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第32話 変化

 本当に手首の痕はその翌日にはほとんど見えなくなってしまった。  赤く残ってたのに。  ネクタイで手首を縛ってもらった痕。セックスをするのには手が不自由になるからひどくもどかしかったけれど、すごく……感じた。まるで先輩のものになったような心地がして、嬉しくてたまらなかった。  けれど、あの日から何か、なんだろう、少し変わった気がする。毎日会っているから、セックスはしたりしなかったりだけれど、それでも毎日会ってるからかもしれない。変化というよりはただ慣れただけなのかもしれない。けれど、確かにあの同窓会の晩よりはずっと笑うようになった。  最初の頃は笑ってくれるけれど、昔のような笑顔を見せるのはほんの瞬間で、あとは少し苦笑いになるんだ。  苦笑いは、すぐにわかる。  自分がそれをよくやってたから。今も、昔も。人見知りをするタイプで、人との接し方が下手な俺はどうしたらいいのかわからなくなるとよく笑って誤魔化してた。それに似た笑い方を先輩がしてたから。  今はそうじゃなくて楽しそうに笑う。  この前、うちで一緒にテレビを見ていた時も、動物の映像に笑ってたっけ。すごく楽しそうに。  ホテルも最近は使わなくなった。  もっぱらうちで――。 「渡瀬さん! いいっすよ、コピーなんて」 「……吉川」 「コピーなんて、俺か女性スタッフに頼んでくださいよ」 「いや、別にコピーくらいどうってことじゃない。仕事を性別で振り分けるもの、年下だからと雑用をお前に頼むのも俺はあまり好きじゃないよ。それに」  今日、これから向かう企業への資料を作っていた。  ペーパーレスを促進、且つ、八割以上の業務において、紙を使わなくなったうちの会社じゃ、コピー機なんてほとんど使われない。ただ、今日伺う企業は役員に高齢な方が数名いて、アナログを好むようだったから用意しておいた。 「もう終わった」 「……」 「どうかしたのか?」 「ぇ?」 「俺に用があって探してたんだろう?」  コピー機は別のフロアにある。俺がここにくることはほとんどない。俺とよく一緒に仕事をしている吉川もそれは然りだ。だからここで俺を見つけるというのは、探してないとありえないこと。 「あ、この前見学に行った工場の……取締役から連絡があって」 「あぁ、じゃあ折り返すよ」  工場の……か。多分、この前俺が欲しいと言った新技術のことかな。あれがあれば融資はできるから。 「あ、いえ、この前の新技術のこと詳しい内容をまた改めて資料作ったからと」 「あぁ、そうか、ありがとう」  少し……髪が伸びすぎかな。ワックス、というのを前に使って失敗したけれどああいうので何かした方がいいのかもしれない。使い方がいまいちわからないけれど。先輩に訊いたら教えてくれるかな。髪が少し俯くとパラパラと落ちてきて目元を隠してしまうのが邪魔くさいんだ。その度に髪を耳にかけるのが少々うざったい。 「あ……の……」 「? 吉川?」  先輩に髪の整え方、なんて訊いたら笑われるだろうか。最近あの人は俺をからかうから。  反応が面白いんだそうだ。ベッドの中でも、普段でも、よく俺をからかって遊んでる。  ――ミキ、乳首、触って欲しい?  焦らして、困らせるんだ。俺のことを。なんでも欲しいと言わないとくれなかったり。  ――あ、あ、あああああっ、や、ダメ、先輩、そこも一緒に触ったら、すぐにっ。  欲しいとねだる前に全部をくれて、俺を困らせたり。  ――あ、なんで……もっ、イクの、にっ。  すぐに達してしまいそうなほど気持ち良くしておいて、ギリギリでやめてしまったりする。  俺の反応が楽しくて可愛いからと。こんなただのサラリーマンを可愛いなんていうこと自体がからかってる。からかって遊んで、笑って抱きしめてくれる。  それはもう勘違いをしてしまいそうなほどに。 「あのっ、渡瀬さんっ」 「?」 「今日、晩飯一緒にどうすか?」  今夜は髪の整え方を教えてもらおう。 「ごめん。今日は用事があるんだ。悪いな」 「あ……いえ」  整髪料の使い方がわからないと教わってみよう。 「それにしても珍しいな。お前、いっつも飲み会だ、なんだって呼ばれて忙しそうなのに」 「いえ……」  けれど、感じてしまいそう。  あの人の手に頭を撫でられるとたまらなく気持ち良くなれる俺は、髪だって感じてしまうから。  ――ミキ。  想像しただけで、少し、ゾクゾクした。 「っぷ、あはははは」 「もう……先輩」 「ブハハハハ」 「……笑いすぎです」 「だって、おまっ、お前、あははははは」  遊ばないでくださいと鏡の中でむすっと顔をした自分。髪をびっしり七三に分けられ、とても変だ。その前のオールバックはまだマシだったけれど。 「だってお前、これめちゃくちゃハードなやつじゃん」 「寝癖がすごくて買っただけですから。そう言いながら付け足さないでください」 「お前の髪ならこんなハードのなのじゃべたべたになるよ」  言いながら解されていく。指を髪の隙間から入れて中から解される。 「もっと柔らかいエアリーのがいい」 「っ……」 「ないから、買いに行く? 薬局、近くにないっけ。あ、コンビニでいっか」 「ンっ」  やっぱり髪でも感じた。貴方、だからだろうか。髪が乱されると、たまらない気持ちになる。 「ちょうど、ゴム、切れそうだから」 「あっ……ンン」 「一昨日、たくさんしたじゃん? もうラストひとつ。けど」 「あ、あ、あ」 「これじゃコンビニいけないな」  鏡の中にはワックスで濡れ髪になって、指に掻き乱され、感じて喘ぐ自分がいた。 「ここ、こんなじゃ」 「あっ!」  昼間少し期待した。髪に触れられたらとても感じてしまうかもしれないって。  やっぱり感じた。 「どうしよっか……これ」 「あっ!」  やっぱりからかうんだ。  そして、無邪気に貴方がまた笑う。屈託のないその笑い方が、とても好き。 「あ、ン……先輩っ」  とても好き。 「ミキ……」  好き。 「先輩の、も、硬い」 「っ」 「一緒に、あっ」  好きです。  そう告げてしまわないように、先輩の唇にキスをして、自分のと先輩のペニスを一緒に扱いた。擦れ合うのが気持ち良くて、キスに先輩が応えてくれて、深く濃密に舌が絡まり合うのがたまらなく快感で。 「せんぱ……」  また溢れそうになる言葉を溢さないように舌先を先輩の中へと捻じ込みながら。 「ンっ……」  俺は互いのペニスを一緒くたに握りながら、貴方は俺の髪を弄りながら、イッた。 「っぷ、すげぇ、ボサボサ」  貴方はまたとても楽しそうに笑ってた。

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