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浮つく気持ち

 まるで運動会や遠足の前日の小学生じゃないかと思いつつも、祐次は枕の向こうに服を並べて首を傾げる。寝る時はTシャツと下着だし仕事中は作業着だしで、当分普段着というものを着ていない上に着ないからバリエーションも無い。  悩んだ末に、学生の時に友人が選んでくれたやや厚地の和柄のシャツとコットンパンツを選んだ。ジーンズでも良さそうだが履いてみるとウエストのサイズが変わっていてスカスカだった。腰履きにする年でもないしあまりベルトで締めて皺が寄るのもカッコ悪い。パンツの方は働き出してから買ったものだから見栄えも悪くないだろう。  どちらにしても、誠也の隣なら付け合わせというか添え物みたいな自分だから、最低限変な目で見られないごく目立たない格好なら良いのだ。  明日は散髪もしなくちゃと、目の下まで伸びてしまった前髪を引っ張り、首の後ろに手を当てて襟足が服に掛かっているなと確認した。これから暑くなるし、短めに整えてもらおうと心に決めてから布団に入った。  駅前のデッキで、花時計が見える場所に。祐次は約束した通りに手摺の傍で立って、そわそわと改札口から出てくる人の流れをやり過ごしていた。  誠也が電車に乗るわけではないが、駅とその周囲を結ぶ高架を抜けて、モール方面の裏側からやって来る筈なのだ。最初はフェンスに凭れて眼下のロータリーに整備されている花時計を眺めていたのだが、刻一刻と約束の時間が近付くにつれてもしも見逃して行き違いになったら困るからと自身に言い訳しながら人が居る方へと体を向けた。  この場所で待ち合わせをする人が多いのは当然だけれど、大抵は数分で去って行く。観光用に設置されている地図を覗き込む人たちくらいしか、十分以上は留まらないだろう。そんな場所でもう三十分近くじっとしているなんて、きっと自分は彼女にすっぽかされた惨めな男にでも見えているのだろう。ティッシュを配っている何処かの金融機関のお姉さんが、人が途切れる度にチラリと祐次を見ては、気の毒そうに逸らして行く。  何も可哀相がられる理由はないし、気分は最高に高揚しているのだけれど、他人にそれが伝わるほどに顔に出る方でもないようだ。  到着した電車からの乗客が引いた向こうに、サックスブルーの薄手のジャケットに濃紺のタックパンツ姿の誠也が見えた。途端にぴょこんと姿勢を正して笑顔になった祐次に気付き、おやという顔で制服姿のお姉さんがそちらに目を向ける。  あらいい男、という感じに口元が緩み、誠也の歩く姿を追いながら祐次と合流する様を見守った。待ち人来る、か。と呟いて、空いているのを良いことに二人に歩み寄った。 「はい、よろしくお願いします」  腕に提げた紙袋から両手に一つずつポケットティッシュを持って差し出すと、多分断れないだろうと読んでいた通りに会釈して祐次が受け取り、仕方無さそうに誠也も受け取ってジャケットのポケットに入れた。 「良かったですね」  にっこりと笑い掛けられて誠也が訝しそうにしている間にさっさと持ち場に戻り次のターゲットを捕捉している。 「何か話してたの」  問われて、祐次は首を傾げる。 「違うけど……多分誰かに振られたと思われてたんじゃないかな。気の毒そうに見られていたから。来てくれて嬉しい、です」  ここが職場ではないせいか、誠也に釣られてつい言葉遣いが変わっていた自分に気付き、付け足しのように、です、と付けて。恥ずかしくて紅潮して俯くと、見えない位置で誠也はニヤケそうな口元を懸命に堪えていた。 「完全にプライベートなんだし、年も近いんだからタメ口でいいんじゃないかな。寧ろ年下の俺がこうなのに丁寧に喋られると困るっていうか」  え、と祐次が振り仰ぐ。 「年下? まさか。おれ、二十七だけど」 「今年二十六だもん、俺」  口調が変われば、二人とも自称までもが変わる。それに気付いて、互いに愉快そうに見詰め合った。 「髪、切ったんだね」  不意に、誠也の指先がうなじに触れた。そっと首の後ろをほんの少し撫でられただけなのに、ピリッと静電気でも発生したかのように産毛が立ち、祐次の肩が震えた。 「目がちゃんと見えるし、この方が好きだ」  好きだ──。褒められたのは、髪型なのに。 自分自身に言われたように心臓が跳ねてますます紅潮する。  いつの間にかまた周囲に人が溢れていて、それに押されるように二人は歩き出した。  自分の体の反応に戸惑う祐次を、誠也はそっと窺いながら。  最初に入ったのは、駅から程近い場所にあるこの辺りでは有名なチェーンの居酒屋だった。どちらかといえば若者向けの洋食メニューが多く、さりとて生魚が不味いわけでもない。市内の港から毎朝仕入れているという魚の刺身はなかなかの旨さだった。但し、値段の割にはと注釈が付くのだけれど。  ビールで乾杯して互いの日常のことを話す。  今日は何をしていたのかと訊かれて、溜まっていた洗濯ものをやっつけたり布団を干したりと説明したら、もう他に話すことの無い祐次は誠也の趣味などを尋ねた。  スポーツカーが好き。学生の頃から好きなバンドの曲ばかり聴いている。休みの日には遠くまでドライブしては真夜中に帰ってくる。テニスも好きで、よく河川敷で午前中に打ち合いをしている、などなど。  自分には遠い世界のことに思えて、祐次はただ羨ましそうに頷きながらぼうっと誠也の口元を見つめていた。  煙草を咥えていた時の、指先の仕草を思い出す。触れたら気持ち良さそうだな、なんて思いついた一瞬後には我に返って一人慌てていた。  今、おれ、なんで木村さんに……。そりゃ、かっこいいけど、おれだって一応男だしっ。  何杯目か憶えていないチューハイをグビグビと一気飲みして、気分を変えようと努める。 「あ、あのさ、木村さん……」 「誠也でいいよ、祐次さん」  いつの間にか芋焼酎を頼んでいた誠也は、タイミングを計っていたかのように微笑んだ。

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