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第51話 初恋

「なぁ、お前、有給どんだけあんの?」 「えっと……ほぼ、残ってたというか」  だから毎回有休消化率のことで上司に休みを取れと言われてしまうんだと話したら、吹き出して笑われた。俺はそんな先輩が楽しそうにキッチンでコーヒーを淹れている様子を布団の中から眺めてた。  とても良い香りがする。  先輩は安物のインスタントだよというけれど、きっと色々が上手なんだ。俺が貰い物でどこかの高いコーヒーをドリップで飲んだりするよりもずっと美味しそう。 「ほら、ミルクだけでいいんだっけ?」 「はい。ありがとうございます」 「それ、お前の……なんか好きだった」 「?」  何かと思った。  首を傾げると、カーテンのない窓から降り注ぐ日差しもあってか、先輩が眩しそうに微笑む。そして、同じようにミルクだけ足したコーヒーを一口、口にした。 「ありがとうございます、ってはっきり丁寧に言うだろ? それと、受け取る時とかもさ両手で受け取るの」  そう、だった? あまりそんなの意識したことない。両手? で? 自覚のない自分の仕草を確かめるようにマグカップを握りしめる自分の両手を見つめた。 「色んなところが丁寧でさ、大切に扱う感じ」 「……」 「いいなぁって、ああいうのを彼氏にできる子は幸せなんだろうなぁって」  そう思ったと、まだ不思議そうにしている俺をチラリと見て、またコーヒーを口にした。 「そんなこと……」  彼女、とか考えたことなかったな。ずっと、好きな人がいて、ずっと片想いだった。その人のことが好きな自分以外は想像ができそうにもなくて。ましてやその相手が女の子だなんて。 「ね……ミキ」 「?」 「お前のファーストキスの相手ってさ、誰」 「……」  キスはしたことあるって言ってただろ? と、先輩が口をつけた自分のマグカップの縁を指でなぞった。 「言いたくないならいいよ。まぁ、あれ、どんな奴なのかなぁって。男か女か、とか、そういぅ、」  そっと首を傾げて、先輩の唇に唇で触れた。  貴方です、とわかるように。  わかりましたか?  わかった? 「……」  驚いた顔をしてる。 「……ぇ?」  そっか、このこと話してなかったっけ。なんだかんだ話さずにいたっけ。なんだかいろいろな順番がめちゃくちゃだ。 「先輩が引退する少し前に、練習の後に隠れんぼをしようってことになって」 「……」 「先輩は体育倉庫に隠れてたんです」  居眠りをしていた。マットの影に隠れて、気持ち良さそうに。 「何度呼んでも起きなくて……」  たくさんいた彼女たちと、きっとたくさんしただろうキス。先輩に触れたことのあるたくさんの唇。 「一度だけ、でもって」  その中に、一人、男子が混ざったって大丈夫じゃないかな、なんて思ったんだ。どうしてもどうしても欲しくて、今しかそんなチャンスはないから。 「それがファーストキスです」  ―― キスも初めて?  違うって答えたんだ。  ―― へぇ、キスだけはあるんだ。  貴方と、とは答えなかったけれど。 「ごめんなさい」  無理やりばかりしてと謝ったら、まだ一口も飲んでないコーヒーの入ったマグカップを奪われ、そのまま布団に押し倒された。午前の眩しい日差しが窓一面に降り注ぐからとても眩しくて目を細めたら、先輩が覆い被さってくれた。影になって眩しさがなくなって、代わりに真っ直ぐに俺だけを見つめる先輩がよく見える。 「先輩?」  なんで笑ってるの? 「いや、お前のファーストキスの相手がさ、気になってて、ずっと」  ずっと? ずっと、っていつから? 「お前のこと抱きながら、なんで抱かれ方なんて覚えたいんだろう、誰に抱かれたくて覚えようとしてるんだろうって、そういうのとさ」  それは貴方に抱かれたくて適当にくっつけた言い訳。 「それと、こんなに何も知らないくせに、誰とキスしたんだろうってさ」 「……」 「なんかすごい純愛っぽいじゃん。こんだけエロいお前が、キスだけした相手って」  快楽を覚えるのが上手で、色気もあるのに、なんでその相手とはキスだけだったのだろう。どうして触れたんだろう。どうしてもっと深く触れなかったんだろう。それがとても大切な恋に思えて。 「羨ましい、どこの誰だよって」  その相手は自分ではないのだと思うと。 「そう思った」  胸の辺りがチリチリした? 小さな痛みと小さな熱に少しばかりの苛立ちを覚えた? やきもち、してくれた? 「お前の初恋の相手がさ」  そっと腕を回して、先輩にしがみつく。 「センパイ……」  初恋の人にしがみついた。 「ん……」 「……ミキ」 「んっ」  首筋にキスマークがついた。覚えたんです。こういう感じのはキスマークがつくって。 「好きだよ、ミキ」  やっぱり下手だなぁ、俺は。  欲しいものを素直に言えない。大石みたいにさ、差し入れでもらったアイスの好きな味のなんて上手に手に入れられないんだ。欲しいけれど上手にそれを言えなくて、毎回まごついてしまう。貴方のことが欲しいです、好きです、と、もっと素直に言えればいいのに。 「あっ……ン」 「ホント、初恋って盲目になるのな」 「?」 「なんかずっと抱いてたい」 「……」 「けど、カーテン先に買いに行こう。窓から丸見えだし、眩しいし」  欲しいですって、もっと素直に言えたらいいのに。 「じゃあ、カーテンしたら、してくれますか?」 「……」 「先輩、続き、してくれる?」  もっと上手に。  欲しいとそのまま素直に口にしたら、美味しいコーヒーの味がする優しいキスをもらえた。

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