58 / 74

春旅行編 6 桜に触れた

 あーあ、合宿、終わっちゃった。  三泊四日なんてあっという間だった。すごくすごく楽しみにしてた。日にち決まってからずっとワクワクしてた。  だってあの白岡先輩と丸々三日、一緒の場所にいられるんだから。  先輩のTシャツとか洗っちゃった。ご飯食べてるとこ見ちゃった。部活で一日試合の時もあるけど基本学年ごとでお弁当食べちゃうから、食べてるところはほとんど見かけない。差し入れのアイスとかジュースとか、あと学校外での部活動の帰りにコンビニ寄った時とか。そのくらい。  だからあんなふうに食べてるとこが見られて嬉しかった。お風呂上がりの先輩とかもちょっとだけ見れたし。寝起きの先輩も見れたし。眠そうにあくびしてるとこも見れたし。楽しかったなぁ。  本当に一緒にいられたんだなぁ。  知らない先輩をたくさん見られた。  楽しみすぎてさ、直前で髪切ったんだ。少しでも見てくれよくしたくて。新しいTとか選んで、楽しみで楽しみで。別に先輩に見てもらえなくてもいいから、デートじゃないけどさ、身なりを――。 「髪、切った?」 「…………ぇ」  ちゃんとしておきたいなって。 「渡瀬、髪切っただろ?」  見てもらえなくてもいいから。  心臓、止まるかと思った。 「あ……は、ぃ」 「前髪少し短いからさ。それ、いいじゃん」  ありがとうございますって言いたかったんだ。けれど、先輩が短くなった俺の前髪をちょんって指先に引っ掛けて触って。  触って、くれたから、びっくりして声が出なかったんだ。心臓が止まっちゃったから、だから全然声が出なくて。 「おーい! 白岡ー!」 「おー!」  見て…………もらえてた。 「陸部の女子が写真撮ろうだってよ」 「おー、いいよ」  髪、切ったの気がついてもらえた。それが嬉しくて嬉しくて、嬉しくて……すぐ目の前、睫毛に触れそうな近さに先輩の指があったこと、髪、触ってもらえたこと、それから、それから。 「っ」  すごく嬉しくて、帰りのバスはちっとも眠れなかったんだ。みんな合宿疲れで眠ってる間、ずっと起きて、流れる景色をうっとりと眺めてた。 「ミキ、ごめん。待った」 「……いえ」  先輩がチェックアウトをしている間、外に出て、川を挟んだ向こうの桜並木を眺めてた。 「へぇ、もう人がいるんだな」 「みたいですね」  まだ十時前だというのに、桜の下には人がいた。大きな名所で、日本中から桜見物に人が集まるから、宴会みたいなお花見は禁止されている。みんな眺めるだけだけれど。それでも、思い思いに桜をバックに写真を撮ったり、桜だけを撮影してみたり、この時期にしか見られない見事な桜色を楽しんでる。 「さ、俺たちは帰るか」 「はい」  先輩はそういうと桜並木に沿って流れる川沿いの反対側の道をゆっくりと歩き出した。こっちからも桜を見物はできるけれど、向こうみたいに桜の天井はないから、人はほとんど歩いていなかった。あっちの道の方がずっと綺麗で桜を堪能できるから。けれど。 「……」  少し後ろを歩いていて俺に振り返り、ゆっくりと歩く先輩が手を、繋いでくれる。 「楽しかったな」 「……はい」 「……っぷ」 「? 先輩?」 「お前って変わらないよな」  はらりはらりと桜の花びらが風に乗ってこっちの道にまで降り注いでる。 「今朝さ、風呂に入った時、前髪、触ったら、びっくりした顔して、真っ赤になってただろ?」  昨夜は別々に入ったんだ。その夜通し抱いてもらっていたから。一緒に入りたかったとちょっとだけ文句を零したら照れ臭そうに髪をくしゃくしゃにして、だって、裸見たら抱いちまうだろって、笑ってた。花火がしたかったから。その前に手を出したら、花火なんてどうでも良くなるからって。  結局花火はなかったけれど。  そして夜通し抱いてもらって、朝方、ようやく二人で個室の露天風呂に入ったんだ。 「合宿の時にさ、お前が髪切ったことに気がついて、髪切った? って話しかけたんだ」  よく、そんなの覚えて。 「そしたら真っ赤になってさ、なんか、こいつ可愛いなぁって思った」  ただの、一つ下の、後輩の、俺なんかこと。地味で、目立ちもしない、俺なんかのこと。 「可愛いなぁって……」 「……」 「帰りのバスの中、一番後ろの席でさ、そう思ってた」  俺だけかと、思ってた。あのバスの中起きてるの。  けれど先輩も起きてたの? 「その頃と、お前、リアクション変わらないんだもんな」  みんなが寝ているバスの中、貴方に触れてもらえたと内心大喜びで、嬉しさを噛み締めていた俺。  みんなが疲れ果てて寝ているバスの中、起きていた先輩。  それはまるで、まるで、互いの糸が繋がっているみたい。 「だって……」 「ミキ?」 「貴方のこと、あの頃からずっと、とても好きでしたから」  今度は繋いでいた手を俺が少しだけ引き寄せて、そっと、そーっとキスをした。唇だけに触れる、些細なキス。まるであの日の、体育倉庫でしたようなファーストキス。 「好きですから」  そう、丁寧に、少しドキドキしながら告白すると、ひらりひらりと舞い散る桜の花びらが一枚先輩の肩に留まった。 「俺も好きだよ」  言いながら、先輩もキスをくれて、そして髪に触れた。触れたその手の中には、手品みたいに、淡い桜色の花びらが一枚あって、俺はまた頬を真っ赤にして、微笑む貴方にただ見惚れていた。

ともだちにシェアしよう!