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#3-3

「ただいま」  何千回とやってきたことなのに、玄関の鍵をかけるのでさえ一連の動作にぎこちなさを覚える。 「お邪魔します」 「えっと、親父は仕事、お袋は弟の習い事の付き添いで遅いんだ。あとはポン吉がいるはずなんだけど……ポン吉って、犬の名前な」  いつもは帰るとすぐに飛びついて歓迎してくれるはずのポン吉も、どこかへ隠れているのか、それとも寝てしまっているのかまったく気配がしない。  二人きりの――正確には、二人と一匹きりの空間は、それが自分の家であろうと、落ち着けはしない。むしろ初めて周を見た日のことを思い出して、何かおかしなところはないかと不安になってしまうほどだ。 「柴犬だよね」 「ああ、うん。周には柴犬っぽい名前に聞こえるのか」 「ただなんとなくだよ」 「はは、本当にお前ってなんでも知ってそう。二階上がって突き当たりの右が俺の部屋だから、先行っててくれるか。なんか飲み物持っていくよ」 「分かった」  俺はそのまま台所に行き、準備と深呼吸をしてから自分の部屋へと向かう。 (さっきの、自然だったよな? 夏輝のときはどうしてるっけ……平常心だけは忘れるなよ。落ち着けば大丈夫だから)  部屋の前で自分に必死に言い聞かせる。トレイを持つ手の感覚が徐々に遠のいて、また鼓動がうるさくなってきた。  ドアを開けると、周がすぐそこに立っていた。俺が入ってきたことに気付いた周がこちらへ振り向く。 「紅緒、ベッドの上に何かいるみたいなんだけど……っ」 「え、ちょっ……」  丸まったタオルケットがベッドからロケットの如く発射されて、周に衝突した。その衝撃で周が俺に覆い被さるように倒れてくる。  コップの中身をもろに被りながら、幸いリュックサックのおかげで尻もちを強めにつく程度で済んだ。 「いっ……てぇ……おい周、大丈夫か」  目を開けると水も滴るいい眉が目の前にいた。思わぬ出来事に思わぬ出来事が重なって、ついさっきまで意識していたはずの平常心は、しっぽを巻いて逃げ去ってしまった。  周の頬を伝って、水滴が俺のワイシャツに落ちる。 「あぁ、ごめん。今退()くよ」  離れようとした周の胸ぐらを咄嗟(とっさ)に掴んで引き寄せる。驚いた顔を初めて見た。  もっと近くで見たい。まじまじとその端正な眉を観察する。周の顔立ちをより一層引き立たせているのは間違いない。 「紅緒、離して。どこにも行かないから」 「あ……悪い」  言われて手を離す。乱れた襟を直すこともせず、周はそのままの体勢で言葉を(つむ)ぎ続ける。 「ねえ、玄関の鍵も準備室の続きにカウントする?」 「お前はそうしたいって顔してるな」 「君もね」  ハプニングとはいえ、(すが)れるチャンスには縋りたい。

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