26 / 32

第八章 お城へ続く階段 ②

 ニックは、落ち着けと言い聞かせながら収録スタジオのドアを開けた。ブースの中ではタケルと純己と他の学生たちが収録を行っていた。控室を見回したがダグラスの姿はない。  もしかすると、出番がまだ先なのでどこかで時間を潰しているのかもしれない。  純己とダグラスをここで会わせるわけにはいかない。純己を傷つけてしまうかもしれない。    思索を巡らせていると収録が休憩に入り、ニックはまずガラスの向こうにいる純己に目配せした。純己も微笑んで応えてくれた。すると、タケルが血相を変えてブースから出て来た。 「ニック、大変だよ、どうしよう」 「なんだいきなり、どうかしたのか?」 「実は、ニックには黙っておくように言われてたから言えなかったんだけど、お父さんが後半で出演することになってたんだ」 「ああ加代がこっそり教えてくれたよ。お前もお前だな、なんで俺に、」 「それは後にしてくれ、お父さんからさっき電話があって体調が悪くなったから出演をキャンセルしたいって」 「はあ? 何だって? ドタキャンか」 「そうなんだよ、今日は最終回だし、大物ゲストが登場って告知もしてるから収録とは言え穴を空けられると困るんだよ」 「ったく、しょうがないなあ、あのクソ親父め」 「それでニックに出演して欲しいんだ。現経営者のニックなら告知内容としても嘘ではなくなるし、リスナーもニックの話には興味を持ってくれると思うんだ、頼むっ」 「俺がたまたま来てたからいいものを、だからこういうことは連携してくれって前から言ってるんだよ」 「ごめん……でも、頼むよっ、俺を助けると思って今日は力を貸して欲しいっ」 「……分かったよ、親父の穴埋めなら俺がしよう。で、親父は今どこにいるって?」 「それが居場所は教えてくれなかったんだ。だけど、もう帰国すると言ってた」  ニックは盛大なため息をついた。 「全くどういう……っ、いや、こちらこそ逆になんかすまない、あんな親父で」 「それはいいよ、ニックが出演してくれるなら俺は気にしないから」  仕事の手間は増えたが、ダグラスと純己が遭遇する可能性がなくなったことでニックは内心ほっとしていた。 「で、お父さん、体調の方は大丈夫なのか?」 「初期の胃がんの手術をしたばかりなんだ。手術は成功したんだがな。今日のは仮病だろ」 「なんで仮病まで使って出演を拒んだんだろう」 「うちの親父は気分屋なんだ。それで俺も周りもどれだけ振り回されて来たことか。真実は本人しか分からんよ、いつも誰にも何も言わないで行動を起こす人間なんでね」  それからタケルと軽く打ち合わせをする中で、何か会社としてキャッチーなニュースがあれば演出上有難いと言われた。それならあった。アメリカ本国の銀行や証券会社やコンサル会社と進めている一大イベントがある。社内処理は完了し、監査法人の監査も通っている。もう言ってもいいだろう。ラジオならいろんな意味で宣伝にもなる。  ニックの出番が始まった。時間通りに行えたので学生たちとも一緒に参加することができた。タケルから話を振られ、ニックは腹に力を入れた。 「実は、わが社はニューヨーク市場に上場することになりました」  タケルと学生たちから歓声が上がった。純己は瞳を潤ませ微笑んでいた。 「有難いことに台湾で英会話教室を広げていた会社を吸収合併することになり、売上も利益も上場の基準を満たしたので、以前からの目標通り、ニューヨーク市場に進出します」  台湾で一号店をオープンしてしばらくすると、現地のライバル会社から合併して欲しいというオファーが銀行を通じて来た。  台湾ではニックの教室が人気を博したようで、向こうの経営者はこれから食い合うくらいなら合併して企業の命を保ちたいと話した。これで台湾での教室数が一気に増え、その会社が運営する他のアジアの教室もニックの会社の教室として登録されたのだ。  ニックは男としての自信がだんだん付いた。父親に成しえなかったことを実現している自分が誇らしかった。どこかで、若い頃から経営者として手腕を発揮していた父親を超えたいとずっと思っていた。それがもう現実になろうとしている。  純己にも驚いて欲しかった。そしてもっと自分に惚れてもらいたい。それにはまず仕事で実証を示すのが早いだろうと考えていた。  これで自信を持ってニューヨークの実家に純己を連れて行ける。父親と継母と腹違いの妹に純己を紹介して、自分たちの関係を認めさせるのだ。  二カ月後、ニックは、大学が夏休みに入ったタイミングで純己とニューヨーク行きの飛行機に乗った。エコノミークラスでいいと純己が言う前にビジネスクラスを予約しておいた。恐縮したり驚いたりする純己を見るのがニックの幸せの一つになっていた。  空港からタクシーで実家に到着すると、継母のメイシーと腹違いの妹のブリジットは、純己を見て一瞬驚いたが、すぐに笑顔で迎えてくれた。ブリジットは子供の世話を夫に任せて来てくれたようだった。  ニックは、幼い頃、メイシーの他人行儀さが寂しかったが、今になって考えると自分を尊重してくれていたのだと思えるようになり、誕生日に花束を贈っていたりしたこともあって今では良き理解者だ。ブリジットとも離れていた期間は長いが、良い兄妹だと思っている。  メイシーとブリジットと純己はお互いに自己紹介をした。純己は日本のお土産を渡してくれた。二人は日本の食べ物に興味があったのでとても喜んだ。  純己の流暢な英語に、やはり二人も驚いていた。ニックは純己の英語も家族に聞かせてやりたかったのだ。こんなに可愛くて美しくて、英語も堪能で、若いのに常識を心得ている聡明な男性がパートナーなんだぞ、と言いたかったのだ。 「親父は?」  ニックが聞くと、メイシーは半分の笑顔を作った。 「書斎よ、ごめんね」 「母さんが謝ることじゃないよ」 「お兄ちゃんが大事な友人を連れて来るって伝えてあるんだけどね」  ブリジットもメイシーと同じような表情をした。 「スパイシーチキンがもうすぐ焼けるわ、さあ、どうぞ入ってちょうだい。あの人も、チキンには目がないから匂いに引き寄せられて来るはずよ」  みんなの笑い声の中に純己の笑い声も混じっていたのが聞こえて、ニックは純己を見た。  純己の笑顔を自分の実家で見ることができるなんて夢のようだった。メイシーとブリジットさえ味方になってくれれば何も恐くない。  ニックは純己の背中をそっと優しく押した。純己は小さく頷いてリビングへと歩み出した。その華奢な後ろ姿が余計に愛しく思えた。

ともだちにシェアしよう!