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第四章 満月に住むオオカミとウサギ ①
ラジオ番組の収録は順調に進んだ。収録日にはニックもいつも見学に訪れるようにしている。純己を見守るためもあるが、やはりスポンサーとしても気になっていた。
番組ではタケルの快活な進行に合わせて、純己も他の学生たちも英語学習への意欲を大いに語り生の英語も披露してくれていた。若い子たちの笑顔を見ていると、この番組にスポンサー協力をして本当に良かったと今さらながらニックは思った。会社としては売上を上げるための宣伝の一つだが、別の見方をすれば、これも一つの社会貢献なのかもしれない。
長い目で見れば、奉仕をした分だけ何らかの形となって奉仕をした側に還元されると思うからだ。ニックの経営視点が功を奏したのか、今のところ会社の業績は順調だった。
純己との交際も同じく順調だ。初めてキスをした日から相変わらず毎日メッセージをやり取りし、あの週末は食事に誘った。海辺のイタリアンでフルコースを食べるつもりだったのに、純己は普通のナポリタンでいいと言い出した。何を言ってるんだと言うと、割り勘にしたいからファミレスでいいと。俺が出すんだからいいじゃないかと説得したがダメだった。純己は俺に金を使わすのが悪いと言い張る。
なんていい子だ。俺は増々好きになった。もっと大事にしようと思えた。
さすがにファミレスでも俺が支払うが、純己はいつもそれを怒る。怒る顔もまた可愛い。そういうとき、俺の腕を引っ張ったりするのだが、俺はそれがされたい。純己のほのかな力加減で腕を引っ張られたり叩かれたりすると心地がいい……。ずっと怒らせていたいくらいだ。
過去に交際した女たちはだいたいニックに金を使わすのが上手だった。それくらいでは懐は痛くないのでそれに付き合ってそれなりの食事をし、高価な物を買ってあげたこともある。
だがニックの心の中に喜びがなかった。この女は金を出しとけば機嫌良くしてくれる。わざと意地悪な物言いをしてこないならまあいいかという程度だった。抱きたいともやはり思えず体の相性を確かめようなんて発想もなかった。つまりずっと寄り添って生きていくつもりがなかった。相手を否定したり説得したりする程、執着もしていなかった。
純己に対しては、その全く逆だ。純己の喜ぶ顔が見たい。美味しいと言っている顔が見たい。時には怒っている顔も見たい。どんなことに興味があって何が好きなのか知りたい。そこにニックが純己を喜ばせる隙があるのかを探りたい。そして抱きたい。キスはもうしたが、体のどこがどう感じるのか、どんな顔で喘ぐのか、どんな声を出すのか知りたい……。
二人の間に価値観の相違があるなら早めに知って歩み寄ってアジャストしたい。つまりずっと寄り添って生きていきたいのだ。愛を注ぎたいし、仕事に疲れた自分を支えてもらいたい。
肉体関係はまだだ……。それが目的じゃないことを伝えたいのと、純己がまずは高校を卒業してからだと全力で我慢をしている。純己を抱くところを想像すると、自慰の時間は短い。すぐに絶頂だ。この歳で二回連続もできるときがあるくらいだ。純己の生の体を抱くとき、いったい自分がどうなってしまうのか考えるだけで恐くなる。
「ニック」
スタジオのソファで目をつぶっていると天使の声がした。目を開けるとやはり純己だった。
「もう終わったよ収録」
「ああ、そうか、疲れただろ」
「ニックの方が疲れてるんじゃないの」
「いや大丈夫だよ、考え事だ」
「ならいいけど、あんまり無理しないでね」
「ああ。他のみんなは?」
「みんなそれぞれ帰ったよ。タケルさんはプロデューサーさんと打ち合わせがあるって」
「そうか、じゃ帰りに食事でも行くか?」
「悪いけど、今日は家で食べる」
「じゃテイクアウトして俺の家で食べるか?」
「そうじゃなくて僕の家」
「おいおい、もう俺のこと家族に紹介してくれるってのか、困ったなあ」
「違うよ、今日は母親が仕事休みで晩ご飯作るって言うから食べないと悪いじゃん」
「……そうか、そりゃそうだ」
二人並んでスタジオを出て廊下を歩いた。
「ご飯はまた今度ね。……そう言えば、まだニックの家って行ったことなかったね」
ニックは胸が高鳴った。
「お、おう、そ、そうだな」
「あの教室の近くだったよね」
「ああ。あそこから車で二十分程だ。仮住まいだけどね」
「今日じゃないけど、どんなとこに住んでるのか見てみたいなあ」
「も、もちろん、時期がくればいずれは来てもらう予定さ」
「時期?」
「……純己、そ、卒業はいつだ?」
「え、高校の?」
「そうだ」
「今日」
「キョ、きょ、今日っ?!」
「うん、今日昼間卒業式だった。あれ、言ってなかったっけ、あれ」
ニックの欲望を留めていた最大のイベントが今日終わっていた。
エレベーターに二人で乗った。ニックの興奮がじわじわと湧き上がってきた。
もう抱いても、いい……? 純己の方から部屋に来たいと言っている……。やべぇ……。
ニックの性器が一気に張り詰めた。月光を浴びた狼が本来の姿を現すようにニックの知的で誠実な雰囲気のすぐ内側で、煮え滾ったチーズが糸を引き始めた。
ニックは純己の両肩を持ってくるりとこちらに向かせた。
「純己、今から俺の部屋に来ないかっ?」
「だから今日はダメだってさっき言ったじゃん」
「頼む、来てくれっ、もう……いろんな意味で限界なんだよっ」
「え……限界……?……」
「俺は純己が高校を卒業するまでは抱かないと決めていた。でももう高校生じゃない」
「ま……そうだけど、え、そっち……っ、でも、もうちょっと我慢して」
純己の微笑みに負けそうな自分を掻き消すようにニックは目をつぶって叫んだ。
「無理だ! 無理だ! 無理だ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ」
ニックは手と脚が震え出した。息も荒くなり顔が熱くなった。
「ニック? 大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ!」
エレベーターが開いた途端、ニックは純己の手を引き駐車場の車まで急いだ。純己の「え、え、ちょっと、ちょっと」という声は遠くの方にあった。
純己をキャデラックの助手席に乗せると車を急発進させた。きゅーんという音が地下の駐車場に鳴り響いた。
「あ、危ないよ、え、に、ニック落ち着いてって」
「うぉぉっ~~!!」
「えーっ、ちょ、ちょっと、わ、分かった、分かったからっ、スピード落としてよ!」
ニックは純己の了承の言葉が聞こえてアクセルを緩めた。
「来てくれるか?」
「う、うん、分かった……。母親にラインだけさせて」
「おお、そうしてくれ、お母さんには悪いが純己はもう俺のものなんだ」
「うん、分かってる、けど……でも、僕ほんとに初めてだから、優しく、して、ね」
純己は俯いたままそんな可愛いことを言い始めた。
「分かってるよ、さっきは興奮の捨て場がなかっただけだよ。純己が俺のそばにいてくれるなら変に興奮したりはしないよ。それに、最後までするって意味じゃない。キスより一つでも二つでも前に進めれば俺はそれで満足なんだよっ!」
「……うん、僕だってニックと、そういうこと、したいって思ってるよ……」
ニックはアクセルをまた踏み込みそうになり、代わりにハンドルを握りしめた。
ニジリ、ニジリと皮のしなる音とニックの荒い鼻息の音が車内に響いた。
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