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第25話 ラムレーズンフレーバー

 やっぱり、この間、買った服をそのまま着ていくというのは考えものだろうか。  けれど、この服装に似合うコートがなかったんだ。一昨日、天気予報を確認した時は週末は行楽日和の温かな陽気に恵まれるって言ってたのに。そのあと、仕事の忙しさもあって、天気予報を確認せずにいたら、急に週末から冷え込むなんて。そんなこと思ってもいなくて、自分で買うのも間に合わなくて。でも、どうしても――。 「お前、ホント真面目だね」 「! 先輩」 「俺も、待ち合わせの時間よりも早く来たんだけど、それよりも早いじゃん」  どうしても今日はこれが着たかったんだ。 「けど、ミキは高校の時も練習試合の待ち合わせ時間とかいっつも早かったもんな。二年の時、一年よりも早く来てたりしただろ?」 「そ、れは……」  覚えていてくれたんだ。 「せ、先輩こそ、高校の時はいつもギリギリか、たまに遅刻してたのに」 「そんなこと覚えてたのか? 一応社会人歴あるからね。それに、この仕事で遅刻アウトだから。相手は普通の相場以上の金払ってるからさ」  この、仕事。  それは今、すぐ近くにあるものを指し示す言葉。今の出来事。今の場面。手に触れられる程の近さにある物のことを指し示す言葉。今、の仕事。今、この時も、現在進行形で行っている仕事。それはつまり「これ」自体が。 「そんで? 観たい映画があるんだろ?」 「あ、はい……」 「調べた。ちょうど、この時間のを観たかったとかだろ?」 「あ……」  調べてくれたんだ。 「チケット、買っておいた。早く行こうぜ」 「え! あ、あの、チケットって」 「ネットで買えるじゃん」 「そうなんですか?」 「いやいや、まさか知らなかったの?」 「だ、だって」  知らなかった。そもそも映画なんて。 「誰か友人と行くと言っても仕事が忙しかったりしたので……そ、それに、えっと」 「けど、お前、キス はしたことあるんだろ? だからそういう相手いたんじゃないの?」  いないよ。 「それは……」  セックスだけの話じゃなくて、付き合ったことはないんだ。 「けど、不慣れだったもんな」 「……ぇ?」 「キス」  不慣れだよ。不慣れに決まってる。だってあのキスは一方的に貴方の唇に唇をくっつけさせてもらっただけのことだから。  でもね、先輩、本当は映画とかそんなに興味ないんだ。今回観たいと言った映画だって、最近話題になっていると聞いたから選んだだけで、別に、そんなに――。 「じゃあ、今日は、デートのレクチャーだな」 「!」  その言葉に気持ちが跳ねた。  どうしてもこの服が着たかった。先輩に選んでもらった服だから。いつも生真面目そうな服装しかしていなかった俺に一日付き合って選んでくれた服だから。少し寒いけれど、日中はまだそんなに冷え込まないだろうし、今もそんなに寒くないから、平気かなって。  それに、それにさ。  先輩もして来てくれたんだ。黄色のストール。  あの日、このグリーンのカーディガンやニットにパンツ、それからブーツも買ったあの日に一緒に買ったストール。ちゃんと持っていてくれた。今日選んで持ってきてくれた。「これ」がたとえ先輩にとっては。 「デート、だろ?」 「……」 「ほら、おいで」 「!」  手を引かれた。早くしないと上映時間に間に合わないからと手を引かれて、駅から少し離れた映画館へと歩き出す。 「あ、あの、先輩っ」 「んー?」 「あの、手を」  手を繋いだままになっている。男同士、人の往来も多い休日の繁華街だ。 「だってデートだからいいだろ」 「でも」 「そんなに他人はこっちを見てないもんだよ。そんなに、人は他人に興味がない」 「……」 「だから気にしない」  たとえ「これ」が先輩にとっては仕事だとしても。 「おいで、ミキ」  手をしっかりと握り返した。たまにチラリと視線を向けられることはあったけれど、行き交う人のほとんどは先輩の言っていた通り、そんなに気にしてもいないようだった。  でも、ドキドキした。 「これがQRコードね。わかる? QRコード」 「そ、そのくらいはわかりますよっ、別に機械とかに疎いわけでは」 「それで、ここ押して。はい、ね。そしたら発券されるから」  先輩は映画のチケットをインターネットで買ったことのない俺に懇切丁寧に「チケットの買い方」を教えながら笑ってる。 「ほら、これでデートの時のチケット準備は大丈夫だろ? お前、飲み込みは早いから」 「もう、先輩、からかわないでください」 「次は飲み物とポップコーン」  楽しそうに笑っていた。 「ポップコーンどれにする?」 「え。サイズ、Sで」 「っぷ、あはは、そうじゃなくてフレーバーだよ」  また笑ってる。今日はよく笑ってくれる。 「ほら、いろんな味あるから」  ――お前、ノロいねぇ。アイスみんな取っちゃったじゃん。  大石みたい上手に「俺はコレー」なんて好きなアイスを取るタイミングも上手に図れないんだ。だから、OBが差し入れてくれたアイス、好きなのが取れなくて、最後に残った、普通のバニラを。  ――ほら、いろんな味あるぞ。  ないでしょ? 白岡先輩ってば。  差し出されたのは先輩が取っていた、ラムレーズンのアイスだけ。でもそれ美味しそうだなぁって、さっきたくさんアイスが入っていた袋の中で発見した時思ったんだ。ほろ苦くて、少し大人っぽい風味のするラムレーズンのアイスも好きだし、さらにチョコレートでコーティングされているのが美味しそうって思ったけれど、思うのはみんな同じであっという間に取られてしまった。  ――ほら。  そんなの、「あ、ありがとうございまーす、ラッキー」なんて取れるわけがないでしょう?  ――ぃ、いえ、バニラで。  ――っぷ。ほら、お前こっち。俺、バニラ食べたかったんだわ。サンキュー。  ――え、せんぱっ。  ――おーい。白岡ー! ちょっといいかー?  だって先輩はそれ食べたかったんでしょう?  ――そんじゃーな、渡瀬。早く食えよ。アイス、そっこう溶けるぞ。今日、あちぃから。 「じゃ、じゃあ、ラムレーズンバニラ、フレーバー?」  指差ししながらそれを注文すると、先輩が「美味そう」って、にこりと笑宇。 「これ」は先輩の仕事、だけれど。 「これ」は俺にとって、先輩との休日を満喫するデート。 「お前、これ好きだね」 「え?」  今、なんて? あんな些細なこと、覚えて――。 「お待たせしました。ラムレーズンバニラフレーバーのポップコーンとコーヒー二つ、ですね」  その時だった、館内にアナウンスが流れ、今から観る映画の予告が始まった。

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