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第48話 「それ」

「ミキ!」  びっくり、した。  先輩が来て。 「っぷ……ふふ、あははははは」  そして、バスローブ姿の美女が急に大きな声で笑うから、それにもまたびっくりした、けど。 「取って食べたりしないわよ」 「あのねぇ!」  二人の雰囲気にもっとびっくりして、そして――。 「だって見てみたかったのよ」 「……」 「貴方があんなふうに楽しそうに話した愛しい子のこと」  そう、その美女に自分のことをそんなふうに言われ手、もっと驚いた。 『前に会った時とはまるで別人みたいになってた。驚いて、何があったのかと思って、興味が湧いちゃったの』  美女はそう言うとバスローブ姿のまま、またソファに座り、長く繊細な指先で煙草を一本口へ……けれど、火はつけなかった。残念、ここは禁煙ルームだったわと呟いて。 「ったく、あの人は……」  クリスマスカラーとクリスマスソングで賑わう街中で、先輩が溜め息を溢した。  彼女は、これから海外逃亡なのだとワクワクした顔で話してた。愛人を連れてと、まるでバカンスにでも行くように。その数時間前に先輩から飛行機のチケットをもらうために、二人は会っていた。ただのファミレスで。そして、そこで先輩の目を盗んでさっきのメッセージを俺に寄越した、と、スパイみたいでしょ? なんて笑って話すような、不思議な女性だった。人の秘密を覗くのがとても好きで、そのいつもの癖で、夫である大崎のスマホを覗き、彼の横領を知った。彼女は先輩に助けを求めたんだそうだ。それと警察にも通報をして。 『もううんざり。私はハリー・ウィンストンオーシャン世界限定十本の隣にコレクションとして扱われるのが、嫌になったの』  彼のあだ名は皆が使ってるのだろうか。先輩もそう呼んでた。それから元妻にもそう呼ばれてるらしい。でも、あそこまでこれみよがしに見せびらかし続けてたら、そうもなるのかもしれない。 『寝る直前まであれ、つけてるのよ? バカみたいでしょ?』  まぁ、そう呼びたくもなる、か。あんな腕時計を年がら年中つけたら。  ホテルを出ると冷たい風が今日は心地良かった。 「そろそろミキの仕事が終わった頃だろうと思って、連絡入れようとスマホ見たら、知らないメッセージを送った形跡があるから」  あぁ、そうか、彼女が送ったメッセージが最新のところに残ってるのか。まるで、今、ここに彼を呼び出したわ、とでも言うように。 「彼女、ミキみたいなの、好みだろうからさ」 「そんなことは」 「綺麗なものが好きなんだ」 「……」  この人は……もう、何を言ってるんだ。真っ赤になってしまう。そんなことをナチュラルに呟かれたりしたら。 「そ、そんなことないとっ。だって、綺麗なものが好きなら、どうして大崎なんかと」 「っぶ、おま、お前ね、今、お前が誰より失礼なこと言ったぞ」 「!」  だ、だって、綺麗なものが好きなわりには、夫は全くもって綺麗じゃないから。 「でも買い与えられるものは綺麗なものばかりだったから、ってさ」 「……」  あぁ、それで最後にあんなことを彼女は先輩に言ったのか。 『その子が貴方の欲しかったものなのね』  そう部屋を俺たちが出る時、ポツリと呟いてた。  たくさん綺麗で好みのものを買い与えられたけれど、でもどれも満たしてくれない。じゃあ、次はこれ。あぁこれも違ってた。じゃあ、今度はそれ。あぁ、それも欲しいものじゃなかった。  欲しいものはあるのに、どれが欲しいのか、どんなものが欲しいのか、ちっともわからない。わからないから適当に手を伸ばすけれど、どれもこれも「それ」じゃない。 『だからね、人の秘密を見るのが大好きなの。その秘密にはきっと必ず欲しいものが入ってる。そしてその本当に心から欲しいものを見つけた時にだけ見せる笑顔がすごく好き』  彼女はそう言ってとても綺麗に微笑んだ。 『助けて欲しいって、連絡をした時、とっても羨ましかったもの。満足そうな顔をしちゃってて。何を手に入れたんだろうって気になっちゃって』  先輩には「それ」が見つかったと、羨ましくて、興味が湧いて、見てみたかったのだと笑ってた。 「でも、まぁ、あの人はしたたかだから」  あ……。 「……ミキ?」  今の、なんだか。 「ミキ?」  やな感じ。 「どうした?」  今まで感じたどの気持ちとも違う。  これは。  すごくすごく、やな感じ。もうずっと味わってきた「いいな、羨ましい、あの人の隣にいられて」っていうのとは違う。  まるで子どもが駄々をこねて、自分のだと主張するような、我儘が胸の内で暴れてる。  だって、先輩が笑いながら「あの人は」なんて、まるでよく、とっても知ってるように言ったりするから。 「な、何? 今度は笑って」  これは「やきもち」だ。 「おい、ミキ」  可愛げのない一個下。大好きな人を目の前にして、何をどう話せばいいのか、挨拶一つに戸惑ってしまうほどに。勇気を振り絞って、小さな声で「おはようございます」って言うと、他の誰にも聞こえなくても、貴方は毎回「おはよう」って挨拶を返してくれた。  俺の大好きな、先輩。 『その子が貴方の欲しかったものなのね』  貴方がずっと欲しかった。 「ミキ!」  貴方に話しかける方法ひとつに狼狽えてしまうほどに恋をしていたけれど、いつでも誰かのものだった貴方にやきもちなんてできるわけがなかった。  けれど、今、してる。腹の底がただれてしまうような熱も、今、チクチク突いてくるこれも全部、やきもち。 「ミーキ」  こんなに無視してしまったら、貴方に嫌われてしまいそうだと前なら思ったけれど。今はね。 「先輩」  今は追いかけてきてくれると信じて、振り返れる。そして、手を掴む。 「早く帰りましょう」  ずっとずっと欲しかった「これ」をギュって手で掴むんだ。

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