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第六章 湯舟に映る星空 ①
合宿の日は晴天に恵まれた。山間の道を進むバスから見る景色はきれいだった。まだ所どことにピンク色が見える。この辺りはまだ山桜が咲いているとのことだった。
バスの席順は自由だったので、普通を装ってニックと座ることができた。高校の時に通っていた英会話教室の講師だってことがいつの間にか周知されていたので、逆に周りも変に気にすることはなかった。
ニックにウェットティッシュをあげたり、タンブラーからコーヒーをついであげたり、サンドイッチを分けていると、女子の知り合いから世話女房みたいと揶揄されたが「まあね」とだけ答えておいた。
パーキングエリアで休憩になった時に年配講師のリチャードが、外に出ていた純己たちのところにやって来た。
「ニック、すまない、ニックからのメールを見逃がしていて今気付いたよ」
「ああ、気にしないでくれ。それでどうかな、部屋の交換の件なんだが」
「私は構わないんだが、ちょっと幹事に聞かないと。勝手にしちゃ悪いし」
「そりゃそうだ。良かったら私が聞こうか?」
「ああそうしてくれ。それにしても部屋の交換がしたいのはどうしてなんだ?」
「あ、いや、その、メールにも書いたが、リチャードには景色の美しい方の部屋をと思ってね」
「はっはっは、それはどうもありがとう。……君たちの力になれれば私も嬉しいよ」
リチャードはそう言って純己にウインクをした。
「リチャード……」
「純己、私もいい歳だ。気付かない振りも得意だが、思いやりをかけることも得意なんだ」
「リチャード、ありがとう」
「礼には及ばないよ、お幸せに」
リチャードはそう言って踵を返し片手を上げてトイレの方に歩いて行った。
一日目のグループワークはうまくいった。明日のプレゼンテーションに備えて各自が資料の見直しをして、夕食になった。ニックが幹事の学生に聞くと、部屋決めの管理をしているのは室川なので本人に聞いて欲しいとのことだった。
ニックは食器を片付け終えた室川を呼び止め事情を話した。
「そんなわがままを言われるとちょっと困りますね」
「なぜだ? リチャード本人がいいと言っている」
「理由は何ですか?」
「だから年配のリチャードには山桜の見える部屋で過ごして欲しいからだ」
「はい? そんな理由……」
「細かいこと言うなよ、ちょうど君とも同じ部屋になって話がしたいと思っていたんだ」
「……はあ、まあ」
「君とはゆっくり話したことがないからね」
そこへ中年の女性講師と女子学生が会話に加わった。
「健吾、実は私も山桜が見たいから由紀と代わってもらったのよ」
「そうだよ、ジェシカにはせっかくだから日本の良さを知ってもらいたかったし、いいじゃん別に。リチャードも合宿は今回が最後になるかもしれないって言ってたし、ねえ」
「実はそうなの。リチャードも合宿はもうしんどいですって。リチャードとニックが交代できないなら私と由紀も交代し辛いわ」
思わぬ援護射撃のお陰もあって、リチャードとニックは部屋を交代することができた。
寝室は二段ベッドが二つ向かい合わせになっていて、横には簡易的な作業机や棚やソファが置かれていた。
講師は全員ミーティングを行うとのことで、会議室に集められニックもそちらに向かった。部屋で純己と室川と三年の高村がそれぞれの荷物の整理を行っていた。
「みんなで夜桜見に行くけど、お前らどうすんの?」
高村は他のグループと一緒にライトアップされている夜桜を見に行くと言い始めた。
「俺と小田はもうちょっと打ち合わせしたいんで、終わったら追いかけます」
と室川が言った。純己はそんなことは聞いていなかった。
「な、小田」
室川の視線が恐かった。純己はニックも近くにいることだし、ラウンジに行けばいいと思ったので頷いた。それから高村はすぐ部屋を出て行った。
「小田、ここに座れよ」
と室川にソファに座るように促された。
「え、何ですか?」
「いいから」
純己は少し距離を取って腰かけた。
「この間、お前んちで話した通り俺は留学に行くことになった」
「そ、そうなんですね、決まって良かったですね」
「だからじゃないけど、お前に聞きたいことがある」
「は、はい」
「……お前は、どうなの?」
「……え?」
「とぼけんなって。男が好きなのかってこと」
「な、なんでそんなこと聞くんですか」
「俺はどっちもいけるってバス停で言っただろ」
「それは……僕が聞いたわけじゃないです……」
「るせえよ、分かってるよ、んなこと、答えろよ」
「そんな、答える必要ないじゃないですか、やめて下さいっ」
室川は距離を縮めた。
「……お前、本当は俺のこと好きだったんだろ? 高校の時から俺のこと好きだったんだろ?」
「……好きでは、ありません」
「嘘つけ。顔に書いてる。……その顔、小田の照れて動揺する顔が好きなんだよな」
室川の目がやけに鋭くなっていった。純己は立ち上がろうとしたが引っ張って戻された。
「な、なにすんですか!」
「まだ時間あるし、やろっか?」
「は……?」
「俺さ、お前みたいな可愛い系の男の穴なら使えると思う」
「っ……ちょっと、僕、失礼します」
「待てよっ。じゃ、上の口でやってくれよ、最近女としてねえから溜まってんだよ」
「ちょっ、僕ほんとにラウンジに行く用事あるんで」
純己の力ではどうすることもできず、抱え込まれてしまった。
「ないないそんな用事。俺のデカいよ、デカいの好きだろ?」
「やめて下さい!」
「お前ホモだろ! おとなしくやらせろよ!」
「や……やめ、て……」
純己は涙が出た。悔しくてはねのけたいのに力では及ばなくて恐かった。
「泣くなよ、面倒くせえなあ」
「僕……付き合ってる人がいるのでそんなことできません」
「ああ、ニックだろ、どうせ」
「え……」
「バレてないと思ってたの?」
室川の力が緩んだ隙を見て純己は走り出した。
「おい!」
ドアに手を伸ばしかけたところでまた後ろから抱き留められた。
「やめてっ! 誰か、誰か助けて!」
「おとなしくしろって、ここ感じるんだろ、ニックのデカいのん入れてもらってガバガバかもしれないけどさあ」
室川は純己のお尻を鷲掴みにし、そのまま肛門に指を押し付けた。
「ひぁっ、やめ、て! やめって、ニック……ニック!」
「ニック様はミーティング中。いいケツしてんじゃん、うわ、入れてえマジで。ローションないから唾でいいよな」
「ニック! ニック! 助けて!」
その時、ドアが勢いよく開けられ、ニックが現れた。
「ぉ、お、お前え! 何しやがる!」
ニックは後ろ手にドアを閉めると、室川を掴み上げて床に投げ飛ばした。室川は転げて腰に手を当てた。ニックは純己の前に立った。
「いった……いってマジで、ちょ何すんだよ!」
「お前、今何してた?」
「あんたに関係ないじゃん、これ暴力だよね?」
「お前が今純己にしていたことも暴力だよな?」
「じゃれ合ってただけだよ」
「純己は助けを呼んでいた、そうだな純己」
「はい、室川さんからわいせつな行為を受けました……」
「これは問題にさせてもらうぞ、室川君」
室川は、舌打ちをして立ち上がった。そしてこちらを睨みつけた。
「俺はホモじゃない。わいせつなんてするわけない。お前らと一緒にすんな」
「でも……僕の体に無理矢理触ったじゃないですか、そういうのは関係ないでしょ」
「純己の言う通りだ。指向は関係ない。セクハラはセクハラだ。それにそういう侮蔑した言い方は良くない」
「はっ? 言い方? お前さ、ちょっと金持ってっからって生徒に手出しといて偉そうに言ってんじゃねえよ。お前らがいい関係になってんの気付かれてないとでも思ってたわけ?」
「……そういうことなら誠実に話そう。俺たちは真面目に付き合ってる。黙っていたことは申し訳ない。だが手を出すとかそんな低次元なことじゃない。パートナーだ」
「アホくせ。何がパートナーだよ。それは男と女がなるもんだろうがよ」
「性別は関係ない。人が人を好きになったらいけないってのか?」
「結婚も、子供も、男女でするもんなんだよ。キモいんだよ」
「お前は今、純己にわいせつ目的で手を出したよな? お前が一番気持ち悪いことをしたんだ」
「一緒にすんな! 俺は性欲処理したかっただけだよ。抜くだけなら男でもいける。でも付き合うとかありえねえ。俺は将来、普通に女と結婚して子供も作って家庭を築く。むらついた時に小田みたいな可愛い奴の口か穴なら使えるってだけの話だよ」
「俺の前で純己のことをそういう風に言うな!」
「うるせえんだよ、ロリコンのホモオヤジの分際で! 純己の穴はお前だけのもんじゃねえよ」
ニックは室川の胸倉を激しく掴み上げた。
「いいか、純己は俺のものだ。俺の許可なく純己に触れたら許さない。純己のためなら俺は何をするか分からない。それだけは言っておく」
ニックの言葉は静かなのにどんな音よりも力強く重たく響いた。
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