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第七章 せせらぎが聞こえる ③

 車中で純己は、なぜここが分かったのかが気になってニックに聞いた。  ニックはまず純己の家に向かった。「どういうご関係ですか」と驚きっぱなしの母親の典子と妹の美菜に「大学の英会話クラスの講師」以外の詳細を話すわけにもいかず、不在だけを確認した。  それから、躊躇う暇もなく大学の名簿を使って室川健吾に電話をした。室川なら分かってくれるだろうと思い、事情を全て話した。すると室川はそういうことならと、あの川かもしれないと話してくれたそうだ。 「俺は室川君に助けられたよ。彼も少しでも罪滅ぼしができればって言ってたよ」 「ごめんね……僕のせいで……」 「いいさ、室川君とも仲良くなれそうだよ。友達は多い方がいい」  純己は微笑んだ。  教室に着くと、受付で加代がパソコンに向かっていた。二人に気付くと加代は穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。 「おかえりなさい」 「加代、さっきはすまない、事情をまず話すべきだが、」 「大丈夫です。小田さんもご安心下さい。私はライバルじゃありませんから」 「っ……?!」 「加代っ……」 「私は、コーディネーターです。そこにプライドを持って働いているつもりです。……なので時には人と人とを結ぶコーディネートもさせて下さい。私はニックと小田さんの味方です」  加代は少しだけ瞳を潤ませて笑顔を向けた。純己もニックも穏やかな笑顔になった。 「加代……ありがとう、君の優しさに感謝するよ」  ニックがそう言うと、加代は微笑んだまま会釈をし、何かを思い出したような顔つきをした。 「それと、お父様は疲れたとおっしゃってもうホテルに戻られました」 「あ、ああそうか、分かった……加代、悪いが、……商談室は今使えるか?」  加代は座ってモニターを見つめマウスを操作した。 「えっとですね、あ、はい、今ならご使用できます」 「実は純己がこれを使いたいと。辞めた後でもいいよな?」  ニックは加代にクーポン券を見せた。 「ああ、この学生特典の。もちろんです、最初のご料金に含まれてますので。それに、有効期限があるとすれば、それはニックのお心次第だと思います」  と言って加代はまたにこっと笑った。 「なるほど、その期限なら、永遠にないということになる」 「でしょうね。小田さん、良かったね」 「杉山さん、ありがとうございますっ」 「今から、純己の英語のレベルチェックをするつもりだ。この半年間でどれだけ純己の英語が上達したかを俺もしっかり聞かせてもらいたくてね」 「それは素晴らしいことだと思います。ごゆっくりどうぞ」  商談室の窓から夕陽が射していた。ブラインドを下ろすと、初めてニックと会った日の光景が目の前に浮かんだ。お尻を向けていたことに気付いて姿勢を戻すと、背の高いハンサムな欧米人が入って来て純己を見て固まった。それが全ての始まりだった。 「ニック、今だけは恋人同士を忘れて下さい」 「ああ」 「厳しく英語のレベルチェックをして欲しいんです」 「そのつもりだ」  ニックは機械的にテキストをめくり次々に質問を繰り出す。純己は質問の聞き取りに集中して、言葉を選びながらそれに答えていく。どれだけの時間が経ったのか分からない。短いようにも長いようにも感じたけれど時計を見る余裕もなかった。  全てのチェックが終わった。ニックは口角を上げ、純己を見据えた。 「おめでとう、アドバンス合格だ」 「ほんと?」 「本当だ」 「っ……やったぁぁ!」  純己は両手の拳を胸の前で小刻みに揺らした。 「純己の以前の英語にあったトゲやカドは感じられなかった。英語が好きだ、もっと上達したいという気持ちが伝わった。何より、英語への愛を感じたよ」 「ありがとうございますっ」  純己はぐっと涙を堪えた。 「発音も語彙も文法もやはりパーフェクトだ。純己らしい端的でスムーズな表現は健在だった。純己は人に英語を教えられる域にも充分に到達している。日本語のネイティブとしては素晴らしい才能だと思う。英語圏育ちの我々よりむしろ純己の方が、英語を母国語としない人々に寄り添ったサービスができそうだ。これは経営者としての本音だ」  純己は黙って真剣にニックの言葉を噛み締めた。ビジネスの視点で評価してもらえることにまた一歩大人になった気がして、呼吸が熱くなる。  フィードバックが続いた後にニックがテキストを閉じた。 「他に何か質問は?」 「さっきので充分に理解できました。ありがとうございました」 「そうか、じゃ、俺から、いいか?」 「はいっ」  ニックは一度視線を落とした。何かを決めたように顔を上げ、テキストの上で手を組んた。 「愛してる」 「…………っ」  ビジネスの商談時のような真剣な表情と言葉の中身とのギャップに純己は言葉を失った。 「悪いが、そろそろ限界だ。俺は我慢が不得意なのは知ってるだろう」 「うん……大丈夫、レベルチェック本当にありがとう。もう恋人同士に戻ってもいいよ、なんちゃってね、ふふふ」 「違う……」 「え?」 「恋人という関係にもう我慢ができないんだ……」 「どう、いう、こと?」 「……純己、俺の家に遊びに来ないか?」 「っ……いいけど、今日は家事しないといけないし明日はあれだから、明後日なら……」 「そうじゃない、ロスの方だ」 「えっ? ロス?」 「ロサンゼルスの俺の家にだよ。それに今すぐじゃない」 「え……でも、その、」 「金なら心配するな、もちろん俺が出す」 「いや、でも、それは」 「純己、いい加減にしろ」 「え」 「お前は俺のものだ。俺のパートナーなんだ。俺の言う通りにしてくれ」 「……はい」 「お前のために金を使うことも俺の喜びであり誇りなんだ。俺が一人の男として自分の力を確認するためにも大事なことなんだ」 「……分かりました」 「近いうちに純己の家族にあいさつに行って、ニューヨークの俺の実家にも連れて行く」 「……それって……」

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