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突然の呼び出し
「明日は、昼からですか」
「あ、はい。ようやく大田が戻るので、打ち合わせというか報告会というか」
痛いくらいに凝視されて、それでも反射的に祐次は答えていた。何か怒っているのだろうか、やはり水上の件だろうか。スタッフに満足に休憩もさせてやれない職場だなんて、きっと軽蔑されているんだろうなと思う。
「あの、良かったら、また誘って下さい。ご飯」
それでも、初めての友人を失いたくなくて精一杯微笑んでみると、虚を突かれたように誠也が動きを止め、それからゆっくりと握っていた指を解いた。
「何度でも誘います」
そう言って微笑んだ口元はいつも通りの綻び方で、祐次も自然な笑顔になってもう一度お辞儀したのだった。
翌日、祐次は綺麗に洗った弁当箱の中に心ばかりの礼の気持ちにガムを一本入れて元通りに包んでから持参し、出勤中以外は施錠していない水上のロッカーに入れておいた。晩御飯の残りのような煮物やハンバーグに加え、朝作ったらしき玉子焼きなどどれもが手作りで懐かしい味がした。自分の母親のもので無くとも、手料理というだけで懐かしく感じるのは何故だろう。久し振りのコンビニやスーパーの惣菜以外の味付けに泣きたくなったのは確かだった。
シフト表によると水上は十六時からの出勤になっている。元々彼女は平日には夕方から閉店までのシフトで、土日祝または世間の長期休暇に合わせて主婦層が出てこなくなった日に穴埋めするかのように自分のシフトを入れている。
それは元の職場を退職して正規職員枠を目指していた彼女にしてみたら不本意な働き方だと思う。けれど何も改善されないままに二年が過ぎてしまっていた。
早朝が足りなければ早朝シフトも、そして夜間ワックスの人手が足りなければ深夜0時を過ぎてからも働いてくれる彼女は、雇う方にとっては都合の良い人材だろう。
そして、手当のつかない連勤に甘んじている自分も、また。
テーブルの上に土産の外郎があるところを見ると、大田はもう出て来ているらしい。煙草を吸う人だから喫煙室に行っているのかもしれない。今時の建物らしく分煙になっているから、この控え室では喫煙できない上、仮に出来たとしても女性陣に嫌悪されて肩身が狭いだろうと思う。
自分は吸わない祐次から見れば高額納税して何が楽しいんだろうとしか思えないのだったが、そう言えば過去に一度だけ誠也が吸っているところを見掛けたな、と思い出した。
出勤して職員用の出入り口から入ろうとして、その手前の壁際に設置してある縦長の灰皿の隣に立っていたのだ。薄曇りの空に広がりながら上がっていく紫煙と、節くれだった長い指に挟まれた煙草を見て、それからその指先を自分の唇に押し当てながらゆっくりと吸っている姿に暫く足を止めて見入ってしまっていた。
何か考え事をしていたのか、その頃既に世間話をする程度に仲良くなっていた祐次には気付くことなく制帽を被ってから壁沿いに反対方向へと行ってしまい、胸の中に風が吹き抜けるような感覚がしたのだ。
あれはなんだったんだろう──。
思い出すと、今でも胸の奥がざわつく。
抹茶味の外郎を手にパイプ椅子に腰掛けてぼうっとしていると、ようやく大田が帰って来た。
「やあ市村くん、留守番ありがとう」
人好きのする優しげな風貌の大田は、やはり祐次より頭一つ大きくて体格もしっかりしている。いつも微笑を浮かべているのは誠也と同じなのに、何処か卑屈な感じに取れてしまうのは何故なんだろうと思いながら、ぺこりと頭を下げた。
「おかえりなさい。いい休暇でしたか?」
「久し振りにたっぷりマナちゃんと遊んできたよ。うっかりしてると顔を忘れられてしまうからなあ」
頂きますと言って外郎の袋を開けている祐次の隣に座って、見て見てと携帯電話の写真を開いて目の前に掲げてくる。まだ二歳の誕生日が来ていない一人娘は、母親似なのか大田のように目元が垂れていない。仕方ないので、鼻の形が係長と似ていますねと言うと、そうかなあとますます脂下がった表情で次々と写真を開いては見せて行った。
正直祐次にはどうでも良いのだったが、可愛いですねと適当に相槌を打ちながら、外郎も美味しいですねと褒めておくのを忘れない。大田は特に褒められると何処までも機嫌が良くなるタイプだから話を合わせるのは簡単だった。
けれど、頼りになる上司だとは思えない。ただ、一代でのし上がった現役社長がとても尊敬できる人物で、その人の次男だから無碍には出来ないのだ。
出世したいとは思わないけれど、こんな人でも少しずつ本社でのポジションが上がって行くんだろうなと少し悔しくならないわけではなかったが。
ひとしきり休暇中の娘の行動などを聞かされた後で、ようやく仕事の話になる。現場ではさして混乱が起きなかったものの、夜間スタッフの負傷の件だけはきっちりと報告した。長引くようなら一人補充しなければならない。夜間はアルバイトだから比較的人が集まりやすいのだけれど、即戦力にはならないから一週間以上誰かが付いて指導しなければならない。それはどの時間帯でも同じことなのだが、夜は特に作業時間が短くパッと出てサッと終わらせないとならないのがネックだった。モールのあちこちに降りるシャッターの閉まる時間に合わせて移動しながらの作業なのだ。
警備部がチェックしているけれど、閉じ込められると大変なことになる。
「一応募集掛けるか」
大田も首を捻っていたが、そこらの外交的なことは祐次はあまり関与していない。スタッフが足りない時には指導に出るが、面接や募集の事務仕事は係長と所長の役割と決めて、手をつけないことにしている。
ノックの音がして、挨拶と共に水上が出勤してきた。
昨日はありがとうと頭を下げる祐次ににこりと頷いてから、大田と交互に顔を見て戸惑いながら姿勢を正している。
「あの、ゼネラルマネージャーが、話があると。私と大田さんと市村さんと三人に来て欲しいとお待ちです」
途端に二人の顔が固まった。
ゼネラルマネージャーとは、日本各地にあるショッピングモールの現場においては、本社から配置される最高権力者である。そんな人から呼び出されるなど、余程のクレームでないと有り得ない。
緊張の冷や汗を垂らす二人の前でロッカーの方へと滑り込むと、水上はシャッと仕切りのカーテンを閉めた。
沈黙に包まれた控え室内に、着替えの衣擦れの音だけがささやかに響く。靴下と靴に至るまで制服に身を包んだ水上がカーテンを開けたとき、大田と祐次は揃って腰を上げた。
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