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家族との対面

 気持ちの整理などまだまだつきそうにない。けれどこのままでは眠れそうもなかったから、誠也はシャワーを浴びて身支度を整えてから祐次が搬送された総合病院へと向かった。  一階の総合受付から会計ゾーンまでだけでも市内最大級のフロア面積を誇り、初めて訪れる者は途方に暮れると良く聞く。  仕事柄外傷が多く、最近自分も世話になったばかりだから、外科の集中治療室が何処にあるのかも大体判っていた。  面会は出来なくとも、ブース全体が透明ガラスで覆われている為、カーテンを引かれていなければ通路からでも様子位は見て取れるのだ。  少しでも顔を見たくて、辿り着いた先でガラスに手を当てて誠也はブースの周りを歩きながら中を注視した。  十床程あるベッドは全て埋まっていて、有り難くない繁盛をしているのだと知れる。いつもベッド数ぎりぎりだから、少しでも安定すると次のブースへ、もう少しマシになったら一般病棟へ、そしてこの病院ほどの技術不要と見做されれば他の病院へと回されて行く。勿論紹介状無しの一見さんは外来治療すら受けられない。あくまで救急指定であることを忘れるなと態度で示しているのだ。  酸素マスクはまだ外れていないようで、掛け布団の下からも数本チューブが伸びてベッド脇に吊り下げられたパックの中に液体が溜まっている。上に吊られているパックからは布団の上にある肘の内側に繋がっていて、あれは栄養剤かなと思いながら、マスクで半分以上隠れた顔をじっと見つめた。  顔色が良いとは言えないが、昨夜よりは赤みが戻っているようにも見える。ぴくりとも動かないのは怪我で昏睡しているからなのか全身麻酔のせいなのかは判らないけれど。  ガラスに突いた手の甲に額を押し付けて、少しでも傍に行ければと見つめていると、斜め後ろから「あのう」と声を掛けられた。  最初は、こんなところに知り合いが居るとは思っていなかったから自分に呼び掛けられていると気付かず、何度かすみませんと呼ばれてようやく振り向いた。  自分より頭半分背は低かったけれど、少し年上だろうなという雰囲気の男性が立っていた。少しよれたスーツの上着を腕に掛けて誠也を見上げる顔が、何処となく祐次と似ている。  はっと居住まいを正して、誠也は会釈した。 「失礼しました。もしかして市村さんですか」  すると男性はぽかんと口を開けてから、くすぐったそうに笑った。笑い皺が眦に出来るのも祐次と同じだった。 「兄です。そんなに似ていますか」 「はい。雰囲気が特に」  素直に肯定する。少しふっくらしているが、それは祐次がやつれているからで、この男性の方が標準体型である。 「あのう、もしかしてお名前は祐一さんですか」  兄という男性は、苦笑気味にまた頷いた。 「その通りです。祐次の名前を見ればすぐに判りますよね。全く親が捻りのない名前を付けてくれたもので」  いえ、と慌てて誠也は首を振る。 「繋がりがあるって判りやすくていいと思います。僕は姉しか居ないもので」  そうですか、と頷きながら、祐一は談話コーナーに行きませんかと誘った。  このままここに居たいという気持ちもあったけれど、見つめていたとして何かが変わるわけでもなく、それならば病状など尋ねた方が良いだろうと判断して誠也は首肯した。  同じ階にある別のゾーンとの間に、大きな植木鉢を兼ねた低い仕切りのような素焼きの細長い入れ物が並び、その上に観葉植物が植わっている。それがテーブルと通路の目隠しも兼ねているらしい。間を抜けて自動販売機の前に行き、流れで奢ってくれそうになったのを躱して自分でコインを入れた。  ブラックのアイスコーヒーを手にチェアに腰掛けて、祐一がミルクと砂糖の入ったものを旨そうに飲むのを眺めながら、やはり兄弟なんだなと口元が綻ぶ。  ん? と首を傾げてから、祐一は長く吐息した。その時になって初めて誠也は自分が名乗っていないことに気付き、警備部の木村誠也ですと告げた。 「そうだろうなと思っていました。前に帰省した時に、初めて地元以外で友人が出来たと照れながら話してくれたんですよ。凄く嬉しそうでした。ありがとうございます。今日だってこうして顔を見に来てくださって」  深々と頭を下げられて、誠也は戸惑った。まさか家族に話しているなんて思ってもみなかったのだ。自分を振り返ったばかりだが、ほんの小さな子供の頃ならともかく、友達の名前や何を話しただとかなんて家族に話したことなどないと思う。やはり祐次にとっては、それだけ誠也の存在が大きいということなんだろう。 「いえ、なんというか、この度はその……」  こういう場合に家族に掛ける言葉など、誠也は知らない。語尾を曖昧に濁すと、いいんですよと祐一は緩く首を振った。  なんとなく二人揃ってカップに口を付けてから、祐一がそっと息をつく。 「危篤に近いと連絡を受けて、私も少し前に着いたばかりなんです。だからですかね、命は助かると聞いて、それだけでも良かったと……」  ぐ、と言葉に詰まり、それを見守っていた誠也は焦燥に駆られた。 「え? そんなに逼迫しているんですか? 祐次くんの上司に聞いたときには、そんな感じでは」 「どう聞かれたんですか」  表情を引き締めて問われ、誠也は大田に聞いたとおりのことを話す。それを確認して、祐一は頷いた。 「間違いではないですが、それだけではないんです。確か、現場に駆けつけて下さったのも木村さんですよね」  頷くのを確認して、また祐一が話し始める。 「これはうちの母の耳にも入れるのを躊躇した位ですから、勿論近親者以外には伏せられているんです。レイプされたさいに、外からの圧力で肝臓が損傷して、それはそのまま聞かれた通り、処置も済んでいるから後は肝臓が再生するのを待つだけなんです。これだって気付くのが遅ければ致命的だったんですが、それよりも、呼吸停止してからの時間が長すぎたようで……」  ひゅっ、と誠也は息を呑んだ。駆けつけた際に力の抜け切っていた体を抱き起こしたことを思い出す。あの時、最初に自分がトイレに入ってから戻るまでの時間は判るが、実際に呼吸が止まったのはいつだかは判らなかった。  ただ必死で蘇生措置を施し、苦しげながらも自発呼吸を始めたことに安堵し、それから悪化していく症状に狼狽したのだ。 「全身麻酔をして、各箇所同時に処置したそうです。そういう意味では、あの子は恵まれていました。これがY県やもっと田舎だったとしたら、きっと間に合わなかったでしょう。ええと、低酸素脳症というらしいんですが、つまり脳に酸素がいかなくて障害が出るということらしいんですが、それが最大の懸念材料なんだそうです」  漠然とだがその言葉に聞き覚えがあり、誠也の顔から血の気が引いた。  確か、悪くすれば意識が戻らず植物状態になるのではなかったか。戻ったとしても、半身が動かなかったり、記憶に障害が出たりと様々な症状が予想される。 「ただ、細々とでも暫くは呼吸出来ていたらしくて、心停止してから長く経っていたのとは違うようで、少しは希望が持てるようなんですよ。それに、ここでは脳低温療法というので処置してくれたらしくて、それだと普通に処置するよりもずっと予後が期待できるそうなんです」  単語をしっかりと頭の中でメモして、後で調べてみようと誠也は心に誓った。 「あの子、確かにやつれてはいましたけど、精神力の強い子ですから。きっと意識が戻ると信じています」  見舞う立場の誠也が逆に宥められているような感じになり、項垂れるのを止めて背筋を伸ばした。  その時、二人の居るテーブルに初老の女性が近付いて来た。 「祐くん、ここに居たの」  この女性もふっくらとしているが、やはり何処となく祐次と似た雰囲気を持っている。きょときょとと落ち着かなさそうに周囲を見回しながら、訝しげに誠也に会釈した。 「全く、広すぎて迷子になるかと思ったわよ。今、着替えとか揃えて置いてきたから」 「そう。まだ気が付きそうにない?」  苦しそうに首を振るその女性はきっと母親だろうと当たりをつけて、誠也はもう一度名乗った。母親は目を見開いて、まじまじと誠也を見つめ、それから唇を歪めた。 「あんたが、犯人なんか追わずに祐ちゃんをもっと早く運んでくれてたら!」  身長は、腰掛けた誠也と視線が同じくらいしかない。その小さな体に怒りを漲らせて、押し込められていた行き場のない怒りが放たれた。 「ほうっといてもいつか捕まったんでしょ! だけど祐ちゃんは、その間にもずっと苦しんでてっ」 「母さん!」  祐一が強く遮り、どうしてと言わんばかりに母親は息子の肩に縋った。だって祐くん、と唇を戦慄かせて涙を零し始める母親の手を取り、祐一は首を振る。 「木村くんは自分の職務を全うしたんだよ。他の人だったら逆に朝まで祐次に気付かなかったかも知れないんだから。そうしたら、今こうやって会うことすらままならなかったんだ」  遠回しに、誠也が居なければ死んでいたと諭されて、母親はぼろぼろと涙を流しながら床にへたり込んでしまった。  一方、生まれて初めて正面から責め立てられて、誠也は呆然としていた。これが母親というものなのか。身の内から湧き起こる感情の塊を初対面の赤の他人にぶつけられた。それは、昨夜のような不審者や夜中に立ち去ろうとしない不良グループから受けるものとは全く違うタイプの感情だった。  だから身動きできず、ただ黙って受け止めていた。  通りかかる看護師や病院関係者は、このようなことなど日常なのか、ちらりと一瞥するだけでさっさと通り過ぎていく。  同じように飲み物を飲んでいる見舞い客たちも皆一様に何処か疲れた表情をしており、ああと納得したようにさり気なく視線を逸らしてしまい、母親の叫びも嗚咽もさして気を引く対象とはならなかったようだ。  人が沢山居るのに、今自分はひとりきり……。そんな妙な感覚を覚え、なんとなくまた〈友人〉というものの存在を思った。  Y県に本社がありそこの正社員であっても殆どは県外に居るという祐次。行く先は新しいショッピングモールや行楽地、または遊園地。いずれにしても従業員も顧客も星の数ほどに溢れている環境で。  それでも、初めて出来たというのが、誠也という恋人志望の友人だったのだ。  祐次がいつも感じていたのは、こんな空気だったんだろうか。  従業員たちだって互いに互いが客と成り得るのだから、バックヤードに居る時もかなり愛想は良い。けれどそれは上司や部下や同僚や、それとも客に対するいわば仮面の顔だ。  その中から仮面の上に更に友人としての擬態をして近付いた誠也が全ての仮面を取り払い感情のままに無視してのけたとき、一体祐次はどれほどの衝撃を受けたんだろうと今更ながらに考えた。  祐次──今なら、少しだけだろうけど、以前の俺よりもお前の気持ちが解るから。  目を開けて、その口で俺の名前を呼んでくれよ。  静まりつつある母親を労わるように見つめて、誠也はゆっくりと深呼吸した。  これ以上自分がここにいても、家族を緊張させるだけだろう。 「また来てもいいですか。いえ、是非来させて下さい」  断られたとしても絶対に来てやるという意志を読み取ったのか、唇を結んで見上げる母親の背中を擦りながら、祐一がほっと笑顔を向けた。 「来てやってください」  何処か祐次を髣髴とさせる儚げな笑みに、誠也はしっかりと頷き返した。

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