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春旅行編 4 昼間の桜と
昼間とは全く違う顔をした桜を見に来ようと人が大勢来ていた。浴衣姿の人もいれば、私服の人もいる。桜の木はそれぞれその幹の根元に置かれたライトで下から照らされ、昼間は薄い、淡いピンク色だったのが、夜になると濃厚な色に変わっているように見えた。
その行き交う人の間を擦り抜けて、どんどん進んでいく。
桜のライトアップは途絶えてしまったけれど、人も途絶えたからちょうどいい。
「ミキ……」
「は、はい」
手を差し伸べられて、その手に手を重ねると、ぎゅっと握ってくれた。
「足元気をつけろよ」
「……はい」
ライトアップがなくなると途端に明かりの乏しい夜道になる。けれど、今夜は月が綺麗に出ていて、それが桜を照らすからなのか、歩くのに不便ではなかった。まるで桜が光を食べて自分から発光しているように、薄紫色に花びらが光って見える。
歩けないわけではないくせに、その手をぎゅっと握った。
「お前は昼間の桜と、夜の桜、どっちが好き?」
「え、どっち……」
「まるで違う花みたいだよな。昼と夜じゃ」
繋いだ手をまるで子どもみたいに、先輩が、ぶらん、ぶらん、って、ブランコみたいに揺らしながら、ちらりちらりと桜が舞う川沿いをゆっくり歩いてく。
「俺が二年、そんでお前が一年で、合宿行っただろ?」
「? は、はい」
「あの時、お前、花火参加しなかったから」
覚えていてくれたんだ。俺のこと。あんな些細なこと。入ったばかりの一年生のことなんて、先輩は見てないと思ったのに。
「お前、不器用なんだもん」
「……」
花火をしたんだ。あれは合宿最後の日だった。先生が練習頑張ったご褒美だって、花火セットを買ってきてくれて、泊まっていた民宿の庭でみんなで手持ち花火をした。
「バケツの水だ、蝋燭の追加だってずっと動き回ってただろ?」
だって。
「声かけようと思っても、すぐにどっかへピューって走っていってさ、話かるタイミング全然ないうちに終わっちゃって」
花火に照らされる自分の焦がれてる人の横顔なんて、見惚れてしまうから。絶対に視線で追いかけちゃうに決まってるから、見てしまわないように忙しくしてたんだ。
「だから、すごい時間差だけど、花火一緒にしようかなって思ったんだよ」
何かを思い出したように先輩は笑って、そして、頬をそっと撫でてくれた。俺よりも背の高い貴方を見つめると、頭上にある桜の天井が風に揺らぐのが見えた。その揺らいだ隙間から夜空がチラリと顔を覗かせて、とても綺麗な夜桜を柔らかい光が照らして。
「一つ下のお前と一緒の合宿はあの一回だけだった」
「……」
「次の年さ」
「?」
先輩は夏期講習があるって聞いたっけ。わかっていたくせに少し残念だったのを覚えてる。顧問の先生が今年の三年生は合宿来られない。みんな、夏期講習があるからなってミーティングの時だったか教えてくれたんだ。そして、その時、先輩には他校の彼女がいたから、その彼女はきっとそういう予備校で知り合ったんだろうって思って、もっと残念になった。
あぁ、その夏期講習、彼女と一緒に受けるのかなって。
「次の年の合宿は花火できた?」
「あ、多分」
「っぷ、なんで多分なんだよ」
だって先輩はいないんだもの。そんなにたくさん覚えてない。早く合宿終わらないかなぁってそればかり思ってた。終わって、学校の部活なら先輩はまた参加してくれるのにって。
「夜に、あいつ花火ちゃんとできてるかなぁって、思ったんだ」
「……ぇ?」
「夏期講習の帰り道でさ、あいつ、今年は花火できたかなぁって」
俺のことを?
「そんで少しびっくりした。なんで、渡瀬のことを思い出したんだろうって」
「……」
「少し思い出したら、もっと思い出してさ」
どんどんどんどん、一つ下の後輩の顔が脳裏に浮かぶ。
合宿中、一生懸命に動き回ってた横顔。みんながわいわいと大部屋で過ごしている時、救急箱の中身を確かめてる横顔。汗臭いだろうTシャツを嫌な顔ひとつせずに抱えて頑張る横顔。そして、水筒の蓋が開かないと一生懸命な顔。それから。
―― あ……先輩。
それ開けてやるよって手を差し伸べた時の驚いた顔。
「あ、目が合ったって、思ったんだ」
「!」
「真っ赤になってさ」
いきなり声をかけるから驚いたんだ。貴方はてっきり先輩たちとジェンガをしているとばかり思ってたから。顔を上げたら貴方で、心の準備なんてしていなかった俺は、言葉も出なくて。
「ありがとうございますってハキハキ言うのがなんか、可愛くてさ」
「そんなこと」
「可愛かったなぁって、思い出して」
あの時、先輩が三年生の時、夏は他校に彼女がいた。予備校で知り合ったってどこかで聞いた。先輩はとても目立つし、かっこいいし、人気だったから、よく話題に上がるんだ。
その、俺のことを思い出してくれた時は、予備校で知り合った彼女は一緒じゃなかったんですか?
「どうしてるかなぁって…………思ったよ」
なんでもいい。
もう、なんでもいい。
「幹泰……」
貴方に、ほんの一瞬、瞬きするくらいの一瞬でも、思い出してもらえてた。
「先輩……部屋、戻りたい」
ただそれだけで、たまらなく幸せだから。
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