47 / 74
第47話 事の仕舞い
「それでは我が社は本当に一切関与していないわけだな?」
「はい。関与していません」
「……ふむ」
「……」
「……わかった。ありがとう。忙しい中、すまなかったな」
いえ、そう言って首を横に振り部屋を後にした。
「……」
クビ、は流石にないだろうけれど、でも、もう真っ直ぐ順調な出世コースからは外れただろうな。でも、まぁ、それでも――。
「渡瀬さん」
「……吉川」
「あのっ」
「大丈夫だよ。大崎とのやり取りの中に一切怪しいことなんてなかったんだから。だから気にしなくていい」
大崎は逮捕された。流出した企業情報と金の流れにはどうしても不明瞭な部分も多く存在していたとのことで、取引先の一つであるうちにも何かしらの疑惑がかけられた。その中で、俺の名前も出たのだろう。調べれば、大崎が先輩を買った場所で、俺も三百万という金を支払っていることはわかるだろうし。怪しい性ビジネスを営む会社との接点、そして、接待の多い仕事、会社としてはあまり宜しくないだろう。もちろん今さっき説明したとおり、なんら怪しいことなんて一つもない。ただ、そのタイミングで俺が――。
「けどっ、渡瀬さんっ、辞めるって」
俺が辞表を提出したせいで、余計な疑念が生まれてしまった。
「あぁ、今月いっぱいでな」
「……」
なんで今、そう言いたそうに、吉川が不安そうに顔を歪めてる。なんら怪しいことがないのなら、何もこのタイミングで辞めなくてもいいだろう。そんな顔。
「あの……」
「安心しろ。ただ転職するんだよ」
「けどっ」
本当に怪しいことなんて一つもない。
俺はただ買い物をしただけ。毎月コツコツと貯めていた金でずっと欲しかったものを買っただけ。どこからか金を盗んで使ったわけじゃない。
「俺っ、渡瀬さんとっ。ずっと」
吉川の視線に、熱が混じった……ような気がした。
蕩けたような、絆されたような、甘い熱。
でも、それは勘違いだよ。勘違いにしておいた方がいい。だから、俺は吉川が言おうとしていることを、その言葉の続きを塗り替えて書き換えるように、言葉を続ける。
「そう、もうずっと俺の下につかなくていいんだ。お前は引き継ぎ頑張れ。俺にたくさん教わらないと」
「……」
きっと、あれは熱病だったんだと、そのうち気がついて、失敗したと嘆くことになるだろうから。どうして男なんかをって。
俺のも熱病みたいなものだろう。金で初恋を買うなんてさ。けれど、そう、初恋だから。初めてだから、特別なんだ。ただの熱病よりもずっと深刻な恋の病。
お前のは……そうだな。風邪くらいのものだ。だから勘違いってことにしておいた方がいい。
「ほら、辞めるまでの一ヶ月でみっちり引き継ぎだ。クリスマス気分とか言ってられないからな」
本当に大変なんだぞ? 自信過剰ではなく、本当にそれなりに俺はここの会社の出世頭の一人だったんだから。俺よりもずっと大きな、けれど、今はまだ少し頼りない背中をポンと叩いて、自分のデスクへ急いだ。残り一ヶ月、しっかり教えないと、って先輩風を吹かせながら。
――今夜、夜の八時。
仕事の引き継ぎに追われていたら、突然そんなメールが先輩から届いた。時間と場所と部屋の番号。
「お客様、何かお手伝い致しましょうか?」
呼び出されたのはハイクラスのホテル。
「あ、いえ、大丈夫。ありがとう」
時間と部屋番号だけ。それはまるで、ビジネスめいた行為のようで。
「……ここ」
エレベーターを上り、上層階の一室の前に立った。ここに、先輩が? でも、なんで、まるで以前みたいなことを。もう今は違うはずなのに。
今はもう俺と先輩は。
そして部屋を二回、控えめにノックをすると、女性の声が返事をした。そのことに驚いて、戸惑っていたら、扉が開いて。
「あら……」
美しい女性が現れた。その、若くはないけれど、艶めいた美女がバスローブ一枚って言う姿でそこに立っていた。
「いらっしゃい」
「あ、あの、白岡、さん、は……」
「いいから、部屋の中へ」
そうは言うけれど、でも、だって、中には人の気配がしない。
そして予想通り、部屋の中にはこの女性しかいなかった。
「こんな格好でごめんなさいね。今、準備をしてたところなの」
準備って一体何の。それに先輩は。
「準備って何の準備なんだろう? 先輩はどこだろう? そんな顔してる」
「!」
「ホテルに呼び出したのは私。彼のスマホをね、ちょっとだけ拝借して貴方にメッセージを送ったの」
なんで、この女性が先輩のスマホを? つまりは会ってたってこと、でしょう? いつ? 今日? そのバスローブ姿なのは一体。
「会ったわ。今日。さっきね。じゃないと貴方に連絡つかないでしょう?」
先輩の目を盗んで、スマホを使った。先輩のスマホを自由にできる時間なんてそうたくさんはないでしょう?
「シャワー、長いから」
「!」
まるで頭の中を全部見られてるみたいに、俺は一言だって言ってないのに、女性は話しかけてくる。答えてくる。俺が能内で話していることに。
「貴方だったのね……うちの主人がひどく気に入ってたの」
「……」
「貴方からの接待がある日は上機嫌だから気持ち悪かった」
「!」
「そう、大崎の妻、だったの」
「!」
「そ、もちろん、あの男娼とセックスしたこともあるわよ?」
先輩を買ったんだ。先輩に抱いてもらった人。
「あの男娼上手よね」
「……」
「セックス」
「……」
「あんな気持ちいいの初めてだったもの」
どうしよう。こんな、の。
「またしたくて」
こんな感情初めてだ。
「ね、だから、私、貴方から買いたいの」
イライラとも違う。腹立たしいのとも違う。でも腹の底が熱くて。
「五百万でどう?」
ただれそう。
「お断りします」
「……」
「いくら金を積まれても売りません。俺は三百万であの人を買ったんじゃない」
「……」
「あの人を三百万で買ったんです」
それがいくらでも買った。五百万だって。有り金全部使ったって、あの人の時間を買えるのなら。
「あの人は、誰にもあげない」
その時だった。ドンドンと扉を激しく叩く音がして、突然の大きな音に俺は飛び上がって驚いてしまう。大崎の妻なのなら、その扉の向こうにいるのは警察かもしれない。もしくは金を盗まれたと会社が追いかけてきたのかもしれない。そう思って慌てたけれど、女性は慌てることなく、バスローブ姿のまま部屋の扉を開けた。
「ミキっ!」
飛び込んできたのは警察でも、企業の人間でもなく。
「ミキっ!」
先輩だった。
先輩が血相を変えて飛び込んできて俺のことをさらうように抱きしめていた。
ともだちにシェアしよう!