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泊まり込んだ翌朝

 ねっとりと闇が纏わり付いてくる。密度の濃い空気は、それだけで重さを感じさせる。  気を失うように眠りに引き込まれていた祐次は、くっついたまま離れたくないとぼやく目蓋の声を無視してそろりと目を開いた。  閉じている時となんら変わりのない暗闇の中で、それでも十数秒もすれば無機質な縦長のロッカーが並んでいるのが認識できるようになる。  べったりと両腕を伸ばして楕円のテーブルに突っ伏していた体を動かすと、妙な姿勢で固定されていた筋肉も関節もみしみしと軋むような感覚を伝えて来た。  あー、と声を出す。ひり付くように喉の奥が痛む。腕時計のライトを点ければ、ここに座ったと記憶する時刻から二時間も経っていない。  けれどどうでも起き上がらないと、もうじき早朝スタッフが出て来る時刻だ。  祐次はゆっくりと伸びをすると、汗を吸った薄い青色の作業着姿のまま、テーブルのすぐ脇にある流し台で顔を洗うために立ち上がった。  市村祐次(いちむらゆうじ)は、ショッピングモール内に配置されている清掃部門の責任者だ。正確には責任者の補佐なのだが、本社との行き来の激しい責任者に代わり現場に出ずっぱりが多く、契約しているモール側からしても現場で働くスタッフから見ても、責任者といえば祐次という認識になっていることが多い。清掃スタッフを派遣する本社は隣の隣の県にあるのだが、全国津々浦々、何処にでも正社員を派遣しては現地でスタッフを教育して契約先での仕事を斡旋している。  プロのスタッフが直々に一ヶ月の事前研修を施し現場で応用させるから、新規店舗等でいきなり新人を雇うより手際が良い。但し、現地スタッフの初期メンバーはそれなりの質に育てられても正職員ではないため入れ替わりが激しく、途中で入ったメンバーへの教育が行き届かなくて段々サービスの質が落ちていくというデメリットが存在する。  それをカバーすべくこうして正社員が必ず一人は現場にいないとならないわけだが、責任者である大田は本社に行くついでに休暇をとって妻子とバカンスらしいし、その代わりに来る筈の所長とは名ばかりの電話番も基本的に日勤しかしない。結局、夜間の現場は祐次にお鉢が回ってきて、作業が長引けば借りているアパートに寝に帰ることすらままならない。  口の中も水でゆすいで、パートの誰かが掛けてくれているタオルで顔を拭いた。  いくら二十代後半の働き盛りでも、睡眠時間二~三時間が何日も続くと体が辛い。しかも布団で寝てすらいない。倒れるように店舗内のロッカールームで仮眠を取り、日勤の人が来たら自宅でシャワーを浴びて食事をし、昼寝でもとベッドに向かおうとすればモールの責任者や現場から呼び出されて後始末をする日々。  作業自体は嫌いではないのだが、居丈高な取引先に頭を下げ続け、現場スタッフには文句を言われ泣きつかれの精神攻撃には辟易しているのだ。  ああ、今日もまた一日が始まるのか……。  起きる直前に夢で反芻していた夕方の出来事を思い出す。そのまま深夜シフトに入った誠也も同じエリアに居るのだと思うと、少しだけ気分が浮上する。  タオルを元通りにタオル掛けにきちんと掛けると、アルミの開き戸の向こうにパッパッと蛍光灯の明かりが点くのに気付いた。  擦りガラスが上半分に嵌っているドアの向こうに人影が揺れて、軽いノックがどんよりと淀んだ空気を揺らめかせた。  はい、と返事をしながらドアに向かい、脇にあるスイッチをぱちりと押した。一拍置いてパッと室内を照らす硬質な明かりに目を眇めてから、そっとドアノブを引く。 「おはようございます。いらしたんですね」  白を基調としたシャツと紺のスラックスをぴしりと着こなした誠也が、爽やかに笑い掛けた。 「おはようございます」 「鍵くらい掛けてくださいよ。無用心だなあ」  誠也の属する警備部門は、祐次の会社とは異なりモールの直轄である。こちらはきちんと交代勤務制になっていて給料も良いから女性スタッフも若くて真面目な人が長く務めていたりする。  選抜基準に容姿も含まれているのではと勘ぐるくらいに、壮年も青年も綺麗な立ち姿とある種の威圧感を備えていて、駐車場の誘導係とはまた別の部門なのだ。  祐次は、忽ち今の自分のよれよれの格好を思い出して、一歩後退去った。

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