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恋が戦争(中)

俺の目の前でハートが揺れていた。 正しくはハート型半分、武ちゃんの見慣れないケータイストラップだ。割れたハートって何とも不吉な啓示のデザインだって俺は思うけど、武ちゃんの目、よくそこで止まる。 本田と西川にからかわれても外す気は無さそうで、たまに視線が止まってはこっそり嬉しそうな様がまた悔しい。 俺は八つ当たりに、武ちゃんの足の間から、武ちゃんの顎に向かって頭突きした。 「武ちゃん、ば、ばかっぷる・・・!!!」 「お、お前が云うかそれを・・・。」 「全くだ。」 「俺っ!!俺は怒ってるんだ!!!!」 武ちゃんはケータイ見ながら、顎を守る為に俺の頭の上に手のひらだけ置いて、西川は積み上げた少女マンガ読むのに忙しそうに、本田もグラビアに夢中だ。 なんて云う不誠実さ。そろいも揃って友達甲斐が無い。 「俺、ほんとに困ってるのに!!!」 「何よ。管野、朝からそればっかだな。いい加減話していーよ。」 やっぱ俺の方見ずに本田はそう促して。なに~?と西川はちょっとこっち見てくれたけど、あ、これ声落とさなきゃ云い辛いかも。俺は武ちゃんに手のひら乗っけられたまま、向かい側の二人にじりじり顔を寄せた。 「はっ、榛名肉食だった・・・。」 「なに?ついにやっちゃったの?」 「どう?どうだった?」 「俺っ、先に好きって云われてからもっとロマンチックな場所でキスが良かったーーー!!!!!」 あ、結局大きな声出しちゃった。まあ、いいや。武ちゃんに呆れた顔で大きく溜息吐かれたけど、久しぶりに俺の方見てくれたし、もっと皆に話聞いて欲しいし。 けど本田も西川も、グラビアと少女マンガへと、また視線が落ちていた。 「ちょっ!!ちょっとなんで俺の話聞く気無いの!?!?」 「なーんだAかあ。」 「全然大人の階段上ってないね~。」 「上った!!!アイツ俺のこと置き去りにして下りてったけど!!!!」 「ハハ、タケちゃんだってもうそのくらいしてるよなー。」 ああもう俺を無視して、またからかう口調が、本田から武ちゃんへと向けられるし。 あ、しかもまさかの武ちゃんの耳、赤くなってく。武ちゃんはすっごく嘘が吐けないのだ。 「ふっ、不潔だあああ!!!!!」 俺は武ちゃんのセーター、ぐいぐい引っ張りながら突っ伏した。 俺の、もう俺のじゃないけど、武ちゃんまで大人になってしまった。早い、早いよ。武ちゃんも俺も付き合い始めてまだ二週間も経ってない。あの、武ちゃんにお似合いのウブそうな彼女の方から武ちゃんに手出しする訳無いから、所詮武ちゃんもケダモノなんだ。 けど、俺は俺の許可無く一方的に、しれっとした顔でやらかした榛名には怒るけど、まっ、マドカ落ち着けって、顔真っ赤にしてオロオロしてる武ちゃんのことは、俺は嫌いになれない。そうだ。それに俺はもう武ちゃんの幸せを祈らなきゃいけないんだ。だって、武ちゃんとバイバイしちゃったから。 「武ちゃん、おめっ、・・おめでとう・・・。」 「あ、ありがとよ。」 「あのね、限りなくうちのクラスまでよく聞こえてたよ。円は恥じらいと慎み、早くその空っぽな頭に入れなさいね。」 武ちゃんとお別れの感傷に浸る間も無く、出た。今までで一番顔を見たくない彼氏。 俺は思わず傍の武ちゃんに抱きついたけど、まだ動揺してる武ちゃんにじゃなく、何でか榛名にひっぺがされた。文句云おうとちゃんと向かい合った先の榛名は、憎ったらしい、いつもと変わらない顔色で、薄笑いの表情だった。 「・・・・・榛名。なんか俺に、云う事は?」 「早く帰ろ。あと途中経過、いちいち叫ばないで。恥ずかしいから。」 そんなの不正解だ。榛名のバカ。俺のこと掴んだ手が、掴み直したいのか俺の口の近くさ迷って、俺は榛名の手にがぶっと噛みついた。 「こらっマドカ!!?!」 「ひゃっ、ひゃってほイツ・・・!!」 「口にモノ入れたまま喋んないで。」 もうほんとにしょうもないって口にして、顔を歪めた榛名がべしっと容赦なく俺の頭をたたいて、痛みにゆるんだ隙に手を抜かれた。それから自分の手を冷たい表情でただ、じっと見た。 あ、これ、もしかしたら怒ってるのかも知れない。ま、まずい。また本気な調子で頭はたかれるのは嫌だ。 口元拭って、俺は、じり、じり、と武ちゃんを盾にして、出来るだけ後ろに避難した。 本田と西川は前へ、榛名の方へとイスから乗り出したけれど。 「うわ、歯型くっきり付いてら。」 「管野、やり過ぎ~。」 「・・・・・・。手、洗ってくる。」 そう云って、もう俺になんて構わず、榛名はカバンだけ置いて行ってしまった。 そして俺のカーディガンの襟元引っ張って榛名の方に引きずり出そうとしてた武ちゃんに、俺はぽかりと頭を叩かれた。なんで、どうして。俺、悪くないもん。俺は武ちゃんに、いーーって歯を見せた。 だって、いきなりあんなことして、フォローも入れない榛名が悪い。俺は昨日遅くまで、連絡ぐらいは来るだろって待ってたのに、ケータイは全然揺れなかったし。 あんなのまだ早いし、榛名は俺の彼氏だけど、してもいいなんて俺、云ってないのに。 「もーーー!!!!!俺帰る!!!!」 「お前っ・・・さすがに榛名怒るぞー。」 「もう怒ってるもん!!!!」 「どうなっても知らないよ~?」 「・・・っ・・!!!」 薄情、薄情だ。俺は思わず武ちゃんを見たけど、ひらっと手を振られて、それだけだった。 もう怒りも慰めてもくれない。武ちゃんはもうあんまり俺のフォローをしてくれない。俺は榛名に見つからない内にリュックを掴んで、バタバタと教室を飛び出した。 前を向いてないとやっぱりガンガン同級生なんかにぶつかったけど、榛名が後ろから謝る声は一向に聞こえてこなかった。 武ちゃんの彼女、ほんと愛されてるな。彼氏にあんな顔してもらえるんだもん。俺と榛名なんて恥ずかしかったの、俺だけじゃん。可愛いって云われるの、俺は大好きなのに、いちいち云わせなきゃいけないじゃん。態度がダメダメなんだから言葉で示してくれなきゃ、俺が榛名の一番か、分かり辛いじゃん。 それにこんなの俺ばっか、榛名のこと好きみたいだ。 そりゃあ俺は彼氏である榛名と上手くやってく為、榛名のことを好きにならなきゃいけないけど、何より愛されたいのだ。こんな振り回されてばっかは嫌だ。俺はやっぱり愛するより愛されたい。俺のこと、一番に思ってくれる人、好きだと云ってくれる人に傍に居て欲しい。 すごく久しぶりに一人の帰り、回り道。ちゃんとうちのクラスの真下で分かりやすい位置、駐輪場からも外れた校舎裏の端っこの方。 とぼとぼうろうろしていたら、俺は知っている先輩を見かけた。 名前は忘れちゃったけど、春に、入学したばかりの時に俺に告白してきた3年の先輩。 ちょっとした山みたいな外見の先輩が落ち込んでるみたいにしぼんで、溜息吐いていたので、俺はシンパシーを感じたのと暇つぶしがてら近付いて、先輩に話しかけてみた。 「先輩、どうしたの?」 「あっ・・・。か、管野君!?!?!」 「うん。大きい溜息。」 にこっと俺は先輩に笑いかけてみた。すると戸惑った表情していた先輩もニコニコッと笑った。 うん、そう、この感じだ。俺が笑いかけると大抵の人が笑ってくれて、すごく気分が良い。俺は自分ばっかがちやほやされて、特別好かれたいけど、人の幸せそうな顔だって別に嫌いじゃない。むしろ折角努力せず他人に可愛がられる外見に生まれてこれたのだ。人のこと笑わせられて何ぼだ。自分の価値を知る大事な要素だ。 「ちょうど良かった・・・。君は榛名君と付き合ってるって、本当かい?」 「うん。」 榛名は追いかけてこないし、回り道して疲れたので、先輩の隣、石のブロックの上に俺も腰掛けた。あ、ちゃんと距離を置いてだ。武ちゃんに、俺以外の男と二人きりの時に、やたらめったに男の近くに座るなよって、高校に入学してから何度も云われたから。 まあ、ココなら一応駐輪場見えるし、校舎裏だから大丈夫だと思うけど、念のため。 先輩はもう一度、その身体の大きさに合った大きな溜息を吐いた。 「あんなに品行方正だった榛名君が、君に対してはおかしい。君は榛名君に何か脅されて、彼と付き合っているのかい?」 「だよね!やっぱ榛名おかしいよね!?!?先輩話分かるね!!!」 俺も榛名のウワサをちょっと聞いたことがあるけど、きれいで、みんなに優しくて、特に笑顔がもう、堪らなくイイ奴って聞いてた。 けど実際の榛名は全然優しくない。それにあんなに口が悪いなんて誰も、誰も云ってなかった。 先輩は俺が相槌打つとやっぱり嬉しそうにニコッと笑って、それから熱い眼差しで語りかけてきた。 「僕は、それでも榛名君はやはり高嶺の花で美しいと思うが、ヒマワリみたいな笑顔を僕なんかにも向けてくれる、ワガママで無邪気な君の方が好きだ!!!だから!!榛名君の魔の手から君を救ってあげたい!!!」 「え!!!先輩ほんと!?!?」 「男に二言は無い!!!!」 えへんと先輩は胸を張ってみせ、その動作があまりに体格に似合っていて、俺は思わず拍手を送ってしまったけど、あ、けど榛名はちゃんと俺の彼氏なんだよなあ。別にムリヤリ付き合い始めた訳じゃないし。 そこまで先輩に俺が熱烈に、褒められちゃうとちょっと揺れちゃうけど。 「けど先輩、俺榛名のこと、ムカついても別れたいって思ってる訳じゃあ無いんだ。そりゃあアイツ、意地悪いし、口も悪いけど・・・・。」 何とか榛名を改心させる方に持ってけないかなって、俺は何でだかそう思った。榛名、俺のこと好きって云ってくれたし、和花より可愛いって俺のこと選んではくれたし、泣いたら遊んでくれた。まだぬいぐるみもいっぱい欲しい。 まあ、昨日あんなことした後、俺を置きざりにしたのはまだ全然許せないけど。 「何云ってるんだ管野君!!君が無理して我慢する必要は無い!君は自然体で、ワガママな所が何より魅力的なんだ!!!!榛名君よりきっと・・・きっともっと、君に相応しい男が居る筈だ!!!!」 そう先輩に力説されて、分厚い両手にガシッと両手を握られて、俺には先輩の後ろがキラキラして見えた。そう、こういうのだよ、俺が欲しかったの。俺を思う気持ちの熱さ。 最近友達もクラスメイトもちょっと冷たくて、はやされたり舐めた態度とられがちだけど、まだ居るんじゃん、こういう人。絶対的に俺が好きで、ちやほやしてくれる人。 武ちゃんが俺の傍に居てくれなくなった分、武ちゃんぐらい、出来たらそれ以上に俺を満足させてくれるような人。 俺が欲しいのに、榛名には全然無いもの。 そっか、自分が嘘吐くことになるかもとか、多分そんな気持ちを理由にして、何も榛名にこだわり続けることも無いんじゃん!!!って、俺の目の前に新しい世界が開いた感じ。 「っ、先輩!!!!どうもありがとう!!!」 「いやっ・・いやぁ、そんな・・・。俺は君の事が、ただ、好きだから・・・、」 よし!そうと決まったら榛名と早く別れて違う良い人探さなきゃ!!と思って、先輩に握られたままの手、いい加減解こうとしたのに、随分強く、ぎゅうぎゅう握られていた。 ななんか一人、まだ違う世界に入っちゃってるっぽい先輩は無言で、俺に非協力的だから、解けない、解けないって俺が一人で頑張ってる内に、先輩がじりじりと何故か、俺の方へと詰め寄ってきた。 「君は本当、良い匂いがするな・・・。手も小さくて・・・・すべすべで・・・。」 「わっ!!!わー!!?!」 「榛名君が君の前じゃあおかしくなるのも、分かる気がしてきたんだ、今の僕には・・・!!!」 「誰かー!?!!?ちょっ、誰か来て!!!!!!」 どうしよう、先輩がおかしくなってしまった。 近付いてきた先輩の大きい口を、俺は慌てて両手で塞いだ。けどそれでもぐいぐい来られてすごい恐い。先輩、榛名を超して武ちゃんより大きくても、告白の時、ごめんなさいって俺が云ったらすぐ諦めてくれた人なのに。そうかあってシュンと笑った人なのに今は別人みたいだ。 それに、手にかかる先輩の鼻息はひどく荒くて、俺はゾワゾワ鳥肌が立った。 「しかも手折れそうなくらい腰が細くて、華奢で・・・、肌も滑らかで・・・・。」 「せっ、せんぱいダメ!!!気持ち悪い!!!!!それに先輩俺の彼氏じゃないからダメ!!!!!!!」 そう大慌てで俺が口にしても先輩はへこたれず、俺のカーディガンめくってワイシャツの下を触った。 もうやだと思いながら、俺は先輩からなるべく顔を離して、口から手を退いてボカボカと叩いてもびくともしない。 ただ、先輩は変な熱のこもった目で俺のことを見た。 「クソッ!!榛名に汚される前にいっそ俺が・・・!!!!」 「やだやだ!!!俺先輩のことなんか全然好きじゃない!!!!!!!」 「もう君の気持ちなんか知るか!!!!!ちゃんと幸せにしてみせるから!!!」 だから俺、そういう逆転は嫌いなんだって。ちゃんと好きって云われてからじゃなきゃ、"好き" って自分が思えた後じゃなきゃこういうのは嫌だ。だから榛名にされた事も嫌だったのに。 それに、こういう時、俺がこんなに恐いのに誰も助けてくれない時ってどうすればいいんだっけ。自力じゃどうにも出来ない時。 結局俺なんて誰かの一番じゃないんだなって、恐くて、自信無くなって、揺らいで、訳が分かんなくなる時。 こういう時に俺をずっと、助けてくれたのは。 俺のこと一番にしてくれていたのは。 「っ、た!!!武ちゃ・・・!!!?」 あ、違う。俺は彼氏の名前しか呼んじゃダメなんだ。 けど絶対、榛名より武ちゃんの方が頼りになるのに。武ちゃんも別に強くないけど、あの見るからに華奢で頼りない外見のアイツよりは、強いと思うのに。 俺は、すぅ、と出来るだけ息を吸い込んだ。 「はっ!!榛名ああああああああ!!!!!!!!」 『けど先輩、俺榛名のこと、ムカついても別れたいって思ってる訳じゃあ無いんだ。そりゃあアイツ、意地悪いし、口も悪いけど・・・・。』 んん?なんだ今の声。この甘くて可愛い声は俺じゃん。俺はもう出来るだけの大声出しちゃったから喉疲れたし、今は口を開けても無いのに。 しかもなんか、聞き覚えのあるセリフで聞こえてきた俺の不思議な声は、もう、ぐわああって来てた先輩にも聞こえてたらしく、ピタッと先輩の動きが止まった。 『何云ってるんだ管野君!!君が無理して我慢する必要は無い!君は自然体で、ワガママな所が何より魅力的なんだ!!!!榛名君よりきっと・・・きっともっと、君に相応しい男が居る筈だ!!!!』 「・・・・・けどそれって、先輩の事じゃないですよね。残念ながら。」 「はっ、榛名ぁ・・・?」 「いやあ、二人とも役者ですね。俺がこんなに近くで録画してたのに気付かないなんて。」 そう澄ました声で喋りながら、榛名はケータイをいじって音を止めた。 榛名はそう云ってから、俺の背筋までぞわっとするくらい、恐ろしくきれいに、先輩に笑いかけた。 ウ、ウワサの榛名の笑顔ってこれか。なんか予想と違ったけれど、これはウワサになるの分かる。しかし、さっき俺が噛みついた時なんかより随分と怒っているように見えるくらい、色気があって、これはゾッとするくらい恐い笑顔なんだけど。 けどもう俺の目には、実は近くに居た榛名が、さっきの先輩なんかよりずっと、ずうっと輝いて見えた。そりゃあもう天使の輪っかに羽もオマケで付けてあげたいくらいに、神々しく。 俺は先輩が固まってるうちに、慌てて、よろめきながら榛名の元へと駆け寄った。 「これ、音だけでも物好きで熱烈な円ファンに聞かせてやりたいくらいです。俺、放送委員なんですけど。」 「榛名君!!!やめっ・・・!止めてくれ!!!!!」 「それは先輩の出方次第ですね。ほら、円帰るよ。」 「あっ、足・・・俺足震えてんだけど・・・!!」 榛名は振り向き、榛名の後ろに隠れてしがみついてる有様な俺の制服の、汚れた所を簡単に払い、乱れを整えて、それからじっくり俺を見た。それから、ふっとゆるく笑った。 「いや、全身だよ。俺おぶったりしないからね。ほら、手だけで何とかして。」 「は、榛名の、おっ、鬼ぃ・・・!!!」 差し出された手をやっとの思いで握って、ほんとに支えてくれない榛名の少し後を俺はよろよろと付いていった。先輩が追いかけて来ないかちょっとハラハラして、俺は一度、そうっと振り返ったけど、後ろは大丈夫そうだった。 俺は気がゆるんできて、泣きそうになりながら、ぎゅうと、少しは頼り甲斐のある榛名の指を握った。先輩の分厚い手とは全然、比べ物にならない、細くて白い指。きれいな爪の形。 こんなに俺が、ぎゅうって握ってるのに、榛名は手を握り返してくれない。それに、あんなに近くに居たくせに、俺が呼ぶまで助けてもくれなかった。 なのに今、俺は榛名を怒る気がしない。ムカつくことはいっぱいあるのに、云いたいこともいっぱいあるのに、榛名の後ろ姿を見ているだけで俺は気が緩んで泣き出しそうになった。今泣いたらまた、すごくバカにされそうだなって思うから堪えたけど。 そして次の瞬間には、さっさと、榛名に手を離されたけれど。 駐輪場回って校舎の表側、よたよたしてる俺のほっぺたを榛名はぐいぐい引っ張ってみせた。 縦と横に引っ張って、ぐいーと丸描いて、ぱっと。これは手間料だって、そう云った。 「いた、痛ぁい・・・。」 「ちゃんと全力でやったもん。でもすごい。円のほっぺ、餅の感触。」 「榛名、俺助けるのっ、遅かったのに・・・!!」 「普通にやり合って俺があの先輩に勝てると思った?見沢が、円は人にぶつかりまくってるだろうからそれ辿ってけば会えるって云ってたんだけど、本当だね。けど行く人皆に声掛けるの、すごく面倒くさかったよ。」 怒った顔でそう云って、はあぁ、と榛名は大げさな溜息を吐いた。そんな文句云われても、さっさと俺を追いかけてこなかった榛名が悪い。いつもだったら俺はそう怒る所だけど、もう今日は疲れたからって、俺は自分の心に云い訳して怒らなかった。 そして此処ならもう人目がある。榛名も居るし、完全に安全な場所だから俺は近くのでっぱりに座り込んだ。 やっと足の震え、収まってきた気がする。座り込んだら榛名にまた文句云われるかなと思ったけど、榛名は俺の正面に立って静かに口を開いた。 「円、三分までね。」 そう云ってケータイで時間を計り始める。やっぱり榛名は榛名だった。けど優しくないのに安心するのは何でだろう。もう俺、榛名に慣れちゃったのかな。今、どっと疲れてるからかな。俺はずるずる膝を抱えて、俯いた。 それからさっき、先輩のあんな所を見ちゃったからかも。比較対象があれだと榛名でも余裕で勝てるもん。 「・・・・・先輩、俺のこと、どうでもいいんだって、」 「うん。ちゃんと聞いてたよ。」 「だから、榛名の方が、俺、嫌いじゃないよ。俺やっぱり、俺のこと一番大事で一番可愛いって云ってくれる人しか、っ、ダメなのに。」 「・・・。円は大変な宗教にハマっちゃってるね。」 「違う!!!!宗教じゃない!!!」 あ、大声出すと喉が痛い。辛い。ついでに目の奥もじわっと来た。 一回それを許したらぼろぼろ涙が出てきて、止まらなくなった。俺はもっと榛名に云いたいことも、訊きたいこともあるっていうのに。 「た、武ちゃんはもう・・・、迎えに来てっ、くれない?」 「俺に行かせるくらいだからね。見沢はもう円が一番じゃないしね。」 「うっ・・・・・。」 俺は今、武ちゃんに会いたくなったのに。だって、やっぱり俺、榛名じゃ無理だよ。さっきは別れ話しようと思ってたくらいだもん。 けど、彼氏ならさっきみたいに助けに来てくれて当たり前とも今なら思うけど、怒らせちゃったりした榛名が実際迎えに来てくれたりすると、ぐらぐら来るもん。榛名じゃ武ちゃんになんか全然、敵わない筈なのに。 武ちゃんなら、俺が落ち込んでたらずっとずうっと頭を撫でてくれたし、お前が一番可愛い、一番ですって、俺に魔法をかけることが出来た。 武ちゃんは外だと俺に厳しい所があっても、二人きりの時にはそういうマメさがあったのに。あれ、彼女相手じゃ絶対発揮出来ないだろうけど。 「円は見沢のこと、ほんと好きだね。俺と見沢、どっちが好き?」 「・・・・・・っ、武ちゃんっ・・・。」 「自分は彼氏じゃない方選ぶんだ?とんでもないね。」 「十年とっ、十日・・、比べっ、らんないっ、」 「円にしちゃあ論理的。」 そんなこと訊いて、馬鹿にするみたいに笑う榛名のこれは、ひねくれた愛なのかな。これが妬きもちだったらいいって俺は思うんだけど。そうなら俺が呼ぶまで助けてくれなかったのも許してあげる気になる。だって愛されてるって実感出来るもん。 けど本当、ただきっと俺のこと上から見てる風にしか見えなくて、榛名のバカ。 なのに、嫌いなのは前ほどじゃ無い。どっちが好き?って訊かれて、そんな答えは榛名だって分かり切ってた筈なのに、口にするのをちょっと迷った。 「三分経ったよ。はい、立って。」 「・・・・。手ぇ・・・。」 これで繋いでくれない彼氏なら、俺からフってやるのにって思った。愛が無い!!って怒って、もう榛名に希望も持たずに諦めてさあ。 けど、仕方なさそうに榛名は俺の手を取って、歩き始めた。 「俺、初めてはもっと、っ、ロマンチックなのが良かった・・・。」 「・・・・・。ねぇ、初めてってもしかして、ファーストキス?」 「・・・・・・・・・。」 「うわ、嘘。あんなキス待ち顔しといて?」 「嘘じゃっ、ないもん!!!」 「西川が読んでた、あーんな甘ったるい少女マンガのラストよりよっぽどロマンチックにしたけど?」 「・・・榛名もああいうの読むの?」 「ヒマ潰しに。姉貴が死ぬほど持ってるから。」 いい歳してね、って榛名は笑ったけど、俺はおねーさん側に付くなと思った。 おねーさんがそういうの好きな理由なんて、俺、全然知らないけど。 「幾つになったって夢は見たいよ。誰かに愛されなきゃ、一番じゃなきゃ辛い日は生きてたくないし、さみしいよ。」 「・・・・・・。ふーん?」 「だから、榛名は俺の彼氏だし、俺のこと一番大事で可愛いって云わなきゃダメ。」 「ねぇ、彼氏の条件、変わってない?」 「俺、ちゃんと、ずっとそう思ってたもん。」 榛名は振り向いて、知らないよって表情した。ほんとだもんって、俺はむくれた。 サッカー部の笛の音がちょっと遠く聞こえる。ぐず、って俺がちょっと詰まったままの鼻をすすると、それを勘違いした外周中の野球部に抜かされる時、泣かせるなんて色男!とからかわれた。 俺、もう泣いてないのに。そして榛名は困ったように奴らに笑い返したくせに、連中が去った後にはすごく嫌そうな表情してた。やっぱ榛名の方が嘘吐き。 「はー・・・もうほんと、めんどくさい。」 「榛名ぁ、ゲーセン行く?」 「円が鼻かんだらね。みっともない。」 俺は榛名の後頭部をぺしっと叩いた。繋いでない方の手で。 それから俺は、相変わらず細くて、けど俺よりはちょっと大きい、握り返されない手を、きゅ、とちょっとだけ握った。

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