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第27話 お邪魔虫

「この俳優さん、すごいイケメンで、吉川さん似てるって思って」 「えー、そう? 俺、こんなにイケメン? またまたぁ」 「ホントですってばぁ。あ、この人ちょうど今、映画に出てて、めちゃくちゃいいって評判なんですよ〜。タイトルは……」 「愛でなく、恋でもなく、とてもよかったぞ」  ポツリとタイトルと感想を呟いたら、吉川と、その吉川に請求書の誤字を見つけたからとやってきた、経理課の女性スタッフが目を丸くした。  つい、話しかけてしまったんだ。  だって、昨日観たから。途中泣いてしまったくらいにいい映画だった。少しだけ泣いてしまったほどに。  二人の会話に耳を傾けていたわけじゃない。週末にそれをちょうど観たから。その映画の俳優の名前が二人の会話の中から聞こえてきて、それで――。 「そ、それじゃ」  邪魔をしてしまった。二人の会話に思いきり水を差してしまったと、デスクを離れた。  あそこで邪魔をされてしまった二人の会話、俺があのままそこにいたら、俺を交えて話さないといけなくなってしまうだろうから、離れてあげようと。  ちょうどいい休憩がてらにとオフィスを離れ、自動販売機のところへと向かった。  三つ並ぶ自動販売機、それから座って飲むためのソファ。喫煙所は俺が入社した頃はここにあったけれど、このご時世だ。今はない。なくても喫煙者じゃないから構わないけれど、タバコを好む従業員はとても面倒だろう。 「……」  そういえば、先輩はタバコ吸わなかったな。同窓会の時、半数以上がタバコを吸ってたけれど。先輩は吸っていなかった。もう何度も会っているけれど、タバコの匂いがしたことは一度もない。何度も、もっと近くに――。  ――ミキ。 「……」 「映画なんて珍しいっすね」 「! 吉川」  吉川が小さく挨拶をすると、手を伸ばし、ブラックコーヒーを買った。支払いはスマホだから財布を持ち歩かなくていい。 「ちょうど見積もりやってた時なんで、助かりました」 「?」 「彼女、話が長いんすよ」 「そうか? よくお前に話しかけてるのは見たことがあるが、別に……」  そう長い印象はない。いつも楽しそうに吉川に声をかけているなぁと思う程度。 「……そういうとこ、渡瀬さんっぽい」 「?」  吉川は俺を見てくすりと笑ってから、ブラックコーヒーの小さな缶に指を立てた。飲み口のタブのところ。  吉川って何かスポーツをやっていたのだろうか。というかスポーツをやっていたからといって手が大きくなるわけではないだろうけれど、その、大きな手で缶を握りながら、つまり、その握ったままで指で、タブに指を突く仕草というか、手の形というか、そういうのが――。  ――いいよ。ミキ、イクとこ見せて。 「っ」 「映画見たんすか?」 「えっ?」  会社の休憩室で先輩としたセックスのことを思い出してしまったなんて、おかしな奴じゃないか。 「映画、さっき彼女が話してた」 「あ、あぁ」 「……渡瀬さんって映画とか観ましたっけ」 「あ、うん。これは……なんとなく」  セックスに溺れた快楽主義者みたいだ。仕事の途中に思い出すなんて。しかも後輩のコーヒー缶を握る手で、なんて。恥ずかしい。 「珍しいっすね……」 「あぁ……」 「…………さ、仕事戻ります。そうだ、渡瀬さん、後で作り直した契約書見てもらってもいいっすか?」 「あ、あぁ」 「ありがとうございます」  バカになってしまったのか? こんな場所で、あんな些細なことで、こんなに――。 「……バカ」  だから、それを自身で叱るように、吉川が背中をむけた瞬間、小さく文句を口にして、自分の頭をゲンコツで叩いてみた。 「っぷ、あははははは」 「そ、そんなに笑うことないじゃないですか」 「だって、お前、お前っ」  本当に、そんなに腹を抱えてまで笑わなくたって。 「普通、そんなのから、この手を思い出さないだろ」 「ちょっ! 先輩っ!」  個室でもなんでもなく、ただ仕切られてるだけのテーブル席で先輩が意味深な手の仕草をして笑っている。その、つまりは行為の最中に俺の、その、部分を握ってくれる時の手の形。それをされて、慌てて手でその形を作る手を捕まえた。  少し今日は先輩の飲むペースが速い気がする。心なしか、今、触れた指が熱かった。 「お前ってホントからかい甲斐がある」  今日は店が混雑していた。個室が良かったのだけれど、生憎個室はもう席が埋まってしまっていて、それではと、仕切りのあるテーブル席に腰を落ち着けたんだ。行き交う人には見えるけれど、そこ以外にはまだ見えないからと。 「か、からかわないでください」  俺も少しだけ飲むペースが速い、のかもしれない。 「だって、面白いから」  熱い。 「真っ赤になって、可愛いんだよ……」 「お、れなんて」 「今夜、どうする?」  身体が熱くて、たまらない。 「……え?」  今日は違うんだ。普段と違うからかもしれない。断られるかもしれないけれど、でも、ホテルじゃなくて今夜は。 「行くんだろ? この後」 「……」  初めて、だった。先輩が明確にこの後の行為のことを口にするのは。普段は俺がそれを言うんだ。だって、買ったのは俺だから。買われた先輩にではなく、主導権は買った俺にあるから。 「この後、ホテルに行くなら……」  行くなら? 行くなら、どうしますか? 俺は、もしも先輩が構わないのなら、ホテルじゃなくて、俺の。 「あ、あの、センパっ、」 「あれ? 渡瀬さん?」 「!」 「お疲れ様です」 「……ぁ」  昼間、経理の女性と吉川の会話を遮って邪魔をしてしまった。 「びっくりした。それっぽい人がいるから、って」  そしたら、今度は、吉川に遮られてしまった。邪魔を……邪魔をされてしまった。

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