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第三章 温かい光 ③

 なんてこった……。扉を閉めた後、ニックは廊下で息を漏らした。純己にはやはり気付かれていたのか。でもそれは抱きしめたんだし同じ男性なのでピンときたのかもしれない。  だとして、純己は俺の気持ちを受け入れたということにはならないだろうか。そういう感情があったということを純己はちゃんと理解してくれたんだ。  とにかく純己で良かった。好きな子にこの本能が出たことを知ってもらうのは全く悪いことじゃない。むしろ気持ちを伝える時間が短縮されたようなもんだ。  タケルめ、本当にこいつはいつもタイミングが悪い。  事務室に近づくにつれ、タケルへの怒りのお陰かニックの下半身も落ち着いてきてクリアファイルを添える必要がなくなった。  事務室の複合機の前にタケルが立っていた。振る舞いは常識的にしなければと思い直した。 「タケル、さっきはすまない。その方法だがフォルダ設定のボタンがあるだろ」 「ニック、そんなことより聞きたいことがある」 「え、なんだ? データはいいのか?」 「俺にとっては、もっと大事なことだ。あいつらには手間取ったと言えば済む」  ニックは今のタケルにとって一番大事なことを頭の中で巡らせた。 「もしかして、スポンサー契約の期限のことか?」 「違う……。ニック、さっき俺たちが教室に入る前、純己君と何してた?」 「っ……!?」 「なんでそんなに驚くんだよ、ニック」 「な、な、なんなんだいきなり、意味が分からない」 「……相手の年齢考えろよ、しかも相手、男だよな……」 「な、何を言ってるんだ! 言いがかりだ。証拠でもあるのか。そ、それに時間がないんだから早くしろよ、学生たちに待たせるのも悪いだろ」  ニックがそう言うと、タケルは急に視線を落とし吐息をこぼした。 「ニック、声が大きいよ。ちょっと待って」  タケルはそう言って事務室の入口まで歩きドアを閉めて、振り返った。 「……ニック……俺と付き合ってよ」 「は、はあ!? 何を言ってるんだタケル」 「俺もゲイなんだ。ニックもずっと独身だったからまさかって思ってたけど。ニックがこっちだなんてマジで嬉しいよ。俺たちいいパートナーになれると思うんだ」 「な、何を言い出すんだ、や、やめてくれっ」 「実は俺、攻めに見られるけど受けなんだ。それで、……ニックのことタイプなんだ」 「…………――」 「あんな子供なんかやめて俺にしとけって。大人の方が何かとニックも快感を味わえるよ」 「お前なあ!」 「しーっ。聞こえる」 「……お前、俺とパートナーになりたいってどういう魂胆だ? まさか、スポンサー契約欲しさにか?」 「正直それもある。でもニックに抱かれるところを想像しながらしごいてるのも事実だよ」  ニックは顔を背けた。タケルは続けた。 「純己君だって、ニックの財産狙いかもよ。あの子、苦学生らしいから」 「純己のことを悪く言うのはよしてくれ。あの子はそんな子じゃない。お前とは違う。それに俺がここの経営者だということはまだ俺の口からは伝えていない。誰かがしゃべっていたり、彼自身が気付いていたとしても、純己からはそんな邪な感情は一切感じられない」 「ほら、やっぱり、できてんじゃん」 「くぅぅ……できては、いない。お前が想像する関係ではない」 「経営者ってまだ言ってなかったんだ。てっきりそれで釣ったのかと思った」 「釣るなんて純己に失礼だ。俺のことをここの中堅管理職ぐらいには思ってるだろうがな」 「プラトニックって言いたいんだ?」 「うるさい。いい加減にしろ。早く用事を済ませろ」  タケルが真顔で近づいて来た。タケルの瞳は少し潤んでいて哀しそうだった。 「ニック、俺がもし、スポンサー契約を切られてもいいから正式なパートナーにならなくてもいいから、……抱いて欲しいってお願いしたら、どうする?」 「……悪いが、俺はお前に対してそういう気持ちを持てない。分かってくれ」  タケルは視線を逸らし、胸で息をした。 「タイプじゃないってことか……」  ニックは顔をまた背けて黙った。タケルは続けた。 「そうだよな、純己君がタイプなら俺とは真逆だよな」  ニックは純己のためにも確信めいたことを言葉にするわけにはいかないと思った。 「タケル、スキャンを早くしてくれ。打ち合わせにも責任を持ってくれ」 「スキャンぐらい知ってるよ」 「え? お前……っ」 「ニックのそういう鈍感なとこ、俺好きなんだよな。純己君にすっかり盗られちゃったな」  タケルは手際よく操作しながら口も動かした。言葉の響きから嫌な予感がした。 「タケル、お前、もしこのことで純己に辛く当たったり、ラジオ番組のことで不利な立場に追いやったりするようなパワハラ行為があったら、スポンサー契約は考えさせてもらうぞ」 「分かってるよ。俺も生活あるし、純己君の実力は本物だし認めてる。逆に純己君には番組盛り上げてもらって、俺だってノマドとして他からも仕事もらいたいし、ご心配いりませんよ。ニック社長様」 「ああ、純己なら大丈夫だ。俺はビジネスパートナーとしてはお前の成功を祈ってるし、お前が他社からもオファーを受けることができれば本望だ」 「サンキュー」  タケルは作業を終えて、ドアを開ける間際に背中を向けたまま口を開いた。 「それに、恋敵に八つ当たりするほど子供じゃないよ」  そう言い残して廊下に出て行った。  旧友からの告白は驚くというよりショックに近かった。同じ性指向のことで悩み苦しんでいたことも、恋愛対象として見られていたことも想像もしていなかった。  タケルの言うように自分はきっと鈍感なのだろう。もちろん申し訳ないとも思うがタケルがなぜか遠い位置にいるような気がしてならない。  タケルはいい男だがニックのタイプではない。タケルは、流行りの髪型、黒縁メガネ、薄い無精ひげといった見た目からもクリエイティブな印象を受けるし、身に着けている物もどれもおしゃれだ。背丈はニックよりは低いがちょうどいい高さでスタイルも均整が取れている。女性にもモテるだろうと思う。その点では、必死に隠して生きてきた痛みは痛いほど分かる。  だが、ニックはタケルをそういう目では見たことは一度もなく、まして抱きたいとは全くもって思わない。肉欲は湧かなかった。  同じ男性でも純己はやはり違う。顔が可愛い。肌がきれいだ。背が低くて華奢だ。今すぐにでも唇を吸いたい。裸にしたい。抱きしめて愛撫したい。感じている声が聞きたい。挿れたい。快感に泣く顔が見たい……。  こうしてちゃんとした性欲が自然に湧いてくる。やはり外見に反応してしまうのが男なのだと納得させられる。  だが純己を好きになったのは顔や体だけではない。感情は自分に正直なのに、与えられることに対しては遠慮しがちな性格もニックの好みだ。出会うべくして出会ったのだ。純己がこの教室に来ることがなかったとしても、いずれどこかで見かけたら今のように追いかけていただろう。純己になら正直な自分を晒していただろう。  経営者であることを言い出せなかったのは、単に気恥ずかしいという気持ちがあったのが正直なところだ。素のままの自分を見て欲しいなんて大それたことはそんなに考えていなかった。  とにかく純己に夢中で純己への想いしか頭になかったのだ。自分のことを良く見せようなんて気持ちはどこかへ飛んでいた。伝えた方が良いと分かっていればとうに伝えている。  純己がニックのことをどこまで思ってくれているのかは分からないが、思ってくれていなくても追いかけ続けて自分のものにすると決めている。嫌がっても嫌がらなくなるまでこの想いを伝え続けるのがニックの人生だと思っている。  ニックはそう考えながら事務室の電気を消した。

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