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特別な存在

 祐次は、ゆっくりとならば手紙程度の大きさの文字を書くことが出来るようになった。誠也がいない時間に家族宛に書いてはスタッフに投函してもらっているようだ。  この頃には、そうやって連絡の取れることに安心しているのか、家族は来なくなっていた。母親は心配しているらしいが、誠也が今でも毎日通っていること、洗濯物や日用品も滞りなく用意していることを祐次に伝えられて、どうにか思い留まっているようだ。何しろ交通費だけでもかなりの出費になるから、頻繁に行くなと父親に釘を刺されているらしい。  それでも心配だろうから、たまに誠也が祐次のリハビリ風景などを携帯電話でムービーに撮って祐一宛に送ったりもしている。  外科の病棟だから本来は電源を切らなければいけないのだが、鮎原にも確認して、周りに機材や人が居ない所でサッと済ませている。  その動画を父親も見たらしく、彼岸に一度帰って来られないかと打診があった。  今暮らしているO県からは、祐次の実家まで最短でも四時間近く掛かる。電車を使っても乗り継ぎが悪い上、満足に歩けない今の状態では移動が大変だという問題もあり、最初から自家用車で行く段取りを立てる誠也に、祐次はおろおろとしていた。 「誠也、車持ってるの」 「あるよ。実家に置いててたまに親が使ってくれてるから大丈夫、すぐ乗れるよ」  駐車場代を払うのが嫌で、日常は自転車があれば移動には事足りるためドライブの時以外は実家に置きっぱなしにしているのだ。ツーシーターだから荷物はあまり積めないが、二人で乗るには十分だろう。  彼岸とはいえ若い連中にはそう関係のないイベントだ。だから思い切って有休を三日申請して泊まりでも大丈夫なようにホテルの手配もした。だがこれは誠也用のシングルで、祐次は実家に送り届けてそのまま泊まれば良いと考えている。  当日の朝早めに車で病院に迎えに行くと、鮎原に付き添われて駐車場まで降りて来た祐次は目を丸くした。 「凄い、真っ赤」  誠也の車は国産のクーペである。排気量こそ二千ccあるが割と小回りも利くし街乗りも峠もサーキットも似合う綺麗な流線型のボディが気に入っているのだが、燃費はよろしくない。結婚していないから持つことが出来るタイプの車だろうといえる。  車高も低いから、こういう時には乗り降りが不便だ。手を貸してもらいながらぐっと頭を下げて祐次は乗り込み、フルバケットのシートにすっぽり嵌って不思議そうに体を捩っていた。普段が軽トラックだから、目線も座面も全てが違って新鮮なのだろう。  そして何故か鮎原が目を煌かせて、バンパーを開けたそうにしている。 「これ、インチアップしてありますよね。もしかして中も弄ってます?」  思わず笑みを零して開けて見せると、腕を突いて頭を中に突っ込みそうなくらいに近付けてコード類から何から入念にチェックし始めるから驚いた。 「あー、ここのエアフィルター使ってるんですね。私も好きですよ、なんか蜂の巣みたいでいいですよね」  祐次は何が何やらでぽかんとしているが、時々質問に答えながら、誠也は鮎原の趣味に納得していた。  大体誠也の周りには二種類の女性が居る。大多数は、秋波を送ってくる一般的とも言える女性的な女性。もうひとつ、多くはないけれど結構出会うのが、鮎原のように男性の好む嗜好の女性である。  こういうタイプは顔ではなくて趣味が合うかどうかの方が異性の選別基準になるから、今まで誠也に対してもそういった目を向けてこなかった。或いは、単純に植田や水上のように誠也はタイプではないのかもしれないけれど。  試しに尋ねてみると、鮎原も別のメーカーの国産クーペに乗っているらしい。  走行会には行かないのかと訊かれて、行ったことはあるけれど一人で走る方が好きだといえば残念そうにしている。  ここで時間を食っても困るので、そこそこに切り上げて、一旦祐次のアパートに寄って着替えを持ち出してもらってから高速に乗った。  事前に土産は買ってあるから、休憩以外でサービスエリアに寄ることもなく、順調にY県へと近付いていく。  白い狐で有名な温泉の近くにあるという実家までは、結構な道程だった。  その途中で、まだ話していなかった水上の件について切り出すと、最初は少し驚いた表情だった祐次の顔色が徐々に曇っていった。 「祐次? ごめんな、事前に言わずに同席しちゃって」  嫉妬は嬉しいけれど、後ろ向きに考えて欲しくなくて謝ると、祐次はふるふると首を振った。 「ううん、いいよ。なんか解る……そういうプライベートなことが関わってなくて、ただ単に同席しただけなら誠也だってもっとすぐに知らせてくれただろ? だけど水上さんがそんな……だったら、おれだって躊躇するよ。今はまあ、少しは落ち着いてるのかな、水上さん」  愁いのある顔でぼんやりと正面を見ているのを横目で確認して、誠也は頷いた。 「普段通りに見えるよ。そもそも、彼女が取り乱したのを見たのは、祐次と俺がぎくしゃくしていたあの時だけだ。思い切り叱られたもんな、俺」  え、と目を見開いて祐次は隣を凝視した。 「なにそれ。叱られたとかって」 「ああ……言ってなかったっけ」  顔は正面を向けたまま、誠也は苦笑する。今となってはただの黒歴史だ。 「祐次にキスして、告白して、俺が冷たくしちゃった時期な……あの時、煙草を吸っている俺を見て思うところがあったんだろうな、あの時の水上さん、凄い迫力だったよ。  俺には祐次の気持ちは解らない、どうして手を離すんだ、今そうすればどうなるのか解らないのかって」  祐次は声もなく誠也の顔を見詰めている。 「正直堪えたよな、あれ。グサッて刺さってさ、考えた。あれがなかったら、祐次が言う〈友人〉と俺が考えているのとは全然別の存在だなんて思いもしなかった。だから水上さんは、恩人というかキューピッドというかさ、なんか特別な存在だなって思う。この意味、祐次には解る?」 「解るよ。おれにとっても特別だと思う」  意外にも逡巡なく返答され、誠也は驚いた。祐次は力強く頷き、自分に言い聞かせるように改めて口を開いた。首も正面に向き直して、トンネルに入る瞬間に瞬きをした。 「戦友っていうのかな。今居るところって俺にとっても最長で、研修からずっと一緒でしかもサブマネで、勤務時間だって他のどのスタッフに比べても群を抜いて飛び抜けててさ、彼女に甘えすぎって解っていても頼らずにはいられないんだ。それってただのスタッフ以上に俺にとっても特別な存在なんだよ。プライベートでは何も知らない。あそこに居る時の彼女だけが全てだ。だけどそれで十分彼女の人となりは解る、と思う。傲慢かもしれないけど」  うん、と応えた誠也の左手、シフトチェンジレバーの上に、祐次の手が重なった。力を入れずに、被さったまま一緒に変速する。  数字がいっぱいあって楽しいねと言うから、軽トラと一緒にすんなと笑った。

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