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『真理戦』

ひん握った手は店の外に出た瞬間にすっと引き抜かれて結局二人で並んで、電車乗って一駅。 揃って滑り込んだのはセオさん御用達の哀憐キネマ。ムラサキさんがマスターで、ついこの間俺がゲロ吐く迄飲んだバー。この時間ならまだ誰もいないだろうから小っ恥ずかしい恰好でも行けますよ、ってセオさんが意地悪な顔して昨日の夜に提案してくれたんで、断る理由なんかねーじゃないですか。 そんな予想通り今日の一番乗りになったらしい俺達をムラサキさんは「デート先に選んで頂き、有難うございます」と快く迎え入れてくれた。 此処では壁際の一番奥のカウンター席がセオさんのお気に入りの席で、いつもの席にいつも通りにスムーズに座るセオさんにくっついて隣を陣取る。そしたらムラサキさんがニコニコしながらおしぼり渡してくれて、受け取りながらドヤ顔でさっき設定したばかりのスマホの待ち受けを突き出す。 「お揃いなんすよ、記念に写真も撮って今日の俺はチョーご機嫌様なんで」 「──、ぜんじろーくん静かに。この前のツケ、先に払ってもいいですか?」 良いですねぇ、若いですねぇ若い若いと幼子に偉い偉いと繰り返すみたいにニコニコしてるムラサキさんは、大概いつもニコニコしてる人で、ご機嫌でもご機嫌じゃなくても基本はニコニコしている。 外見からして40半ばくらいで、セオさんと同じくらい柔らかい口調で優しい。 そんな気のいいマスターに向かって財布片手に淡々と話しかけるセオさんは、いつもバーに入った瞬間から余所行きの顔をする。今日も例に漏れず余所行きの顔で、少し冷酷さが垣間見える横顔が実はあんまり好きじゃない。 ツケの件は既に支払い済みで、それは確かにセオさんにも伝えたはずで。改めてきちんと伝えようと口を開こうとするのをムラサキさんが制するように俺の目の前に手を突き出すから首を傾げる。 「ツケなら火曜日に禅くんが支払って下さいましたよ」 「そうなんですね、お幾らだったんですか?」 「確か10,600円でした」 ね、と相変わらずニコニコしてるムラサキさんが同意を求めるみたいに俺を見るからうんうん頷いたら、そのやり取りを横目に見てたセオさんが目を細める。 「ツケは俺がもう払ったんでとりあえず何か頼んでかんぱ」 「ムラサキさん、ココのチャージってお幾らでしたっけ」 「うん?通い始めてもう長いのに、今更どうしたんですか?1,000円から変わっていませんよ」 「それじゃあ、テキーラのショットはお幾らですか?」 乾杯の提案に被せて今更チャージ料なんて聞き始めるセオさんは徐々にムラサキさん宜しくニコニコし始める。 俺ね、結構頭緩くてバカっつー自覚はあるんすけど、一応空気読める方のバカなんすよ。入店早々なんか空気悪くねえっすか気のせいならいいんすけど。やっぱ空気悪くないっすか、ねえセオさん。 「え、何、俺わりー事してねーっすよ、ツケ払っただけなのになんかセオさんこわくねーですか、え」 「800円でご提供させて頂いてます。普段飲まないから、ご存じなかったですか?」 「いえ、私の記憶通り800円だったんですね。単なる確認です」 ニコニコニコニコ、微笑が堪えない二人の間に何某かの裏は感じるけど、圧が凄すぎて口を挟めない。しかも両方からシカト食らってる。 普段なら「今日は何になさいますか?」とすぐに尋ねてくれるムラサキさんはバックバーの一番下からと、味別に並べられたリキュールの棚からボトルを取り出して勝手に何か作り始める始末で、セオさんは財布を端に寄せて頬杖ついてムラサキさんの事見てて。 あれ、今日デートじゃなかったっすっけ、なんて思い始めたらご機嫌様だった筈が不機嫌様に急降下し始める。でもそんな事お構いなしなこの空気、マジで居心地悪いんすけどどうなってるんすか。 「じゃあ、あの日ぜんじろーくんは2時間程度の間に12杯のショットを飲んだんですね」 「そういう事になりますね」 「ところで、あの日テーブル席に居たグループ、最近はゴーゴーニューカマーというゲイパブに通ってる筈ですが」 「よくご存じですねぇ、紹介して差し上げたらお気に召したみたいで毎週末通われてるみたいですよ」 ガガガガ、と耳障りな音を立ててムラサキさんが氷をミキサーに掛けてる。俺あの日12杯もテキーラ飲んだのかよ、え、飲みすぎじゃんそりゃ吐くに決まってんだろバカじゃねえの。あ、俺バカでしたそうでした。 や、そういうんじゃなくて、本気で何時もと雰囲気違うの居心地悪い。せめて俺にも視線ちょーだい、モデル宜しくバキバキにポーズ決めてやっから。テメーら空気扱いしてんじゃねーよ。 「珍しい事もあるんですね。ぜんじろーくんが普段より度数が高いお酒を普段の6倍近く頂いた日に限ってこちらに来店されたんですか」 「十数年バーを経営してみてわかった事ですが、スパイシーでクレイジーな日も年に何度かだけ訪れるようですよ」 もう何の話してんのかもわかんねーし、なんか後から来たうるせー連中が今はゴーゴーニューカマーとかいうふざけた名前のショーパブだかゲイパブだかに通ってるなんて何でセオさんが知ってるんすか。 もしかしてあれっすか、浮気とかっすか、あの連中の中にセフレとかいちゃったりするんすか実は。 素面なのに、完全に異質な空気に中てられて、居て居ない風なぞんざいな扱い受けて不機嫌様はお怒りっすよ。 「なんなんすか、なんで無視す」 「私に連絡した後でぜんじろーくんにテキーラショットを勧めて潰れたところに、噛ませを呼んで、その上にぼった、」 「お待たせしました、瀬尾くんにはバランタイン17年をハイボールで。禅くんにはフローズン・ダイキリを。ほんの気持ちです、お口に合いますように」 怒気がしっかりと込められた刺々しい口調のセオさんが啖呵切ろうとしてるのを、絶妙なタイミングでムラサキさんがスッとグラスを差し出して諫める。 セオさんいなかったのになんでムラサキさんがショット勧めてくれたって知ってるんすか、っつーか噛ませってなんすか、SMっすか。 え、とか、あ、とか言う前にスッと差し出された2つのグラスが訳わかんなくて言い合いしてた二人を交互に見るけど、これ以上、というのはないらしかった。 さっさとグラスに手を伸ばしたセオさんが今頃になって漸く俺の方見てくるから、真似してグラスに手を伸ばしたら「今日も一日、おつかれさまでした」って何事もなかったみたいにカツンってグラスをぶつけて勝手に乾杯してきて、もう余計に何が何だか分かんなくなって黙り込む。 「どうしたんですか、不貞腐れて」 「……なんでもねーです」 「禅くんには大人のジョークは難しかったみたいですね」 「ムラサキさんって悪趣味が過ぎてバーテンダーには不向きですよね」 「そうですか?天職だと自負しているのですが」 仲裁もお手の物ですし、と付け加えて相変わらずニコニコなムラサキさんも、渋い雰囲気のウイスキーをちびちび飲むセオさんも、何事もなかったみたいにケロっとしてて、あくどい空気一つ纏ってない。 え、おいてけぼりなんすけど。 「っつーか、俺、あの日そんなに飲んでたんすか、無茶苦茶じゃん。あ、これ、お言葉に甘えて頂きま、」 「あの日、禅くんは6杯しか飲んでいませんよ」 「5,000円ぼったくられたんですよ、そしてこのお酒はサービスではありません。ぜんじろーくんが多く払ってしまった分から提供されています」 デキた大人の顔してくすくす笑う野郎二人がすげー嫌いだなと思いましたんで。俺もう不機嫌様なんで。 だってただの浮かれポンチで恥掻きに来ただけじゃん。 「ご機嫌、斜め45度んなりました。家帰ってベッド組み立ててーんで、さっさと全部飲みやがってください」 ご機嫌、斜め45度なんで。 「ちゃんと一人でお支払いできたの、偉いですね。一緒に組み立てましょうね、ダブルベッド」 外じゃ滅多にそんな事しねークセに、なんかご機嫌様になったセオさんがぐしゃぐしゃ頭撫でてくんの振り払ってダイキチだかキリキリマイだかよくわかんねーフローズン掻き込みながらちらっとセオさんの方見たら、ニコニコ嬉しそうにしてっから、一刻も早く家に帰って布団に顔埋めて思いっきり叫びてー気分になりました。おわり。

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