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第28話 プライベートレッスン
びっくりした。今夜は職場からそう近いわけではない居酒屋にしたのに。まさか吉川にここで遭遇するなんて。
「すごい偶然っすね。この辺りに友達が住んでてたまたま来たんすよ。個室で飲んでんすけど」
「あ……」
まさか先輩と一緒の時に遭遇するなんて。
「って、渡瀬さんも飲んでたんすね」
商社マンだ。人当たりはすこぶるいい。プラス、吉川のこの性格だから、人見知りなんてするわけがなく、にっこりと笑顔で先輩へ会釈をした。
「俺、渡瀬さんの後輩です。すみません。邪魔しちゃって」
先輩はにこやかな吉川に会釈をした。けれど、笑ってはいないように見えた。笑ってはいるけれど、唇の端に苛立ちが見えた気がした。
「あ、そうだ。渡瀬さんが帰った直後、電話が来たんすよ。この間の電子デバイス開発会社から。俺の方で対応できることだったんで返事とか対処してます」
「あ、あぁ」
「メールしとこうかとも思ったんすけど、急を要することでもなかったので」
「あぁわかった。メールは確認しておく」
「ありがとうございます」
「いや、こっちこそ対応してくれてありがとう」
「いえいえ。って、すみません。酒の席に仕事の話して。それじゃ」
「あぁ」
ホッとした。大崎を接待するのはいつも俺がしていたから、「あの事」は吉川は知らない。その下衆な悪趣味のこと。けれど、大崎のことは知っているから、何処かから何かが溢れてやしないだろうかと気が気じゃなかった。先輩はもうその仕事をしていないのだから。
いや……。
違う。
これも先輩にとっては仕事……。
「あ、そうだ! 今日、観てきましたよ。あの映画」
「!」
「良かったっす。映画好きじゃない先輩が観に行っただけのことはありました」
吉川はそれだけ言い残すと、去り際に俺と先輩へもう一度会釈をしてから、個室のある奥へと向かった。特に先輩のことを気にしている様子はなかった。先輩に興味を示したわけでもなかった。いつも通りの人当たりの良い笑顔を向けていた……と、思う。
「すみません。先輩」
「……いや」
勘は良い方だと思う。吉川は。けれど、さすがに挨拶を交わした程度で相手の仕事まではわからない、はず。
「今のは職場の後輩なんです」
「……初めて見た」
「え?」
「お前が先輩って感じなの」
「……」
先輩がテーブルに腕を組んでついて、すぐ近くにあるアロマキャンドルへと視線を向けた。結構薄暗くしてあるんだ。行き交う人からあまり見えないようにとの配慮かもしれない。それでも吉川には見つかったけれど。その薄暗いテーブルを照らす火が先輩の表情もほわりと柔らかく照らした。
「あの……先輩?」
「ミキ」
火を見つめていた先輩がこっちを見た。俺を見つめる瞳の中で、その手元ばかりを仄かに照らす火がゆらゆらと揺れているのが、見えた。
今夜は、ホテルじゃなくて、俺の部屋に来ませんか? って、いうつもりだったんだ。だから、あの店にした。断られた時のことを考えて、うちから最寄り駅ではないけれど、でも、うちから最寄りの一番栄えた駅を選んで、店を探した。
別にお金がかかるから、とかじゃない。金銭的なことでならラブホテルっていう選択肢もあるわけだし。
そうじゃなくて、先輩をうちへ招きたかったんだ。
これが「仕事」なのはわかってるよ。俺が「買った」のもわかってる。
けれど、そういう行為を金で買う場所はホテルじゃなくても大丈夫でしょう? 部屋に呼ぶとかだってあるんでしょう?
「あ、先輩っ」
ここに来て、抱いてもらうのだって、構わないでしょう?
「あぁあっ……アっ……ン」
「やっぱり良い部屋住んでるな」
「あぁっ」
少し呆れられそうなほど、性急に先輩を欲しがってしまったけれど、呆れず相手をしてくれる。部屋の案内を手短に済ませ寝室へ招いた。一人用のベッドが置いてあるだけの部屋。「ごめんなさい」とお茶も出さないことに謝りながら、けれども自分の欲求のままにキスをする。二つの黒い星がある首筋に許しを乞うように。「先輩」と小さく呼びながら。
そして応えるように首筋にキスをされて、部屋の中に甘い自分の声が響く。
「ああ、あ、あ、あ」
うなじに先輩がキスをして、耳に唇を寄せ、低い声で俺の名前を呼んだ。「ミキ……」そう囁かれるだけで、身震いするほど感じてしまう。触って欲しい場所がたくさんありすぎて、欲しいものが多すぎて、慌ててしまう。ベッドはすぐそこにあるのに、そこに寝転がりもせずに立ったまま、先輩に触れた。
だって、先輩が俺の部屋にいる。
「ああっ」
俺の部屋に来てくれた。それを確かめたくて。
「あ、先輩、先輩っ」
慌てて手を伸ばして、先輩のパンツの前を手で弄った。アルコールのせいにもしつつ、いつもよりも欲しいものにそのまま素直に手を伸ばす。
「先輩っ」
だって、妄想ならたくさんしたんだ。
貴方にキスしてもらって、裸にされて、こうして抱いてもらえることを妄想しては自慰に耽って処理してた。この部屋で何度もしてもらったことがあるんだ。俺の頭の中では。
その先輩が本当にここにいる。
「あ、あ、あ……ン」
夢みたいだ。
夢なのかもしれない。
「あ、先輩」
「っ」
「先輩、口でしても、いいですか?」
夢じゃないと確かめないと。
だからお願い。
「……先輩」
舐めさせて。
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