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ふたりで、幸せに。

 途中で遅めの昼食を取り、ゆっくりとお茶の時間に間に合うくらいに実家に到着した。店と一緒かと思っていたら、店舗は商店街にあり、家の敷地内の温室で育てている花と市場で仕入れたものを一緒に売っているのだという。  大邸宅だったらどうしようと危惧していたら、古い瓦葺の和風建築で、建坪はそれなりにありそうだけれど由緒がどうのという感じではない一般の建物だったので誠也は安心した。  玄関まで出迎えに来てくれた祐香は目を煌かせて大はしゃぎだったが、祐一に諌められて誠也に抱きつくのは阻止された。もう癖になってしまった祐次の介助をしながら上がり框に上がるのを、祐一は微笑を浮かべて見守っていた。  一応杖は持って来ているが、それは外用なので玄関に置いたまま案内に従って応接間に通された。 「ただいま」 「お邪魔します」  床の間があり、掛け軸と切花があり、どっしりとした一枚板の座卓がある。セオリー通りに上座に座っている男性が父親なのだろう。誠也は最敬礼をして「はじめまして」と挨拶をした。  体を支えながら祐次を座らせてから、誠也は座布団の手前でもう一度礼をとってからにじって正座した。  母親が茶器を持って現れて、もう一度挨拶をする。緑茶が配られて、両親の前に祐次と誠也が、両脇に祐一と祐香が腰を下ろしてから、再度誠也は名乗った。 「遠路遥々ようきてくださったな。息子がお世話になっているようで、ありがとうございます」  誠也の予想通り、平均を下回る小柄な男性だった。しかし話好きの軽い感じではなく、渋みのある落ち着いた雰囲気を醸し出している。  ここが正念場と誠也は居住まいを正した。 「いいえ、僕の希望を叶えて頂きこちらこそありがとうございます」  持参した手提げから土産の箱を取り出して卓上に並べた。地元の有名な餡菓子と洋菓子と両方、それから県北の釜で焼かれたフリーカップの入った桐の箱も。  食べ物はともかく、家族一同それには驚いたようで、祐次まで一緒になって恐縮している。 「木村くん、お世話になっているのはこちらなのに、これは困るよ」  寡黙らしき父親の気持ちを代弁する祐一に、誠也は全員に向けて微笑んだ。 「いいえ、これは僕の気持ちです。今日は一つ、お願いがあって来ました。ただの付き添いではないんです。皆さんとこうして顔を合わせて、直接お話したくて参りました。ですからどうぞ受け取ってください」  それでも意味が解らないと困惑した表情の家族の前で、誠也は表情を引き締めた。 「退院後、祐次くんと同居することをお許し下さい。僕が新しい住まいを見つけて、手配も全てします。ですから、生活に必要な介助も全て任せて頂きたくて、それをお願いしに参りました」  両親は言葉を失い固まっている。祐一は何処か納得したような顔で吐息して、祐香はきょとんと目を丸くしている。 「それは……流石にそこまでは」  母親は言葉を濁し、父親を窺っている。驚いて口を半開きにしていた父親も、ふうと吐息した。 「同居は別に構わんと思うけども、そこまで手を煩わせるのはなあ。それに、君みたいな人が誰かと同居したら、恋人に申し訳ないと思うんだがね」  きたな、と思い、誠也はちらりと祐次を見た。それを受けて、その瞳の中に揺るぎのない意志を認めて祐次は息を呑んだ。待ってと言い掛けた時、誠也はもう口を開いていた。 「僕の恋人は、祐次くんです」  今度こそ、家族全員が硬直し、一瞬先に我に返った祐次が「誠也」と呼んだのを切っ掛けに祐香が悲鳴を上げた。 「うそっ、誠也さんみたいな人がそんな筈ない! 祐ちゃんより綺麗な女の人、選り取りみどりでしょ! そんなのおかしいよっ」 「そうですよ、祐次はこれでもれっきとした男です。私の息子ですよっ」  両手で頬を押さえる祐香と、それに縋り付くようにして狼狽する母親。  父親はそんな二人の言葉が聞こえているのか居ないのか、真っ直ぐに誠也を見ている。 「そんなことは木村くんも承知だろう」  誰にともなく搾り出された言葉に、誠也は視線を合わせたまま頷いた。 「もう二年半になりますか……僕と祐次くんが出会ってから。殆ど毎日顔を合わせて言葉を交わしてきました。気持ちが通じ合って、これからという時に今回のような事態になりました。  だから僕自身、考える時間はたっぷりとありました。ですから、それが一体どういうことかというのも全て承知の上で参りました。これから、共に歩んでいくことをお許し下さい」  そんな、と言ったきり母親と祐香は絶句し、同じように絶句した祐次が目を潤ませて膝の上にある誠也の手に自分の両手を重ねた。 「誠也、誠也……本当にそれでいいの。おれ、同じ街に暮らせるだけで十分なのに、それでいいの」 「今言ったのが、飾らない率直な心の声だよ。もう迷わない。逃げたりなんかしない。だから、店を継ぐとか本社に帰るとか、そんなのは止めて欲しいんだ」  うっ、と喉に詰まらせて、それから祐次の目から涙が溢れた。 「あるわけないよ、そんなの。仕事辞めて他のトコ探してでも、誠也の傍にいるよ」  パタパタと、雨粒のように雫が手の甲を叩いていく。  それでも祐次の口元ははにかむように綻んでいて、いとおしそうに誠也を見上げている。  その様子をじっと眺めていた父親は、吐息混じりに頷いた。 「祐次がいいなら、そうするといい」 「え? あなた」 「お父さんっ」  すかさず母親と祐香が詰め寄ったが、「今まで通り一人暮らしなのとそう変わらんじゃないか」といなした。  これはもう覆せないと悟った祐香は、座卓の反対側に居る祐一に目で訴える。  すぐに気付いた祐一は、常と同じふんわりした笑みで妹を見遣った。 「木村くんほど祐次を大事にしてくれる人が、この後現れるとは思えないけどな」  それは肯定の言葉だ。だから、祐香はもう母親と手を取り合うしかなかった。  当然だろうなと思った。自分の兄の恋人が男。誰にも言えないし、遠く離れているとはいえ、世間の目も気になるだろう。  それについては本当に申し訳ないと思う。二人だけの問題ではないというのは、男女の婚姻ではなくても発生するものなのだ。  孫の顔を見せてあげられないという一点だけでも、両親にはもう死ぬまで詫びるしかないと覚悟していた。けれど、その覚悟をどうしても認めて欲しかったのだ。  祐次にも知らせなかったのは、誠也の我侭だ。でも反対されないと解っていたから独断で先行してしまった。ここまで来てしまえばもう後戻りは出来ない。幸い父親と祐一は了承してくれるようだし、今は無理でもいつか受け入れてもらえるように努力するとして、話は進めてしまいたいと思っている。 「お孫さんの顔は見せられません。けれど、僕を家族の一員に加えて頂けたら嬉しいと思います」  父親が僅かに顎を引き、それから母親と祐香へと顔を向けた。 「祐香ちゃん、お兄ちゃんが一人増えたと思ってはもらえないかな。僕なんかで申し訳ないけど」  意識して、にこりと微笑む。それがもたらす影響も考慮しての、控え目で少し困ったような、そんな笑みを見せているつもりだった。 「お兄ちゃん……誠也さんが」  ぼうっと考えていた祐香の表情が、ぱあっと輝いた。 「それならいいかも。うん、いいかも!」 「え、祐香? ちょっと」  両手を組んでうんうんと一人頷き始めた娘に困惑し、母親はきょろきょろと家族を見回してから、ああもう、と頬に手を当てて嘆息した。 「解りましたよ。私だって鬼じゃないんです。今までのことで木村さんの誠意は見せてもらいましたしね。ただ、そりゃあ親の欲目もありますけど、祐次は確かに可愛い息子ですけどね、それでもあなたみたいな人に釣り合うとはとても思えないんですよ。それで将来この子が傷付くようなことになったとき、私何をしでかすか判りませんよ。それでもいいんですか」  はい、と躊躇なく誠也は答えた。それも想定内の言葉だった。山根に言われたのと同じような内容だったというのもある。 「その時は、いくらでも罵倒して下さい。でも今は、ご家族以外では、僕が一番祐次くんを大切に思っていると知っていただけるだけで十分です」  もう二度とこんな台詞を言う機会はないだろうなと思った。だから心を込めて、真摯に全員と向き合った。 「ふたりで、幸せになりたいと思います」  ああ、と母親の声が零れ、両手で目元を覆った。  祐次は声を押し殺して新たな涙を量産している。手の甲から溢れた雫が膝を濡らし染みになって行った。

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