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第三章 温かい光 ②
おはよう、もう昼だね、お腹すいたー、仕事疲れた、この番組おもしろいよ、お風呂入った? おやすみ、明日も頑張ろうね。
ニックから毎日メッセージが届くようになった。判を押したように毎日同じ時間帯に同じような言葉が届く。なのに飽きることも見慣れることもなく、メッセージやスタンプが届くたびにそれが新しい文字に見え、気持ちも跳ね上がった。
こんなにお互いの生活が気になるのならいっそのこと一緒に暮らした方がいいような気もしていた。だけど、それはできないよね、さすがにね。純己はいろんな妄想に耽った。
家事はやっぱり僕だよね。ニックの下着もちゃんと洗ってあげたいし、手料理食べて欲しいし。夜はするする滑るシーツの上で僕のことも食べて欲しい……なんちゃって。あ、だめだ、勃ってきちゃう……。やば、冷たい……先っちょがちょっと濡れちゃったかも……。
……ベッドに二人並んで寝た瞬間にニックが純己に覆い被さってくる。……甘苦しい圧迫感の中でニックが鼻息を荒くしながら首に愛撫してくる。そんな映像が頭から離れない。
まだ時間あるし、とりあえずこのまま抜いちゃおうかな……。我慢できないよ、もう。
また着信があった。ラインではなくメールの方だった。開くと、タケル・キシノとローマ字でアドレス表示がされていた。件名には打ち合わせと書かれていた。
ラジオ番組の出演に関する打ち合わせの日時と場所が書かれていた。場所は、やはりニックが言っていた通り、あの駅の英会話教室だった。
純己の淫らな気持ちは事務的なメールのせいで消え失せた。パンツの中の先が当たる部分からひんやりした感覚が伝わって、余計に体の熱を奪っていった。
ニックとのちゃんとしたデートをする前にラジオ番組の打ち合わせの日程が先に訪れた。英語の実力を試せるいい機会だし、ニックにも会えるのでそれはそれでいいのだけれど、純己の中には二人きりの方が嬉しいという気持ちが強くあった。
ニックの仕事はどうやらあの教室だけではなく、本部や別の教室に出向いたり、海外への出張もあったりで忙しそうだった。そんな中でもニックは日に一度は必ずメッセージをくれた。もうまるで恋人になったような感じだった。
このまま自然に恋人関係になっていくのも悪いことじゃない。だけど、やっぱりちゃんと言葉で付き合って欲しいと言ってもらいたい。はっきりしたスタートラインを設けて欲しい。そうしてくれたら純己もそこから自分を押し殺さずに、本当の自分でいられる気がする。
駅に着いても周りをきょろきょろすることもなくなった。室川に会ったら会ったまでの話だ。普通に会話をすればいいのだ。高校時代の先輩と後輩という関係なだけだ。
久しぶりに狭くて急な階段を上った。今さらながらここの建物自体はかなり古いのだろうと思った。それぞれのテナントは改装をして新しくなるけれど、外側はなかなか変えられないのが現実なのかなと感じた。
三月に入ってもう一週間が経っていた。来月はもう大学の入学式だ。そしてラジオ番組に出演する日ももうそこまで来ている。
結局バレンタインデーまでにはニックに会えなかったのでホワイトデーも同時にないのと同じになった。チョコをあげる勇気がそのときにあったかどうかは分からないけれど。
高校生の時、用意していたチョコを室川に渡しそびれたことがあった。おごってくれたアイスのお返しです、と言い訳じみたことを書いたメッセージカードも用意していたのに、いろんな女子からチョコをもらっていた室川を見て純己はチョコをかばんに戻した。
男の僕からチョコをあげるなんて、あり得ないよね……。迷惑だよね……。
室川に連れて行かれた川で一人歩きながら、そのチョコを川に投げ捨てた。もうやめよう。男性を好きになるのはもうやめよう。そう自分に言い聞かせたあの日はそんなに昔じゃないのに、なぜだか懐かしく感じた。
自動ドアの向こうにニックとタケルが見えた。ドアが開いた瞬間にニックが振り返った。
「純己……っ」
「ニック、こんにちは。ああ、タケルさんも」
ニックの顔は微かに紅潮していた。そんなに見つめたらタケルさんに変に思われるじゃんと心配しながら、純己はタケルにも気を配って挨拶をした。
そんなに僕のこと思ってくれてるなら一度くらい仕事より優先して欲しかったな……なんてだめだめっ。そんなこと絶対に口に出せない。一層子供扱いされてしまう。
「純己君、早いじゃん。待ってましたよ、優等生」
「いえ、そんなことないです」
「他の子たちはまだだけど俺はここで受付するので、先に部屋で待っててくれてもいいよ、なあニック」
「え、あ、ああ、もちろんだ」
「分かりました。では先に待機しておきます」
純己は二人に微笑みかけて軽く会釈をして部屋に向かった。そのとき後ろから「俺もちょっと部屋の空調とかチェックしてくる」というニックの声が聞こえた。純己は胸の中で春の花が咲いたような気分になった。
純己が教室に入って椅子を引こうとしたとき、ニックが入って来た。
「純己、まず言わなきゃいけないことがある」
と言ってドアを閉めた。
「何ですか……」
ニックは引きつった顔で近づいて来た。純己はニックを見上げたまま静止した状態になった。
「謝罪させてくれ」
「え……」
「俺から言い出しておいてデートに誘えなくてごめんな」
「あ、いえ、ニックもお仕事忙しいと思ってたので大丈夫で……す、えっ……」
純己が言い終わらないうちに、ニックに抱きしめられてしまった。この感覚……。頑丈なのに柔らかくて、閉じ込められているのに解放されたような……。体は固定されているのに心はアクロバットのように飛び回った。
「純己、抱きしめるけど許してくれ。年齢も今だけは忘れさせてくれ……」
「ニック……」
「言い訳させてくれ。重要な商談が続いて、それに関する会議やプレゼン資料作りや見積もりチェックに時間がかかった。国内の各教室のイベントもあったし、台湾の第一号店オープンイベントに芸能人を呼んだのでその段取りもあったんだ。純己をないがしろにしたわけじゃない」
「わ、分かってるよ、ニック。僕はニックのこと信じてるから」
「ありがとう」
「……そろそろ離して、もう誰か来ちゃうし」
「だめだ離さない」
純己はさらに強く抱きしめられた。
「だって……」
「見られたっていい」
そのときドアの向こうからタケルと誰かの談笑の声が響いた。純己は、男性同士でしかも高校生の自分とこういうことをしている場面を他の人に見せるわけにはいかないと思った。それは純己のためではなくニックのために。力を入れて体を離そうとした。
「ニック、僕はいいけど人に見られたらニックがまずいよ」
「いい、純己がいれば俺はそれでいいんだ」
「だから、人に見られたら一緒にいられなくなっちゃうからっ」
ニックはようやくゆっくりと体を離してくれた。ニックは純己の頬に手を添えながら物欲しそうな目で純己を見つめた。純己の両目を交互に追うようにニックの瞳が左右に動いている。
これってもしかして、キスするということ……? そのときドアをノックする音がした。純己はニックの手を解いて素早く椅子に掛けた。
「どうぞ」
と言うニックの声が裏返った。ニックも少し離れた席に座って足を組んだ。
タケルと学生数人が教室に入って来た。ニックは顔を強張らせながらあいさつの言葉を学生たちにかけていた。
「ニック、日程表をスキャンしたいんだけど複合機の使い方を教えてくれるかな?」
タケルがニックに向かってそう言うと、ニックは気付かない振りをした。
「ニック? 聞いてる?」
「あ、ああ、後でいいよそれは」
「いや、もう始まるからお願いしているんだよ。ノートパソコンにデータ入れたいんだ」
「加代はいなかったか? コーディネーターの」
「今日は臨時だから事務室には誰もいないの知ってるでしょ。っていうかなんでずっと座ってるんだ?」
「そ、そ、それは空調をチェックをしてるのさ、言っただろ?」
「いつまでしてんだよ。もう済んだだろ?」
「ここの席に風が届くのか確認しているのさ」
タケルは眉根にしわを寄せた。純己もニックの立とうとしない態度に違和感があった。あのタケルの講義のときもこんな感じだった。タケルは入口の方に歩いて行き空調のスイッチを確認した。
「んん?」
タケルはそう言った後またニックの方に向いた。
「そもそも電源入ってないぞ」
確かに、ニックはさっき入って来るなりドアを閉めて純己に近づいて来て抱きしめて……。
えっ、あっ、もしかして……。
純己は、はっとして、そろっとニックの股間に視線を走らせた。するとそこはこんもり盛り上がっていて、まるで固形の筒を冗談で入れているみたいになっていた。純己は誰かに見られる恐怖が勝っていたのでニックと同じ状態にはならなかった。
純己にも責任はあるし、可哀想だし、ニックに恥をかかせるのは忍びなかった。純己はかばんの中からいろんな書類を入れたクリアファイルを取り出しニックの席まで持って行った。
「ニック、約束していた書類ができてるからこれもこのまま持って行って下さい」
純己はニックにだけ分かるようにウィンクをした。ニックは目と口を大きく開いた。
「さ、さ、サンキュウ、純己。あれね、あれの書類だね」
「そう、あれの書類。今のニックに役立つ自信はあるよ」
「も、もちろんだ、あれだしね」
「うん、あれだから」
ニックはそろっと立ち上がり、机から下半身が出るタイミングでクリアファイルを股間辺りにあてた。タケルはニックの立ち上がる様子を見て安心したのか、先に一人で部屋から出て行った。
ニックは体の中心にクリアファイルを添えたまま教室から出て行った。
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