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白岡(攻め)視点 2 いっこ、下

「会食、疲れましたか?」 「あー……」 「何か食べますか? お腹が空いてそうです。すぐに作りますよ。それと先方には次の打ち合わせの時は私が行きます。最初、先輩が挨拶しておけば、あとは従業員の私が対応で大丈夫か、と……」  一緒に帰宅してそう間もないんだろう。ジャケットを着ていたミキがそれだけをリビングのソファに置くとスラックスにシャツのまま、エプロンを身につけた。 「先輩?」  その腕を掴んで引き寄せると、細い腰を抱いた。 「あの」 「……」 「お腹が空いてるんでしょう? あまり会食みたいなの好きじゃないから。今、何か作ります」 「ダーメ」  落ち着く。こうしてると。抱きしめたまま、その細い肩に口をつけて、ふぅと僅かに溜め息をついて目を閉じる。 「あの」  あの、って言うの口癖なのか。高校の時もよく言ってたっけ。  ――あの、先輩、お水、どうぞ。  真っ赤なほっぺたして、話しかけたのはミキの方なのにいつも困った顔してて。 「先輩? お腹、空いてないです?」  可愛いと思った。 「……あの社長には今度も俺が対応する。ミキは出て来なくていいよ」  恋愛対象には見たことなかったよ。ゲイじゃなかったから、そういう対象では見たことはなかった。 「でも……」 「でもも何もない。俺が対応する」 「……あの」 「ミキは確かに従業員だけど、俺の秘書でもあるだろ?」  そういう対象に見たことはなかったけど、比べたことなら、多々あった。  彼女よりも細い腰してるな、とか。彼女よりも睫毛長いな、とか。彼女よりも……可愛いな、とか。 「だから、ダーメ」 「……」 「わかった?」 「……はい。わかりました」  彼女よりも――。 「それでお腹は空きましたか?」  話してると、楽しいな、とか。 「ああいう懐石料理はあまり好きじゃないでしょう?」 「腹はいっぱいだよ。ミキが選んだ店は美味かったよ」 「それならよかったです」  不思議とミキをよく見てた。いつも隅っこの方にいたし、バスケ部の中で目立つ後輩じゃなかった。けれど、なんというか、ふとした拍子に目に入るんだ。不思議な存在だった。普段はほとんど目立たないのに。例えば、試合の時、遠くで聞こえたミキの声援に自然と視線が引き寄せられる。そこには必死に応援してくれてる姿があったり。  なんていうんだろう。  練習前のモップがけをしているところとかが健気でさ。  水を手渡してくれる姿がいじらしくて。  お前は知りもしないだろうけど、そんなことを思ってたっけ。  あれは、試合の帰りだった。練習試合で一日中試合ばっかして、ヘトヘトになった帰りの電車の中。めちゃくちゃ混んでて、ぎゅうぎゅうで、偶然隣にミキがいた。大体、二年は二年、一年は一年、って固まってるんだけど、その日は混雑のせいもあって、そういうわけにもいかなくて。気がついたら、押され押し出されて、ミキがそこにいた感じ。  ――大丈夫?  ――は、はい。  細かったから。乗客に押し潰されそうなミキが心配で。  ――わっ!  降りようとした乗客にぶつかられてよろけて俺に当たった。  ――す、すみませんっ。  慌てて飛び上がって、耳が真っ赤になってた。細かった。ずっと俯いていて、顔はよく見えなかったけど、でも、そのうなじもチラリと黒髪の隙間から見える耳朶も真っ赤になっていた。  そして、小さかった。  腕の中にすっぽり収まりそうだなぁって、思ったんだ。  抱きしめたら、すっぽり収まって、俺のことをいつもみたいに困った顔で呼ぶ瞳はきっと潤んで――なんて、想像しかけて慌てたっけ。  いっこ下の男相手に今何考えかけた? ってさ。慌てて掻き消して、ただ電車の外へと視線を向けた。見ていたらいけない気がしたんだ。うなじも耳朶も。  そしたら、窓に写ってた。もう日が落ちて、窓ガラスは外の景色よりも、電車の中を鏡のようにその窓に映していて、そこに写ってた。  俯いて見えなかったミキの表情が。いつも通り困ったような顔。緊張してそうに、キュッと唇を噛み締めた顔。俺はその表情を見ながら、その時付き合っていた彼女よりも。 「先輩? どうかし……ン」  可愛いなって、思った。 「あれ、してよ」 「え?」 「お帰りなさい。お風呂にします? 食事にします? それとも……ってやつ」  あれは、そうだ。引退を控えた、夏の大会前の練習試合だったんだ。だから念入りに何度も何度も試合したんだっけ。  だから、もう、した後……だったんだな。 「……お帰りなさい」  もうそろそろ引退だなって、思い出作りにってさ、かくれんぼをした後だったから。  もう、お前が俺にキスをした後だったのか。 「お風呂よりも、食事よりも……」  ミキはファーストキスをした後で、俺にとっては、いっこ下の男と、彼女よりも可愛い後輩と、キスをした後だったんだ。 「かまって……ください」  するりと俺の腕に腕を絡みつかせて、引き寄せて、甘えるようにキスをくれた唇はつい口元が綻んでしまうほど柔らかかった。 「かまって……先輩」  唇を舐めて、舌を差し込んで、ミキが甘い甘い吐息を溢す。 「ン……」  あの頃、何度か考えた。抱きしめたらどんななんだろうと思っていた、いっこ下の後輩。 「あっ……ン」  実際に抱きしめたら、男なのに、ちゃんと骨っぽくて、硬いのに、彼女達よりも、誰よりも。 「あっ、先輩っ」  その抱き心地は極上だった。

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