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#2-4

 次の日、窓から外を眺めていると、いつもより早く登校してくる紅緒が目に入った。その足取りはなんとなく乱れているように見える。 (珍しいな)  そんなことを思いながらその姿を目で追う。真下にある昇降口へと消えていった頃、もう一人、見覚えのある姿が校門を通るのが見えた。  “夏輝”と呼ばれている彼と同じクラスの生徒だ。先程とはうってかわり、こちらはやけに楽しそうに歩いている。ここで待っていれば、そのうち二人とも上がってくるだろう。  紅緒は僕を視認すると、昨日のようにぴたりと止まって何かを悩み始めた。それを横目で見ながら、次の展開を待つ。  ようやく、その足がこちらへ動き出そうとしたとき―― 「なんだよ、たまには紅緒より早く来て驚かしてやろうと思ったのに!」  時間切れを告げる元気な声が響いてきた。  教室へ戻る時に見た紅緒は、大袈裟なジェスチャーを交えて、まるで弟と会話をしている時のようだった。     § 「紅緒、お前ってホント良い奴! 大親友!」  しばらく経った頃、大音量の告白が廊下から響いてきたかと思うと、そのあとに続いて彼を褒める声も聞こえてきた。  例え“大親友”という言い方が大袈裟だとしても、きっとあの友人は僕よりも彼を知っている。それを許せないなんてそんな馬鹿げた思いは湧き上がらないけれど、羨ましさは感じていた。 (いや……やっぱり癪だ)  その感情は誰かに対するのものではなく、この煮え切らない状況にいる自分に向けられたものだ。  紅緒を見るために一歩退いていたいし、彼のように探求心に対して積極性を持つべきなのかとも思ってしまう。  このことになると、考えがまとまらずに気を抜いた途端どうにかなりそうになる。     §  ひたすら針で刺されるような視線を感じる以外、一進も一退もしない日々が過ぎ、僕たちはまた隣同士の教室にいた。  今朝、何かを勝手に察知した兄が「押して駄目なら引くのさ。逆もまた(しか)り」と言ってきたときのしたり顔を思い出して、無性に腹が立ってくる。いちいち余計なことを言ってくるのがうるさい。 (あの顔、思い出しただけで腹立つ)  九月の終わりともなると、すぐに日が傾く。外はもう暗くなっていた。  今日は手伝いが長引いているようだ。あまり遅くなっても兄に詮索されそうで、それはそれで腹が立ってくる。切り上げて帰ることにした。  教室に鍵をかけて、それを返しに職員室へと向かう。キーボックスの前に立った時点で、先生にそのまま返せば、別に職員室まで来る必要は無かったことに気付く。 (まあ、そんな形で会っても面白くないか) 「仁科?」  鍵を元の場所にかけたのと同じくらいに、横から紅緒の声が聞こえた。ずっと耳に残っているから確認しなくても分かる。  初めて“仁科”と呼ばれた。今すぐにでも呼び返したいけれど、僕たちはまだ知り合っていない。  努めて冷静に振り向くと、紅緒は片手に鍵、もう片方の手は口に当てて驚いた様子でその場に立ちすくんでいた。その視線はもちろん僕の眉に向けられている。この状況でも妥協しない探求心が感じられる。 「どうかした?」  そう聞くと、少し頬を紅潮させながら声にならない声を細切れに出して鍵がどうのと言う。  手に生物準備室の鍵を持っているし、大方、同じように返しに来たところだろう。 「へえ」  ということは、これが待ちに待っていたチャンスだ。押すなら今しかない。 「なら一緒に帰ろう」 「は?」  これでもかというほど分かりやすい反応をしてくれる。思ってもみなかった提案だったようだ。 「帰るよね」 「あの」  そこでなんだか結局兄の言う通りにしているということに気付いて、一瞬だけ(はらわた)が煮えくり返りそうになる。  今日は帰ったら絶対に何か言ってくるに違いない。 「そう……だな」  兄へ憎悪の念を送っている間に、紅緒は覚悟を決めたらしい。ここまで来れば、あとはもう踏み込んでいくだけだ。

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