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個室へ

 翌朝出勤して、昼過ぎに休憩所から下りた所で、清掃部門の控え室前でスタッフとばったり出くわした。例の本社からの代替要員である。  身長は祐次よりやや高いものの誠也より十センチ以上低い。艶のある黒髪の目のパッチリした青年で、初日に夜間シフトから上がる時に挨拶をしたが、それ以来も出入りの挨拶以外に接触はなかった。  けれど今日くらいは一言声を掛けた方がと会釈の後に「良かったですね」と言ってみた。  山根、と書かれたネームプレートの青年は、訝しげに振り返りながら見上げてくる。 「昨日、市村さんの意識が戻った件ですが」  ああ、という風に眉が上がり、山根はしげしげと誠也の顔を見つめた。 「本当に仲が良いんですね。少なくとも僕はまだ聞いていません。青木が連絡を受けたのかな。全くあの人は……」  不愉快そうなのを隠しもしないから、これは失敗したかと誠也は内心少しだけ焦った。同僚が知らないことをこちらから言ったのはまずかったかもしれない。 「あ、たまたま居合わせたもので。別に連絡があったわけじゃないですよ。意識が戻ったといっても、まだまだ会話も覚束ないですし」 「そうなんですか」  ますます顔を顰めて思案気にしているから、どうも様子が変だなと誠也は首を捻った。とはいえ、自分の休憩時間はもう終わりである。交替に入らないと次の人が休憩できないから、ではと再度会釈してモニタールームに戻ったのだった。  誠也たち警備スタッフは、基本二交代制になっている。けれど、一週間ごとに夜勤と日勤が交互に来るかといえばそうでもない。  毎年新入社員がいるわけでもないし今のところ立ち上げからのメンバーばかりで仲も良く融通もきく。特に女性が植田一人しか居ないため、二人体制の夜勤には余程のことでなければ入れたりはしない。  夜勤は仮眠時間含めて十二から十五時間詰めるので夜間手当ても超過勤務手当も付いてとても割が良い。だから植田本人は悔しがっているのだが、倫理的な観点から見てもこれはどうしようもないだろう。それを考慮して日勤を早出にしたりしてなるべく時間数を合わせるようにしている。実働時間は当然日勤の方が多くなるから疲れそうだが、植田は嬉々として働いている。頼もしい同僚である。  次に休憩に入るのはその植田で、自分の制帽を脱ぎながらじいっと誠也の顔を覗き込み、深紅に彩られた唇を横に引いて目元を綻ばせた。 「な、なんですか」  逆に制帽を被りながら問うと、ふふふふとわざとらしく声に出して笑っている。 「いえ、どんな良いことがあったのかと思いまして~」  唇に指を当てて、解っているんですよと言わんばかりの口調で壁のフックに制帽を掛けながら横目で見ている。 「わかるー。昨日までのあの水子でも背負ってるかのような顔とは別人だよな」  モニター前で椅子に座っている小野もにやにやしながら見上げてくるから、誠也はわざとぶすっとしたような顔を作って、それでも「まあな」と頷いた。  でもいくらなんでも水子はないと思うのだけれど。 「今日も帰りに寄るんだろ。俺たちの分もしっかり見舞っといてくれよ、代表ってことで」 「ですね。水上さんの分もよろしくお願いします。食べられるようになったら何か託(ことづ)けるから教えて下さいね」  ひらりと手を振って、ランチ用の小さなバッグを手にした植田が出て行くのを見守ってから、誠也も店内巡回ルートに出たのだった。  病院に着くと、廊下で擦れ違ったスタッフに個室に移ったことを教えられた。もう既に顔パス状態になっているらしい。  誠也が礼を言って微笑むと、若い女性スタッフは頬を染めてその背を見送った。  今までと同じ階の一般病棟へと歩いていく。四人部屋も二つあるのだが、この病院は基本的に個室が多い。あまり軽度な症状の患者が居ない為だろう。  だが、少なくとも昨日までの一方通行とは違う。まだ長居は出来ないが、これからは目を合わせて会話が出来るのだ。  それだけでも足取りが軽くなり、仕事終わりの気だるさ等微塵も見せずに誠也はスライドドアをノックした。  応えた声は祐次のものではなかった。  入室してからクローザーに任せて取っ手を放す。会釈しながら挨拶をすると、ベッド脇の丸椅子に腰掛けていた祐一が少しだけ腰を上げてから同じように返し、また座った。  電話番号を交換して見舞いの許可を得てはいたものの、こうして顔を合わすのは初対面の時以来だ。  祐一は今日も少しくたびれたスーツを着て、前ボタンを開けていた。  祐次の方は、ベッドのリクライニングを使って六十度くらいまで上半身を起こしていた。誠也を認めた途端にぱあっと顔が輝くのに気付いた祐一は微笑ましそうにそれを眺め、そんな祐次に手招きされて兄とは反対側に置いてある椅子に腰掛けた。  手招きとは言っても、布団の上に置いた手を少し持ち上げて、椅子を指した程度である。まだあまり力が入らないのかすぐにぽてんと腿の上に落ちて、細かく震えている。  視界にはそれが入っているから一瞬誠也の表情が翳ったけれど、すぐにいつもの優しげな笑みを浮かべて目を合わせた。 「皆祐次の意識が戻って凄く喜んでたよ。水上さんと植田さんが、食べられるようになったら言ってくれって。もう少し良くなったら、きっと押しかけてくるんじゃないかな。小野も、俺が警備全員の代表だから、しっかり見舞えってさ」  祐次は目を輝かせてこくこくと頷いている。〈友人〉について誠也なりに考えた結果、こういう風に他の人たちも心配しているからときちんと言葉にした方が祐次が喜ぶと判断したのだが、それは当たっていたらしい。  友人のもう一つ上のポジションを得られたのだから、この後祐次にも友達が増えるのは望ましいことだと思ったのだ。  実際に目の前で親しげにされると悔しいかもしれないが、今なら全く気にならない。元気になってもらうためにはどんな手でも使おうと決めていた。

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