なんというか、あの、これはどうしたらいいんだろう。 「そんで金を持ち逃げされたってわかった時の俺の焦りは凄かったわ。あれ、もう心臓がホント耐えられないっつうか。二度それされたらもたないだろうな、心臓、ってレベル。その日はさ、午後から会う予定だったんだ。普段、朝からずっと一緒に会社設立のために仕事してんのに、その日だけは午前が忙しいって」 　あ、の。 「その午前の間に逃亡されてるとは思いもしなかったけど」 　あの、あれ？ 「ミキ？」 「！」 「酒、苦手だっけ？」 「あ、いえ……」 　先輩が向かい合わせで座る俺を不思議そうに覗き込んだ。俺は脳内に充満している困惑まで覗き込まれてしまわないよう、手元の水割りを一気に流し込んだ。 「おま……一気飲みするなよ」 　だって……貴方が言ったんじゃないか。 「次、何飲む？　それ水割りだっけか？　同じの？」 　今夜はおねだりの仕方を教えてくれると言ってなかった？　その、つまり、セックスの。だから、俺はてっきりそのままホテルに行くんだと思ってた。言って、俺のことを抱いてくれるんだとばかり。 　それなのに、先輩が向かった先は俺の職場近くにある和食居酒屋。 　俺を待っている間にちょっとぶらぶら歩いてたら見つけて、中から美味そうないい匂いがしたから気になってたんだって。確かに、仕事の帰りにここを通るとなんとも食欲をそそる匂いがしていたけれど。でも、そうじゃなくて。そういうことじゃなくて。 「食えよ。空腹で酒飲むと」 「酔っぱらいませんってば」 「それもそうだけど、胃が荒れる。これすげぇ美味いぞ？　明日も仕事だろ？　早く食っちまえ」 　あ、夕飯を適当に済ませて、それから。 「早く食って、早く帰って、寝た方がいいだろ？」 　え？　あぁ、そうか。寝るっていうのはつまりセック、……。 「寝不足は仕事に影響出るぞ」 　そっち？　本当に、本来の意味での使い方？　寝るって、つまりは睡眠っていうこと？ 「それでなくても土曜も日曜も仕事だったろ」 　おねだりの仕方を教えてくれるって言ってからまだ一時間くらいしか経ってない。それでも忘れてしまったとか？　その、だから「あの、おねだりの仕方を教えてくれるんじゃないんですか？」って俺が訊かないと思い出してくれないのだろうか。 　そう。先輩って少し、そういうところがちゃらんぽらんだったというか。たまにスポンと忘れてしまっていることがあって。 　バスケの大会は一日に二回試合したりもする。午前に一回、午後に一回。 　あの時は午前の試合を終えて、弁当食って、それで午後の試合まで少し時間のある時だった。少し眠くなったし疲れたとぼやいた先輩に他の先輩が時間を伝える。この時間までに帰ってこい、と。それまでは自由にどこかで寝ててかまわないと。 　了解。この時間までね。 　そう笑って答えた先輩だったけれど、一向に帰ってこなくて、ギリギリになって後輩である俺たちが探したことがあったっけ。 　そういえば、あの時も、先輩を見つけたのは俺だった。 　バスケの試合の掛け声もホイッスルの音も届かないような静かな場所。そこに先輩がいた。 　俺はもちろん、先輩への恋心を抱えていた。だから、その時だって、俺は居眠りする先輩の唇にキスをしてみたくて。 　あの時、この唇にキスがしたいと思った。いつ誰がここに来るかもわからない状態だったけれど、他の一年だって先輩を探しにここにやってくるかもしれないけれど。それでも、この唇に――。 「おーい」 「！」 　そう、この唇だ。さっきの一気飲みが効いてきたのだろうか、クラクラしつつ、真正面に座る先輩をじっと見つめた。 「す、すみません、食事中なんですけど、トイレに」 「あぁ」 　キスがしたいって……さ。 　席を立ち、トイレに行くと鏡を覗き込んだ。酔っ払いらしい赤面。けれどその赤みにはきっと今の自分が持て余す熱が滲んでる。 　だって、一瞬でも、今夜、抱いてもらえると期待してしまったから。 「……バカ」 　そう毎回毎回、ゲイでもない先輩が俺を抱いてくれるなんてこと、ないだろ。次会う時のことだったんじゃないのか？　 　でも、今夜って言ってた。 　どうだろう。まさか先輩が職場に迎えに来てくれるなんてこと、思いもしなかったから浮かれててさ、それで過剰な期待から幻聴が聞こえたんじゃないのか？ 「バカ……」 　この酔っ払い。そう小さく小さく呟いて、目の前の鏡に映る、不満そうな顔をした自分に指先でピシャリと水を引っ掛けてやった。 「……」 　でも、言ったんだ。確かに、今夜って……。 「ミキ、平気か？」 「！」 　おねだりの仕方を、教えてくれるって言ってた。 　教えてもらえるって、期待してしまった。 「あ、の……」 「？　どうした？」 　教えてくれるって、たくさんたくさん期待した。 「具合悪いのか？」 「い、いえっ！」 　教えてくれるんでしょう？　おねだりの、仕方。 「そ、じゃなくて」 「……」 「その、えっと」 「……」 「あの、先輩」 　教えてくれると期待してしまった身体は場所とかタイミングとか全く気にもせずに勝手に、キスをした。 「……ん」 　首を伸ばし、そう広くないトイレで、いつ誰が入ってくるかもわからないトイレで、キスをした。舌を絡めて、少しだけレモンサワーの味がする舌にしゃぶりついて、濡れた音をさせる濃密なキスをして、そして――。 「あ、先輩」 　そして、先輩の股間を恐る恐る撫でた。 「あっ！　せんぱっ、……ん、ン、ぁっ……んん」 　少し硬くなってるのが嬉しくて、そのことに自然と顔を綻ばせると、キスしながら雪崩れ込むようにすぐそこにあった個室へ引っ張り込まれた。二人して篭るには狭く窮屈な個室に。 「ったく」 「んっ」 　近すぎて、舌打ちにさえゾクゾクした。 「おねだりできたらホテル行こうと思ってたのに」 「あっ、せんぱ、そこ、喋らない、でっ」 　耳元で聴くと、僅かにプランが変わったことに不満そうな先輩の声にすら興奮してしまう。 「あんなキスして、股間撫でて、そんな顔するから」 「あっン」 　どんな顔をしたんだろう。 「おねだり上手」 「ン、あっ……んっ」 「教える前から上手じゃん」 「ンンんっ」 　撫でられたのは尻の狭間。そこでしか得られない覚えたての快楽がその指先にまたむくりと起き上がる。 「あっ……下手、です」 　おねだり、の仕方。 「先輩っ」 　だから、教えて。 「もっと……欲し」 　先輩の指に撫でてもらいたいと、壁に手をついて、くださいと、切実に懇願した。