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第17話 天気がいいですね。

 着信はなし。メッセージも、ない。  そりゃ、そうか。仕事の合間にビルの、三十三階、俺のいるオフィスから見える景色を一枚写真に撮って、それを添付したメッセージを送ったけれど、あんなの、返事に困るだろう。  ――今日は天気がいいですね。  考えに考えて送ったけれど向こうにしてみたら、だからなんだって思うだろう。  でも、なんてメッセージすればいいのかわからなかったんだ。今夜も会いませんか? というのは少し勇気がいって、どう今夜の約束を取り付けようかと迷っていた。そして迷っている間もただ送りつけただけになっている写真に対しての返信がなくて、それがまた次のメッセージの言葉をどれにしようか迷わせ、躊躇わせる。返事がないことが無言の、なんというか。 「あ、渡瀬さん、お疲れ様です」 「吉川、お疲れ。まだ帰らないのか?」 「えぇ、明日の資料の雛形だけ作っておこうかなって」 「そうか。無理するなよ。ある程度で上がれよ。明日俺が作れるから。それじゃ、お疲れ」  社員証をスキャン機にかざし、ピッという電子音を確認して扉を開けた。  当たり前か。別に先輩にしてみたら、ここの間に感情があるわけじゃない。特に愛情の類は。もしもあるとしたら、もう色んな不特定多数の人間に買われることの気苦労がなくなったことと、借金が実質上なくなったことの嬉しさとか安堵、かもしれない。  そう、借金はもうないんだ。  そして俺との繋がりなんて、この掌に収まるスマホ一つだけ。  それに素質があるって。 「……」  褒められた、だろ。  ゆっくり、仕事をしているうちにゆっくりとその言葉が別の意味に思えてきた。ただそのままに捉えることができなくなって、あの写真に、あのつまらない一文の挨拶に、なんの返事の返ってこないことが不安と一緒に、疑念を持たせる。  素質がある、抱かれ方なんてもう教わる必要がないくらいに。  そういう意味だったのかもしれないって。  抱かれ方を教わる必要はない、もうレッスンは仕舞い、ずいぶんと期間は短縮してしまったけれど、もう教えることはなさそうだから、お仕舞い。  そういう意味かもしれないと。 「……そうですね」 「!」  何かと思った。急に近くで、大きな声がそう言ったから。 「あ……先輩」  声のした方に振り返ると先輩がいた。  花壇のレンガを椅子代わりにして腰を下ろしていた。 「え、あの……」 「だって、お前が言ったんだろ?」  昼間に、オフィスから見える景色の写真を添付して、良い天気ですねと。  だから、そうですねと答えた。 「その後、今夜どうすんのかなと続きを待ってたけど、一向に返して来ないし」 「!」 「日曜も仕事だっただろ? だから、忙しいんだろうと待ってた。仕事の邪魔をしたら悪いからさ」  貴方が待っていてくれた間、俺はそれを無言の返事と捉えて、次の言葉を選んでた。  名前しか知らないし。住んでる場所も知らない。突き止めようと思えば突き止められるだろうけれど、そんなことしない。口約束で交わした契約を反故にされたからと、先輩を雇っていたいかがわしい会社に連絡をするつもりもない。  それでもやっぱりまだもうお仕舞いになってしまったのかと残念に思う自分もいた。  けれどもゲイでもない先輩は、もう勘弁してくれと思ったのかもしれないと、それでもこの三日間はたんまりと付き合ってくれたんだ。嫌な顔一つせずに。だからこのまま追いかけたりしないのが一番だと宥める自分もいた。 「職場の場所は、ほら、同窓会の時、名刺をもらったからな」 「あ……」 「まぁ、他に仕事はないし、ここで待ってた」  やっぱりまだ、もう少し、先輩を買い占めたままでいたいと思う自分もいた。浅ましいというか、買った分をしっかり貰いたいと思う強欲さというか。 「にしても、お前ってさ、変わらなくて笑ったよ」 「?」 「高校の時もそうだっただろ? 甘えるのが下手でさ」  そうだった、だろうか。 「大石とかが甘え上手だったから、余計にさ」 「あぁ、そうかも、です」  素直に甘えるのは苦手だった。誰かに頼るのも苦手で、自分できることはなんでも自分でやる方だった。頼むのって悪い気がしてしまうんだ。 「たまにさ、OBとかがアイスをさ、差し入れで持ってきてくれたりするじゃん?」  夏は暑くて、皆、OBが持ってきてくれたアイスに飛びついてたっけ。大石なんて、先輩たちに紛れてちゃっかり好きなのを取ってた。俺は、それを上手にできなくて、内心、欲しいアイスはあったのに、一番美味しそうだなって思うショコラバニラ味のが欲しくて、けれどそれを上手に言えずに他の人が食べてしまうのを眺めてた。いいなって思いながら。いいなって思う自分に自己嫌悪しつつ。 「ああいう時、すげぇ食べたいのがあるっぽいのに、それを食べられなくて、残念そうにしてたじゃん」 「そ、んなこと、よく覚えてます、ね」 「不器用だなぁって思ったからな」  だって、わからないんだ。欲しいものを欲しいと上手に甘える方法が。上手に何かをお願いする方法が。それなら自分でしてしまう方がいいし、抹茶味でいいよって思って片付けてしまうほうが楽だから。 「そんで、可愛いな、とも思った」 「……」 「そうだ、なぁ、ミキ」  だから、今夜だってどう言えばいいのかわからなかった。  今夜も会いたいですと、何も考えずに素直に言えたらいいのだけれど、あれこれ考えてると段々言いづらくなってしまって。 「今夜はさ」  そのくせ、内心では、大石みたいに上手に欲しいと言えるようになりたいと。 「おねだりの仕方、教えてあげようか」  だって、本当の俺は遠慮なんてしたくない強欲で、欲しがりな奴だから。

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