8 / 18

『嘔吐 -Another-』第2話

事故になんて遭わないように、だけど一刻も早く。制限速度なんて無視して、信号に捕まる度に脇道をすり抜けて。まるでドラマのワンシーンみたいに。 多分彼の方が主役に向いていて、僕はと言えば主役には不向きな方で、チョイ役の脇役かエキストラの方が似合っていると思うんだけど。 少しくらい格好付けたいのが男の性じゃないですか。 手遅れでも、既に無様で不格好な男に成り下がっていたとしても。 まだ何も纏まってない。まだ何にも辿り着いてない。 捨て猫は見て見ぬふりしてればいい、ノンケの男なんて放っておけばいい、向こう見ずのゲイの告白なんて、青臭い春の思い出なんて葬り去ってしまえばいい。その方がよっぽど楽でよっぽど幸せだ。たとえ未来に広がる景色が悲しくて寂しくて色褪せたとしても、──・・・・・・嗚呼、でも、彼を諦められない。 これはかつてないレベルの失敗ですよ、とんでもない失態です。 もう取り返しのつかない事態に発展しているかもしれない。もう取り返しのつかない関係に崩れ落ちたかもしれない。 何より僕の思考が手遅れですね、これじゃ。 ドアベルがぶら下がった扉を引き開けて、小洒落た洋楽が響く店内で突っ伏す金髪の男を視界に捉えるや否や酷く安堵した。いた、見つけた。 マスターの視線を感じる、ヤリチン共の内の1人が我先にと歩み寄ってくるのが視界の端に見える。ダメです、彼は僕の恋人なので。 「ぜんじろーくん、お店の迷惑ですよ」 彼の背後に迫るハイエナを阻むように体を捻じ込んで耳打ちをしながらすっかり酔い潰れた彼の腕を掴む。渡す訳ないじゃないですか、アンタなんかに。 「……ッ、てめー、には、もうかんけー…ねーっ、でしょ、」 くぐもった声を聞き逃さない。呂律回ってないですよ、意識はあったんですね、良かった。でも立てませんよね、一体何杯飲んだんですかこんなになるまで。 瀬尾じゃんなんだよ、別れたんじゃなかったの、それ俺が今日持って帰りてぇんだけど。いらねぇなら頂戴よ、可愛がってやっからさ、なんて下卑た唸り声が背後から聞こえる。 目を細めて細腕を握る力を強めても拒絶を示す彼は動く気配がない。違う、たぶん動けない。 せっつくように背後から踵を蹴りつけてくる趣味の悪い靴を思い切り踏んづけて躙る。嗚呼、鬱陶しいですね。 「関係あります。ここは私のテリトリーで、私が常連として通っている場所なので。元だとは言え私の恋人が酔い潰れて迷惑掛けた、だなんて話になったら私の立場が悪くなります」 外行きの顔で酷く不適切な言葉を吐いた自分に驚いた。完全な八つ当たりだ。葛藤がむくむくと姿を変えてお門違いのイライラとなって募って募ってしょうがない。 皮肉めいた言葉は背後の輩の耳にも届いたようで、鼻でせせら笑った後で胴体をぶつけてくる。元だとは言え私の恋人が酔い潰れて迷惑を掛ける前に引き上げて仲直りするんですよ、これから。この可愛らしい茶トラの猫が誰かの膝の上で丸まって眠るのを指を咥えて大人しく眺めていられる自信なんてないので。憩いの場から居場所がなくなるのも嫌ですし。 「タクシー待たせてんだから、さっさと動いてくださいよ」 この青二才が、と彼の耳に吐き掛けたのさえ間近に迫る男の耳には届いた様で、怯んだ隙を見て彼を引き上げて肩に担ぐ。 バツの悪そうな顔をした男を横目に睨みつけて最後に一躙り靴を踏み付けてから歩みを進める。 至極近くで呻く彼の頬は真っ青で、ほぼ脱力しきった体躯はアルコールのせいか非常に高温だ。 ここにきて漸く顔を見たマスターはバーカウンターの向こうで困ったように笑っていて、しっしと追い払うように手を振っていた。 「ツケで」 実のところ切羽詰まっていて焦っていて、お願いします、の部分は言葉にならなかった。 うっぷ、と今にも吐き上げそうな彼を外で一度吐かせてしまうのも手だが、これ以上マスターに手間を掛けさせるのも申し訳ない。せめて家で、と願いながらも彼が持ち堪えられるか否か自信が持てない。 どうするべきか、散々思考を重ねた頭では、疲れ切った夜の脳みそでは、賢明な判断が出来ない。 とっちらかった頭であれやこれやと考えを巡らせて、ずるずると重たい荷物宜しく彼を半ば引き摺る様にして担ぎながら店を出ると、ウインカーを立てたタクシーが停車していた。 こうなればクリーニング代も覚悟ですかね。 「絶対タクシーでは吐かないくださいね、絶対」 既に何処まで耳に入っていて理解出来ているのかわからないぐでんぐでんの彼に耳打ちして、口を開けたタクシーの後部座席に押し込む。 病院か、自宅か、どうする、どうしたらいい。 「──・・・・・・、そこのバイクで先導するんで、ついて来て頂けますか、」

ともだちにシェアしよう!