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第3話 初恋
まだ状況すら飲み込めていない様子の先輩と、さすがに会話の内容が内容だからと予約していた部屋に向かった。
内装も気に入ってるんだ。シックでシンプルなほうが好みだから。それと接待でのディナーにしか利用したことがなかったから、聞いただけだったけれど、上層階から見える夜景がとても良いらしくて。
確かに夜景がとても綺麗だった。部屋の雰囲気もフロントと同様、シンプルなモダンシック。
「大崎は、仕事の付き合いで何度か接待をしたことがあるんです」
「……」
「あの人、声が大きい上に、話が長くて苦手なんですけどね」
おしゃべりな男なんだ。
筋肉がついてて綺麗な身体をしていたからと奥様がえらく先輩のことを気に入ったらしい。男娼にどこかのジムでトレーニングをしているのかと尋ねると、昔バスケをしていたと答えた。しかも頭が良い。会話の受け答えでそのくらいのことならわかる。
そこがまた最高だったって。
高学歴の見た目も上物、さすが値段だけのことはある。車や服と同じ。値が高ければそれだけの性能と質の高いものが手に入る。安いのは安いなりだ。
そして、またあの男娼を欲しいと奥様が言い出し、やれやれだと溜め息をついていた。
俺にペラペラ喋ってたっけ。また買ってやらないとって。
それだけだったら俺も自分たちの性生活を暴露するなど、なんて下衆な男だろうって卑下するだけだった。
「もちろん、先輩の名前自体は大崎の口からは出てません」
けれど、大崎がこぼした、その買った男の特徴を俺は知ってたから。
「ここ」
そうして自分の指で指し示した喉のところにある二つの点。まるで吸血鬼に喰われたような黒子があって、そこを妻が面白がって噛んでいたと聞いたから。
先輩のことをいつも横目で盗み見していた俺は、その黒子で気がついた。喉のところにある二つの黒子。
そこから興味津々で話に耳を傾けたら、それがまたあの男は楽しくて良かったんだろう。気前よくたくさん教えてくれた。
よく聞けば、それが、その高級男娼が先輩だとわかる。
だって、ずっと、貴方のことを見ていたから。
初恋は遅かった。けれど恋愛対象が同性だってことには結構早いうちに気がついた。
初恋が遅かったのは、どこかでブレーキをかけていたんだと思う。誰にもそのことを打ち明けたりは決してしなかったから。
初恋は、高校一年の春だった。
「よ、渡瀬」
「あ、先輩」
初恋の相手は、先輩。
俺は愛想がいいわけでもない。慕われやすいタイプでもない。もちろん先輩に可愛がられるタイプでもない。好かれる、なんてこともないって自覚していた。
でも、先輩のことが好きだった。
先輩にとってはなんてことはないんでしょう? きっと俺が一年の中でも一番小さかったから、無意識にしてたんでしょう? 頭にぽんぽんって掌を乗せるの。
けれど、俺にとってはそれをしてもらえたら、ただ普通の一日が最高潮に幸せな一日になる。
「渡瀬?」
「!」
せっかく話しかけてくれたのに、俺はあまりの嬉しさに舞い上がって、いつもうまく返事ができないんだ。下手くそでさ。可愛い後輩ってどうしたらできるんだろうっていつもいつも考えてたくらい。
告白なんてする気もないよ。
だって、先輩は人気者だもの。
見れるだけで幸せだもの。
そう思ってた。
あれは、俺が高校二年、先輩が三年、そして、この初恋が一年以上続いていた、夏だった。
大会直前、負けたらそこで引退が決定する。そんな時、誰だったか忘れたけれど、誰かが言い出して、かくれんぼをすることになったんだ。練習が終わった後、思い出作りと考えたのかもしれない。
十を数える主将を残し、みんなが散り散りに逃げて隠れて。
バカだよな。範囲が広すぎて、見つけるのも一苦労でさ。
見つけられるのを待ってしまうほどに待ちぼうけを喰らってて、暇で。
じっとしてるのももう限界だったから、フラフラと歩き回ってたんだ。見つかりたいと思いつつ。そして、体育倉庫を覗いてみた。誰もいない、そう思ったけれど、いた。
その人がいた。
いつまでも見つけてもらえないから退屈で寝てしまったのかもしれない。
体育倉庫の奥、高い跳び箱と丸めて立てかけられているマットの影に隠れて、眠っていた。
白岡先輩。
疲れてるのかも。
だって、一昨日だったかな。彼女と別れたって噂で聞いた。別れたんだ、って少し嬉しくなってしまったんだ。もちろん、自分がその「彼女」のうちの一人になれるなんて思いもしない。けれど、それでも数ヶ月だろうとあの人の隣にいられることが羨ましかった。
その先輩が立てかけられていたマットに寄りかかり眠っていた。
もう引退してしまう。
そしたら、もう会うこともなくなってしまう。
それに、今は「彼女」が隣にいない。でもすぐ、次の彼女なんてきっと来週にはできるんだろう。けれど、今は、先輩は一人。
ここに一人。
彼女がいない。
独り。
誰のものでもない。
それならほんの数秒くらい独り占めしたっていいじゃないか。
そんな気持ちに突き動かされたんだ。
「……白岡、先輩?」
試しに名前を呼んでも起きる気配がなくて。
「……先輩」
少し肩に触れてもまだ起きそうになくて。
二つ、まるで吸血鬼に血を吸われた噛み跡みたいな場所にある黒子を撫でても。
「……」
やっぱり起きなくて。
俺は、キスを、した。
最後だからと。ずっと好きだったからと。
こっそり。起こしてしまわないように。
埃っぽい体育倉庫の中、埃が染み込んだマットの影に隠れて、そっと、キスを。
盗んだ。
頼んでさせてくれるわけがない。それならいっそ……そう思ってしまった。そして、いつ見つかるかもわからない、白岡先輩がいつ起きてしまうかもわからない中で、慌てて急いで、唇をくっつけた。早急すぎる下手くそなキスはひどく味けなく、罪悪感とそれから――。
「買うって、お前」
あの下手くそな一瞬だけのキスは罪悪感と。
「残り三百万なんですよね?」
「! なっ、んで、それを」
「大崎が調べたんですよ。先輩のことをとても気に入ったから、買い取って奥さんにあげようとしてたんです」
その金額なら買えるからと。そんなことまで喋るんだ、最低最悪でしょう?
「先輩が抱えてる借金の残金、三百万」
「!」
けれど、その金額でも、それ以上でも、大崎に奪われないようにと即座に買った俺も最低最悪でしょう?
「俺が買いました」
貴方を。
だって、あの時のキスがあまりに下手で、残ってしまったんだ。罪悪感もだけれど、もっとっていう、欲求不満が唇に残って仕方がなかったから。
見つめると、先輩がゴクリと唾を飲み込んだ。そして、その喉元にある二つ並ぶ黒子がわずかに動くのを俺は眺めていた。
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