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第21話 些細で、微細で
買ったのは自分だ。
先輩は買われたんだから、当たり前。
もらえるのが、買った部分だけなのは当たり前だ。
「先輩、昼飯、どこで食べます?」
「あー悪い、吉川、俺、ちょっと外に出てくる」
「あ、はい。了解です」
言いながら、ジャケットとスマホだけを持って、ビルを出た。珍しい奴から連絡があったんだ。大石からだった。この前の同窓会の時、連絡先は交換していたから、それで連絡をしてきてくれた。ランチを、なんて。仕事が忙しいけれど、少し、一昨日から滅入っていたから、ちょうどよかった。気分転換にもなるかなって。
「よ! 渡瀬」
そう、一昨日から、少しだけ滅入っていたから。
「あぁ。大石」
あの三日間が濃厚すぎたんだ。そしてその三日間が終わった後に、先輩から迎えに来てくれたりしたから、味を閉めて有頂天になってたんだ。
有頂天すぎて忘れてしまっていたけれど、あの人を買ったってことを思い出して、気分が落ち込んだ。
落ち込んで昨夜は嘘をついてしまった。
毎日買う。あの人の一日を六十個。けれど、昨日は仕事が忙しくてと嘘をついた。あの人はそのメッセージを読んでどう思っただろう。
何もせずに一日を消化できたと喜んだだろうか。
「すげぇな。でっかいビルで仕事してるんだなぁ」
大石が口を開けて職場の入っている高層ビルを下から上へと見上げた。
「悪かったな。なんか呼び出してさ。ちょうどこっちに営業の外回りで出てさぁ。あ、この辺って渡瀬の職場の辺りじゃんって思ってな」
「いや、いいよ」
「そんじゃあ、昼飯、どこにすっか。俺、ちんぷんかんぷんなんだわ」
「あーじゃあ、和食、洋食、どっち?」
オムレツより卵焼き。魚のムニエルよりも塩焼き。チキンソテーよりも生姜焼き。
「和食!」
変わらない大石の食べ物の好みについ笑ってしまった。
そう、あまり人付き合いが上手、というか、自然に朗らかさを作れない俺は、落ち込む度に大石のこの大らかで呑気なところに、和んでたっけと思い出した。
おはようございます、よりも、おはようございまーす。
貸してもらえるか? よりも、頼むよー、貸してくれ!
大石のそういうところは少し憧れだったっけ。
「そんでさぁ、仕事で今回の出張もさぁ」
言いながら、大石が、骨ごと干物を平らげていく。
「大変だったんだな」
「でも、まぁ、取引先の部長さんがいい人でさぁ、軟禁状態は免れたってわけよ。せっかくの都会じゃん? 少しくらい見て回りたいじゃん?」
「大石は人当たりがいいから」
「そうかぁ? あ、この温泉卵うっま!」
「そうだよ。人懐こくて羨ましかった。先輩たちにも好かれてたし」
よっぽど気に入ったらしく、単品でその温泉卵だけを追加で注文して、白米をたんまり口の中へと運んでる。
「そっか? そうでもないよ。お前も先輩に好かれてたじゃん」
「俺は、全然だろ」
そういうの得意じゃないのは重々承知してる。
「そんなことないって。ほら、えっと。し、し……」
「お前ね……白岡先輩」
「そう! 白岡先輩! すげぇ気に入られてたじゃん」
「……え?」
「気に入られてだろ? すげぇ」
そんなこと、ない、だろ。
「ほら、あの人さぁ、俺と同じで人の名前あんま覚えないけど、渡瀬の名前は覚えてたし、よくお前にバスケのアドバイスしてただろ?」
「それは……ポジションが近かったから」
「でもガードのポジやってた奴によりもお前に教えてたじゃん」
でも、そんなのは、普通に小さく幼く見えたんだろう後輩の世話をしてあげてただけのことで。
「別に……そんな……それに、気に入られるほど、俺は」
「んー……まぁ、俺もなんとなくそう覚えてるだけだけどさ」
「……」
先輩にしてみたら俺はただの後輩のうちの一人だろうさ。
あの人にしてみたら、自分を買い占めた客ってだけ……だろうさ。
「あ! でも! 一つ」
「な、なんだよ」
「俺とお前がさ、一緒に歩いてるところに白岡先輩が来るとするだろ?」
バスケの練習前の準備は基本一年の仕事だ。床のモップかけに、バスケットシューズの滑り止めのための雑巾。それにボールの準備。
なんだかんだ仲が良かったんだろう大石とよく一緒にしていた。そこに続々と先輩たちがやってくるのだけれど。
「そうするとさ」
――お疲れ、渡瀬。
お疲れ様、ご苦労様と必ず声をかけてから体育館に入ること、そんなルールがあった。そして、先輩はやってくると必ず名前を。
「毎回さ、絶対に、お前のことを先に呼ぶんだよ」
それは些細な、本当に些細なこと。
「いつだったかなぁ、ふとさぁ、それに気がついたんだ。俺、そういうの気がついちゃう繊細さがあるわけよ。あははは」
「……」
「だから、気に入られてると思うぜ?」
とても微細、だけれど、とても嬉しいこと。
「やっぱ、この温泉卵うっまっ」
大石は満面の笑みで卵をあっという間に平らげると、丸くなってきた腹をポンと叩いて笑った。
「おかえりなさーい」
「あぁ」
「どこ食べに行ったンすか?」
「?」
なぜそんなことを尋ねるんだろうと首を傾げた。和食だったし、そう匂いがするものは口にしていないと思ったのだけれど、それでも何か匂うとかなのだろうかと。すると、吉川が慌てて訂正してた。
とても機嫌が良さそうだから何か良いことでもあったのかと思ったと。
良いことなら、あった、かもしれない。
微細なことだけれど、大喜びしてしまうことが。
ほら、ほんの少し口元が緩んでしまう程度には嬉しいことが。
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