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白岡(攻め)視点 1 一年生
「――それでは、このままプランを進めさせていただきますね」
「えぇ、宜しくお願いします」
「いえ」
小さなコンサルティング会社を立ち上げて、一年になる。
従業員は一人。
「わざわざ社長自ら足を運んでくださるとは。ほら、あの、秘書の方でも構わなかったのに」
「……」
やっぱりなぁ。よかった。俺が来て。会食しつつの打ち合わせなんて。それこの前も言われたけど、そしてその時も断ったんだけど。明らかに狙ってる。社長と打ち合わせるより、秘書と打ち合わせたいなんて普通ないだろ?
「いえいえ、まだまだ小さな会社です。社長である自分が自ら動かないと」
ブランドものでびっしり身を固めてるような奴は特に好きかもな。うちの秘書みたいなの。誰よりも上等で、誰よりも品があって、最高だから。
「また是非宜しくお願いします」
でもやらないよ。あれは、誰にも。
そう思いながら、にっこりと営業スマイルで頭を下げた。
出会った時はまだ高校一年の子どもだった。
俺が一つ上の先輩。
たった一つ、そのたった一つ歳が上だ下だの違いなんて、大人になれば大差ないことだけれど、当時はやたらと小さく可愛く思えた。
―― うわぁ、かっわいい、一年生かぁ。
背が小さくて、同じ制服を着ているとは思えないほど華奢で。
――一年生?
俯きがちなその子に声をかけると、パッと顔を上げた。
真っ白な肌にピンクの頬、睫毛は長く、パタパタと瞬きをする度に見惚れるほど。不安? 怖い? けれど、キュッと結んだ唇のピンクは、校庭にこの間まで咲き乱れていた桜よりも、その端でこっそりと咲いた背の低い、けれど近づくととても綺麗な桃の花の色をしていた。もう花見シーズンが終わった頃に咲くものだから、誰もその花を愛ではしないけれど、とても愛らしくふわりと咲く、桃の花。
―― ね、バスケ部入らない?
気がつけば、そう誘っていた。自分で少しびっくりしたんだ。どう見たって運動を好んでするようなタイプには見えなかったから。だってその手はとても小さくてバスケットボールなんて片手でシュートできるとは思えない程だったから。
なんで誘ったのかは自分ではわからなかった。
―― 背、伸びるよ? そのままも可愛いけどね。
もちろんその一年生は戸惑うさ。
――あ、あの……。
けれど、小さなその声は柔らかくて、少し高くて、少し掠れてて、独特というか、やたらと耳に残ってて。
―― バスケ部、今日の放課後練習あるから見にきなよ。明後日も練習してるよー。それじゃあねー。
もう少し聞いていたいと、慌てて、俺はその子に話しかけたんだ。
そして、放課後、その子が本当にやってきた。
―― あ! マジできてくれたんだっ!
――す、すみませんっ。
――なんで謝るの? ありがとねー。そこ座って見てて。
嬉しかったっけ。小さな頭がひょこっと体育館の中の様子を覗き込んでた。入り口のとこでどうしたものだろうと困っているその子に急いで駆け寄って、話しかけて。廊下で話しかけた時と同じ桃色のほっぺたも、小さな手も、きょどるとこも、全部可愛かった。
――えっと、そうそう、時間、帰る時間、好きに帰っていいからね。一声とか、かけなくて平気。帰らないといけない時間になったら、そのまま、サーっと帰っちゃっていいからさ。
そう話すと黒い瞳がじっと俺を見つめてた。
――よーし、ステップ練、行くぞー。
ステップやるのは苦手。しんどくて、面白さゼロだから。なのに、なんだろう、なんか、いつも以上にコートを走り回る自分がいた。
一年生ってあんなに可愛かったっけ?
あんなに細いもんだっけ?
つい一昨日、在校生として参加した入学式で見かけた新一年生の行列にはそんな印象はなかった。目についたのは、でかい気がする制服の真新しさくらい、かな。それと、あぁ自分もあんなだったんだなぁってくらい。他のバスケ部入部予定、まだ、新学期始まってすぐだから、連休までの一ヶ月間はあっちこっち興味のある部活に仮入部することができる。明日はバスケ、明後日はサッカー、みたいな感じに。けれどその子は毎日バスケ部に来てた。もう一人、でかい一年がいつも隣にいたけど、そいつも毎日、だったかな、バスケ部見学。
家は学校の近くらしい。
送るよって言ったらそう話してた。
あとはあんま知らない。
「ねぇ、白岡クン」
けど、女子より白い肌をしてた。
体育着から出た腕はやたらと細く思えた。
「今日って部活休みでしょ?」
掴んだら折れそうなくらい。少しでも強く掴んで、引っ張ったりしたら、マジで折れるかもしれない。
「うち、今日、親いないよ?」
――先輩。
「ね、白岡クン」
声、可愛かった。唇はピンク色だった。あれって、リップでも塗ってんの? 女子がつけるようなのと全然違うけど。どんななんだろう。もしもリップじゃないなら、それは、触れたら――。
「白岡クン?」
「! ぁ、あー、えっと、ごめん」
なんだろう。
「今日は」
部活がない日はカノジョとデートして、それで……っていう感じだったのに。今日は、なんか、なんでか、部活がなくて、なんか残念だなって、そう思った。
なんだ、今日は――。
――先輩。
「用事があるんだ」
あの子に会えないじゃん、って。
「お帰りなさい先輩。……先輩?」
「!」
帰宅するとミキが出迎えてくれた。
返事をしない俺に疲れているのかと、心配そうに振り返る。
「どうかしましたか? 打ち合わせ、難航しました? 向こうの社長さん、会食でって言ってましたが」
「……」
覗き込む黒い瞳。触り心地の良い柔らかな黒髪。あの頃、話しかける度に色づいていた桃色の頬は多少色が薄れたけれど、唇のその色は濃くなった。
「先輩?」
引き寄せると折れそうだった細い腕は多少しっかりした。
「……ン」
あぁ、それと、この唇はリップを塗って色塗りしてあるわけじゃなかった。
「ん……先輩……っ」
あれあんま好きじゃなかったんだよ。
キスすると、べちょってしてさ、たまに味のするのとかしてる女子がいると、違和感すごくて。だって唇からジャムみたいな味がして、実際ジャムみたいな感触で、正直、不味かった。
けれど、この唇は触れると柔らかくて、初めての感触がした。
そして、とても美味かった。
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