で、思う様に喋れなくて。ぼーっとする視界に映るセオさんが歪んでいる。 これは本当に現実なのだろうか。現実にしてはあまりにも曖昧すぎて、ふわふわしている。何よりセオさんが上手く見えないのは異常だ。セオさんの向こうに見える壁紙もいつもとは少し違う風に見える。まるで夢みたいに曖昧な視界にくらくらした。 「荷物、とか。なんだ、仕事、終わってから。なるべく早く、纏めて。そんで、あの。なるべくセオさんに、その、迷惑とか、あんまり掛からねー、ように、」 「違う、そうじゃなくって。今日は日曜日だから、ぜんじろーくんも僕も休みですよね。着替えなくていいので、一刻も早く寝室に戻って下さい」 熱あるって自覚ないんですか。 困った様に眉尻を下げて笑うセオさんの言葉をよく噛み砕いて理解するや否や、手からスーツがすり抜けていった。 今日日曜?熱?俺が?え? こんがらがる前に意識が遠のくのを感じて、あ、やばいと思ったけどどうにも出来なかったらしい。 次に目を覚ました時、俺は再びベッドの上でセオさんはベッドに背中を預けて床に座っていた。 手を伸ばせば届く距離に頭があって、天然パーマのふわふわの茶髪に手を伸ばす。猫っ毛だなーって。最初の頃にも思った事を再び実感しながら、一度目の目覚めよりも幾分マシな気分にほっとする。 「セオ、さ、」 「熱さがったら、ちゃんと出ていきます、おれ」 セオさん? ちっとも動かない背中、なかなか返って来ない返事。あれ、まだ俺夢見てんの。何だこの夢、超中途半端。これ、セオさんが死んでたりしたら、夢でも立ち直れない自信あるよ。 「んー……?あぁ、ぜんじろーくん?水持ってくる?」 「え、セオさん、もしかして寝てた、んすか、」 振り返らずに立ち上がりながら掛けられた声はやけにまったりとしていた。その声と同じ様にセオさんはまったりとリビングの方へ行って、水の入ったグラスを手にまったりと戻ってきた。ぐしゃぐしゃでふわふわな髪が覆っている所為で良く顔が見えない。でもアンニュイな雰囲気だけは確かに感じ取れて、俺が今ここにいる事が間違っている様な気がした。差し出されたグラスを素直に受け取れない。 「あの、さっきも言ったんすけど、その。熱さがったら、」 「うん。えっちするって約束です」 は。いや、違うくねーですか。 俺の言葉を遮った言葉が余りにも素っ頓狂で言葉を失う。 今なんつった。 「お願い。うん、そうだったって言って。言って下さい。言い、なさい、ぜんじろー、」 水が並々入ったグラスが布団に落下していくのがスローモーションに見えて、覆い被さってくる影を拒めなかった。耳に残る『お願い』が涙声だったと遅れて気付いたら、思わず抱き締め返していて喉に何かつっかえたみたいに苦しくなった。 「違うくねーですか、それ」 「……違いません」 「そ、すか」 「えっちするって、約束しました、」 「や、あの。一番サイテーなパターンだと思うんすよ、それ。喧嘩した後、ごめんとか言わずにセックスみてーな事してなあなあで仲直りって。一番だめなやつですよ、大人として」 「ダブルベッドならさっきネットで注文しました」 「や、そーいう事じゃねーから。ちげーから、セオさんそれ絶対間違ってっから」 昨日は一つ言葉を返せばヒートアップした筈なのに、今はどうだ。一つ言葉を返す度に抱き締めてくる力が強くなってくる。 いよいよ体が苦しいと訴え出す頃、無性に可笑しくなって吹き出したら笑いが止まらなくなった。 ごめん、とか確信的な言葉の一つも交わせずに、遠回しに出て行くなって言いながら抱き付いてくるセオさんがおかしい。この状況に心の底から安心してる自分もおかしい。 「好きですセオさん、大好きです。いちばん好きです、どうしたらいいんすか、これ」 「一緒に居ればいいと思います」 「そ、すか。そーすよね、わかりました」 「はい、ぜんじろーくんの物分かりが良くなって安心しました」 中途半端な体勢で抱き付いていたセオさんをベッドに誘導して、ごそごそと腕をセッティングして勝手に腕枕にしたら目の前に顔があった。鼻の頭が赤いし、目も潤んでいる。その目に映る自分の顔が何とも具合が悪そうで、また少し笑って目を閉じたら至極近くでセオさんも笑ったようだった。

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