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第六章 湯舟に映る星空 ②
「……分かったよ、放せよ」
室川は諦めた様子で大人しくそう訴えた。
ニックは落ち着いた動作のまま室川を解放した。
室川の表情が少し穏やかになり、大きなため息をついた。
「あーあ、やっぱ遅かったか……」
室川は項垂れ、震えた声のまま続けた。
「俺も、小田のこと好きだったんだよな……。高校の英語クラブで初めて見たとき可愛いなって思ったよ正直。でも男同士だし、そういうの変だろなって思ったから女と付き合った」
「つまりは、お前はバイセクシャルだと言いたいんだな」
「はっきり言うなよ、これだから外人は。あの時はそんな意識なんてねえよ。結果的にはそういうことになるんだろうけど……。あんたの教室の前で小田と会ったとき、もしかしてこいつ俺のためにここにしたんじゃないのかって直感的に思った。でも確かめることはできなかった。自惚れって思われたくなかったし世間体もあった」
純己もニックも真実を知っている以上何も言えず、室川の話を黙って聞いた。
「今だから言うけど、小田だって、俺のこと好きだったはずなんだよ。バレンタインデーの時に、こいつ俺にチョコ渡しそびれてかばんに戻したんだよ。女子からもらってる時に横目で確認してたから間違いない。俺も実は小田からのチョコを期待してた。でも普通は男から男に渡すなんてあり得ないし、帰りでにもくれるかなって思ってたけど、こいつこんな性格だから結局遠慮して渡さなかった。だろ、小田?」
「……でも、なんで僕の持ってたチョコが先輩のためだって……」
「悪いけど、お前がトイレに行ってる間にかばんの中を覗いた。そしたらチョコにカードが挟まってて、アイスのお返しですって書いてあったから」
「……っ、そんな、勝手に」
「悪い。でも確かめたかったから。そんで超嬉しかった、マジで」
室川は懐かしむような瞳で純己を見つめ、続けた。
「お前のことキャンパスで見つけてビビった。こいつマジで俺のこと好きなんだなって確信に変わった。でも……もうその時には遅かったんだよな……。小田、さっきは申し訳なかった。許して欲しい。それとニックの前で失礼な言い方して申し訳なかったです。反省してます」
「分かってくれたらそれでいい。俺も胸倉を掴んですまなかった」
「いや、何なら一発殴ってくれた方が良かったっす。そっちの方が遥かに楽だったかも」
「室川君……」
「俺っていつもこうなんすよ……小田のこと言えないわ……世間体を真っ先に気にして勇気が出せないんすよ……だから小田のことも、小田はせっかく好意を持ってくれてたのに、ずっと自分を守ってばっかで、こうやって大事なチャンス逃すんすよ……」
室川の目が赤く滲み始めた。
「室川先輩、すみません、僕がいけないんです、中途半端な態度を取ってしまって……」
「お前は悪くないよ。でも良かったな、ニックみたいな素敵な人で。それに玉の輿じゃん」
「そ、そんな……」
「や、やめてくれっ」
「冗談っす。ニックの想いの強さには敵わないって思った……。だから俺の負けを認めます。俺がしたことは悪いことなので大学とか警察に言ってもらっていいんで」
「純己、どうだ?」
「僕はもういいです。どこにも言いません。三人だけの話にしましょう」
「小田……。本当にすまない……」
「もういいです。大丈夫ですから気にしないで下さい」
「室川君、合宿はちゃんとやってもらいたいので、今まで通り接してもらっていいかい?」
「……はい、そう言ってもらえるなら、そうします……」
「留学も控えてるんだから、しっかりこの合宿で学び取って欲しいと思ってる」
「はい、すみません……。ありがとうございます。……俺も夜桜のグループ追いかけるんで、ゆっくりして下さい、じゃ」
室川は乱暴に目を拭って部屋を出て行った。
ドアが閉まった瞬間にニックは純己を静かに抱き寄せた。
「純己、大丈夫か、痛いところは?」
「大丈夫。どこも痛くないよ」
「なら良かった。俺はそれが一番気がかりだった」
「ありがとう。来てくれて良かった……」
「会議室から高村君がみんなと連れ立って外を歩いているのが見えたんだ。室川君と純己の姿は見えなかったから、もしかして二人きりかと思って、嫌な予感というより正直なところ、やきもちで二人にしたくなかったから、適当にトイレだって言って出て来た」
「うん……」
「純己も、あの時、トイレだって言って俺の授業をボイコットしたしな」
「もう、いじわる、覚えてたんだ」
「何でも覚えてるよ、純己とのことなら」
携帯電話が鳴った。ニックのものだった。
「あれ、加代だ。また急用か、勘弁してくれよ……はい、私だ、何かあったのか?」
純己は、ソファに腰かけて話しているニックを見た。長くがっちりとした脚を広げて、両膝に両肘を乗せて少し前屈みで真剣な顔をしているニックはやっぱりかっこいいと思った。
この人があの英会話スクールを運営している経営者だなんて。日本では五十教室くらいの中堅だけれど、韓国、中国、台湾、タイ、ベトナムに合わせて百を超える教室があって、アジアに進出している英会話教室の企業では教室数は一番だった。
純己のお腹に顔を埋めて捨てないでくれって大泣きして懇願していたなんて、夢の中の夢のように思えた。
ニックの広げられた脚の中央に見えている股間につい目がいってしまう……。たわわに実った巨峰が入っているようだった。
通常の状態のニックのものも見たことがあるが、だいたい純己が目にする時はいつも成長し切ったバナナになっている。バナナになっていないときでも持ち上げるとどっしりとした感じがする……って、やだ……バカ、何考えてんの……。純己は顔を背けた。
今度は純己のラインに夜桜を見て行っているサークルメンバーからメッセージが来た。どうやら、みんな離れにある露天風呂に入るらしく、少し帰りが遅くなるとのことだった。ちょうど電話が終わったニックにそう伝えると、ドアがノックされた。リチャードだった。
「ニック、やっぱりここか」
「すまないリチャード。なんというか……その」
「大丈夫だよ、お前さんが出て行った後は大したことは話し合ってない。世間話で終わったよ。それより、俺たち講師陣も学生たちにならってせっかくだから離れの露天風呂に行くんだ。学生たちはもうあっちに向かっているらしい」
「ああ、純己にラインが来た」
「そうかい、だから誰もいなくなるから心配しないように声をかけに来ただけだ」
「ああ、そうか、分かった、楽しんでくれ」
「まあ、ここの施設にも露天風呂があるらしいが、中年組はみんな、せっかくだから離れの山の中にある露天風呂に行きたいとうるさくてな」
「確かに、森の中の風呂なんて風情がありそうだ。季節もちょうどいい」
リチャードは微笑みを残してドアを閉めた。ニックは途端に暗い表情になった。
「どうかした、ニック」
「いや、加代からの電話で……」
「また事故とか事件とか……」
「ある意味、事件かもしれん……親父が日本に来るらしい」
「へえ、そうなんだ、久しぶりに会えるんじゃないの」
「なんで加代に電話をするんだ、あの親父は。体調も悪いってのに」
「体調崩して経営を交代したんだったよね。……なんで直接かかってこないんだろうね」
「それなんだよ、いつもあの親父はその手を使うんだ」
「その手?」
「俺にかけたら無視をするかもって思ってんだよ、実際無視もするけどな」
「なんか、気まずいことでも?」
「まあ……会社の経営についてだ……純己が気にすることはないよ」
「そっか。いろいろあるよね、親子だと」
「まあな……そ、そうだ、風呂に行こう! ここの施設なら貸し切り状態になるんじゃないか!」
「うん、そうだねっ」
ニックは何かを振り切るように立ち上がって、純己の腰に手を回しキスをしてきた。微笑み合ってから、お風呂に入る身支度を一緒に始めた。
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